27Field+ 2013 07 no.10 何度も読み返し、またその度に新しい発見がある本というものがある。私にとって、本書は、まさにそういう数少ない本の一つである。チベットに関心を持つようになって以来、この本の主人公の木村肥佐生は私のヒーローであった。 木村は、戦前日本が植民地政策のために設置した人材養成機関である興亜義塾で教育を受けた人物である。木村は自らの希望で、蒋介石軍に対する援助ルートであった西北ルートの実態調査という名目のもと、モンゴル人巡礼僧に扮して西域に潜行した。結局西北ルート調査が困難であると判断した木村は、軍部との連絡を絶ったまま独断でチベット入りを決意する。チベットで日本の敗戦を知った木村はそのままインドに渡り、今度は英国情報部のスパイとしての活動も行いつつ、卓越した語学力と観察眼を武器にヒマラヤを往還し、モンゴル人有識者としてチベットの都ラサの貴族たちの社交界にも入りこみ、またチベット人革命家とも交友を結んで明治維新の経験を伝え、チベット政府に改革を要望する上申書を提出するなど、チベットの近代化を目指す活動も行っていた。本書はこのような木村の経験を伝えるきわめて魅力的な記録であり、チベット現代史の生きた教科書であるといえる。 木村のこの経験は処女作『チベット潜行十年』によって早くから知られるところとなっていたが、その旧著は、正直それほど読みやすいものではなかった。講演速記録ということもあったし、発表時の1958年においてチベットが大きな政治的混乱の中にあったため、日本人スパイとの交友が知られてしまうと、チベットの友人たちに迷惑がかかるという配慮があったことも関係しているのだろう。対してこの『チベット偽装の十年』は、米国人作家スコット・ベリーが木村へのインタビューなども交えつつ新たに編纂したもので、旧著に比べてはるかに読みやすく、また率直で興味深い読み物に仕上がっている。歴史の中の青春研究者の本棚大川謙作おおかわ けんさく / 東京大学大学院総合文化研究科学術研究員 1940年代、国境をものともせずにモンゴル・チベット・インドを駆け回った日本人がいた。その名は木村肥ひ佐さ生お。異民族の中で生きぬいた青春の記録である本書は、歴史に関わって生きることの醍醐味を伝えてくれる。 実は、同じく興亜義塾出身でモンゴル人に偽装して木村と同時期にチベットを放浪し、『秘境西域八年の潜行』を書いた西川一かずみ三に比べたとき、かつて我が国のチベット・ファンの間で木村の人気は低かったとも言える。確かに豪放磊落な熱血漢であった西川のほうが旅行者としての豪快さでまさっており、その旅行記もまた抜群に面白い。常に底辺の民衆たちと共にあった西川に比べてみると、二重スパイとして生きた木村に悪い意味での「要領のよさ」を感じるという人も多かった。だが木村と同じく青春の一時期をラサで過ごし、チベット現代史の知識が深まるにつれ、私には木村の行動の意味がより深く体感されるようになっていったと思う。私はそこに、歴史の傍観者であるよりは、歴史との関わりの中で生きることを選んだ一つの青春の姿を見たのである。 木村のチベットとの関わりはある意味では偶然の産物である。木村には軍部に協力するという意識は希薄であり、むしろ調査を口実として冒険に憧れる青年が西域放浪の夢を果たしたと言った方が実情に近く、日本のスパイとしては大した貢献もできなかった。それでも、今日の視点からして、彼を植民地主義の先兵として批判するのは簡単なことかもしれない。だが、木村はむしろ、モンゴルに詳しくなればなるほど日本の植民地主義に対して批判的になっていくというジレンマの中にあり、当時の日本人がそのような批判的なまなざしを保持していたということは例外的な事例なのである。 チベットとの偶然の出会いの中で木村は歴史の現実と関わり、チベット滞在中も、帰国後も、彼にできるかたちでチベットを助けるための努力を続けた。チベットとの縁を断った西川にせよ、関わり続けることを選んだ木村にせよ、それは、異民族と関わり、歴史の中の青春を生きた彼らなりの責任のとりかたであったのである。西域放浪の夢歴史との関わりの中で生きる木村肥佐生 著(スコット・ベリー編)三浦順子 訳『チベット偽装の十年』(中央公論社、1994年。原書は1990年にセリンディア社より出版)
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