FIELD PLUS No.10
28/36

26Field+ 2013 07 no.10 1985年にマダガスカルの農村におけるフィールド・ワークを終え、日本に帰国した。それ以来、〈むら〉をめぐり彷徨してきた。かくも諍いの多き人びとがなぜ集まって住み、またなぜ共に暮らすことが可能なのか? 東京育ちの私には、答えが見いだせなかった。当初、人類学上のローカル・グループ論やコーポレイト・グループ論に答えを求めてみたものの、心に響くことばはなかった。個別の民族誌的記述としては、E.リーチのPul Eliya, a village in Ceylon, 1971における「機能主義」的細密さの力とV.ターナーのSchism and Continuity in an African Society, 1957における「社会劇」の躍動感に、共鳴を覚えた。しかし、その2冊でさえフィールドで経験した〈むら〉をかたちにすることばとしては、「何か」が不足していた。その「何か」を求め、以前に読んだ日本における〈家〉が祖先を中心とする親族集団なのかそれとも使用人を含む生活集団なのかをめぐる論争を読み返し、日本民俗学の著作を紐解いた。すると、最初読んだ時には字面を追ったにすぎなかった中村吉治や有賀喜左衛門の著作が輝きを放ち、理論と分析の明晰さに感銘したはずの及川宏の著作に物足りなさを感じる自分がいた。 そんな〈むら〉を求めての迷いの中でめぐりあったのが、きだみのる、宮本常一、そして農学者の守田志郎の著作であった。3人とも、記述のスタイルこそ違え、対象としているのは日本の〈むら〉とそこに暮らす人びとであり、通文化的な比較や一般化の作業とは無縁の仕事であった。それにもかかわらず、彼らの著作には〈むら〉としか表現しようのない、「何か」をめぐる明晰な共通のことばの湧出があった。 かたちをもって暮らすことへの畏怖研究者の本棚深澤秀夫ふかざわ ひでお / AA研そこに水田がある。畑がある。家がある。それらが集まって〈むら〉と言う景観をかたちづくる。それは、 土地に住むことへの共同の意志の集積されたテクスト。それもとびきり険阻な。 筆者の香月洋一郎は、自身の叙述によれば、「私は宮本常一という民俗学者に師事した。師事したと、といってもその文字通りの意味合いは薄い。宮本先生は、そのまわりにいた多くの若い人達に対して、民俗学の入口あたりまでは案内するがあとは勝手にやれ、といった姿勢で接しておられたからであり、私もその中の一人にすぎなかった」(香月洋一郎『山に棲む――民俗誌序章』[未来社、1995年、p.378])にせよ、宮本常一の仕事を現在に継ぐ確かな人間の一人である。 香月は言う。「むらうちで互いに他を侵さず他に侵されず、同じように暮らしが続いていくという状態の背後には、さまざまなかたちのエネルギーが激しく動いています。そうしたエネルギーの総体が、『むら』という名で括られた人間の定住行為ということになるのでしょうか。……一見以前と変わらない景観を保ちつづけているその風貌の裏で人は激しく動いてきました。いやその動きがあったからこそ、むらの風景が維持されてきたことになります」(同上pp.153-154)。〈むら〉が一定の景観から成るとするならば、読み解かれるべきものとは、その変わらぬことを支え続けてきた土地に暮らす人びとのエネルギーである。なかなかにこの視座は怖いと思う。なぜなら、先のきだや宮本や守田もひとしく〈むら〉を物理的にあるいは社会的にはみでる人びとについて詳述してきており、このエネルギーが〈むら〉をめぐる求心力にも遠心力にも働くことを香月もまた熟知しているからである。となれば、土地に刻まれたそこに暮らすことに対する工夫や努力や意志の跡が明晰であればあるほど、その場に働いてきたエネルギーもまた過酷であったことを、この本で展開されるさまざまな景観の読みが伝えている。 香月が、単一点に視座を固定した時にどのような景観の民族誌を叙述するかについては、四国山地の〈むら〉を描いた『山に棲む――民俗誌序章』を一読して欲しい。同じ四国山地の〈むら〉を対象とした、生態人類学者福井勝義の民族誌『焼畑のむら』(朝日新聞社、1974年)と読み比べてみるのも面白い。〈むら〉をめぐる彷徨暮らしがかたちを持つということ香月洋一郎 著『景観のなかの暮らし生産領域の民俗[改訂新版]』(未来社、2000年。旧版も同じく未来社から1983年に出版)

元のページ  ../index.html#28

このブックを見る