FIELD PLUS No.10
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31Field+ 2013 07 no.10しろメディアに対する痛烈な批判となっているこの曲は、多くのエジプト人の心情を代弁しているのかも知れない。 さらに、ムハンマド・ラヒームという歌手は、「関係者各位に告ぐ」とのメッセージソングを発表したが、そこでは「自分勝手は忘れよう エジプトが一番大事 世界中の目が見ているぞ 祖国が血の海になるのを」と警告する。静かな曲調とうらはらに突然「血の海」などという表現が出てくるのはなんだか物騒だが、実際この曲のビデオでは、エジプト名物カイロタワーの前で銃撃戦が繰り広げられる様をCGを駆使して再現しているのである。たしかに近隣国での出来事を考えれば、エジプト人にとって「血の海」の恐怖もあながち絵空事ではないのかも知れない。この曲では、このまま抗議デモを続けていると、リビアやシリアのようになるぞと脅しをかけているのである。 しかし、ここで主張を曲げてまで優先せねばならない「一番大事」な祖国とは、いったい何なのだろうか。広場の革命派の若者たちは単に「自分勝手」を言っているだけなのだろうか。そして革命は続く? 「自由の声」のカイロキーは、革命後の6月にリリースした「指導者を求む」で、自分たちが新たな指導者を選ぶことへの強い意志を歌い込んだ(youtube.com/watch?v=f1NGUMY9v_I)。指導者を求むおれたちが法に従わせるような信頼を裏切ったらクビにできるようなそんな指導者を容姿は問わない年齢も問わない宗教も問わない人間であることが唯一の条件ようするに真の漢おとこが必要なんだ 理想の指導者像を彼らなりの言葉で描写しながら、指導者さえも「法に従わせる」と歯切れが良い。さらには「宗教も問わない」という文言にも注目すべきだろう。その後の選挙で大統領となったムルシーがイスラーム主義的な政策を進めると同時に、大統領権限を司法権の上に置こうとしていることを考えれば、この歌詞の持つ意味は深長である。 その後もカイロキーは、タハリール広場に集まる革命青年の側に立ったメッセージを発し続けている。最近出た曲にはこのような一節がある(youtube.com/watch?v=G1HSwRM1Ca8)。ヤツらは言う、「多数派」が正しいとオレも歴史からいろいろと学んだ多数派はいつも黙ってきたずっとペテンや偽善を見ていながらオレは群れの中希望もなく歩いている抜け出そうともがくオレをヤツらは馬鹿だというオレはヤツらとは違う 黙っていては何も変えられない、という主張は理解できる。しかし、沈黙する多数派に対して「オレは違う」という叫びは、そのまま革命青年が世論から孤立している様を示しているようにも見え、アコースティックギターの伴奏がいっそう悲しく響くのである。 ようやく訪れたカイロで、革命で何が変わったのかと、ふと自問する。抗議デモは今も続いている。広場に集まる若者の中には、そろいの黒装束で現れる「ブラック・ブロック」なる集団が多くを占めるようになったという。新聞には彼らのことを単なる破壊集団と決めつけて断罪する向きもあった。タクシーの運転手たちは常にラジオに耳をそばだて、通行止めゾーンを慎重に避けて走っていた。今も続く変革の動きに見て見ぬふりをしているようにも見えた。 エジプトは今も混乱が続いているように見えるかも知れない。しかし、これは彼らが自由にものを言うチャンスを手に入れたということなのだ。その表れのひとつが、新しい音楽となって世に出てきている。カイロキーや、それに続くインディーズバンドは、高級住宅街であるザマーレ高級ショッピングモール内の大手CDショップで購入したもの。筆者が留学中の2000~2002年によく通っていた街角のカセット屋はすでに店をたたんでしまったと噂に聞いた。カセットからCDへ、そしてインターネットへと、音楽の消費のされ方も変わってきている。ク地区の、今や人気スポットとなったライブハウスに連夜登場している。ヒップホップのアーティストたちも、次々と新たな楽曲をネット上に公開している。既成の価値観に収まらない新しい音楽潮流は、エジプト人が自力で変わる可能性をまだまだ残している証拠ではないだろうか。 さて、マハラガーン音楽に話を戻せば、その歌詞は必ずしも革命のメッセージを声高に歌い上げるものではない。しかしその耳新しい曲調には、今までの大衆音楽では飽き足らなくなった若者たちの、新たなニーズが反映されているように思える。件のタクシー運転手にしても、彼ははやりのライブハウスに通うほどの経済力はないものの、毎週のように開かれる親戚や友人の結婚式で曲の情報を仕入れ、新曲のチェックには余念がないという。「マハラガーン(祝祭)」音楽と呼ばれるゆえんだ。などと話を聞いている間もずっと大音量のカーステレオに、少し耳が痛くなってきた。「悪いけど、曲を変えてくれないか」と頼むと、運転手はこともなげにカーステレオのスイッチをいじり、旧体制派アイドル、ターメル・ホスニーの激甘バラードをかけてきた。選曲の節操のなさが、エジプトの若者のしたたかさをそのまま体現しているように思え、私は苦笑するよりほかなかった。

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