カードが横行する現代社会に限ったことではない。古代社会においても、残すために書かれた文字のほか、「書く」ことをあまり意識せず、いわば様々な社会行為に附随して記される文字が数多く存在する。それらを通じて、古代の社会生活を知ることができる。残す意図なく残ってしまった文字は、古代社会の誠実な証人と言えよう。残す簡牘と残る簡牘 ところが、残すために書かれた文字が代々受け継がれて、いわゆる「(伝世)文献」として残りやすいのに対して、諸種の社会的行為に附随して記される文字は、社会行為とともに立ち消えていく運命にあり、通常は後世に残りにくい。そのため、伝統的な歴史学では、これらの文字が証人台に立つ機会はあまり多くなかった。むしろ、考古学が発掘してくれた古代社会の遺物に、残そうとして書かれていない文字が多数残っており、歴史学に新しい可能性を切り開いてくれる。 「簡牘」も考古学がもたらした遺物の一種である。日本では、木製のものが使用されていたため、「木もっかん簡」(木の簡ふだ)としてよく知られているが、中国の場合、竹と木とが併用されており、材質に対して中立的な「簡牘」という概念が多く使われている。木簡の「簡」と同様に、「牘とく」も、原義としては「ふだ」、つまり文字などを書きつけるための木もしくは竹の切れ端を意味し、「簡牘」とは、いわば「札ふだ」の漢語的表現と考えて大過なかろう。 では、簡牘には、どういう文字が残されているかというと、それは、時代と地域によって実はまちまちであるが、大雑把に言えば、これも、「残そう」という意思の有無によって大きく二種類に分けられる。一つには、古代のお墓から出土した簡牘がある。これらは、墓主とともに埋葬された「副葬品」であり、私たち発見者のためではないにせよ、明らかに残そうとして残った遺物である。書かれた文字も、大半は、著作などの図書資料で占められており、「伝世文献」に対して、通常「出土文献」と呼ばれる。執筆という行為に、最初から「書く」もしくは「残す」意識が託されている。 もう一つには、「遺構」に偶然に残った簡牘がある。「遺構」とは、廃れた建築物等、過去の人間活動の痕跡で、固定していて動かすことのできないものを言うが、例えば、中国西北辺境地帯の関所の遺構には、人や物の通関にかかわる「伝でん」や「致ち」と呼ばれる通関書類が残っており、人や物が当時どのように移動したかを語ってくれる。また、県役場や駅舎などの文書や帳簿には、「券けん」などの証明書類が数多く含まれ、役人・兵士あるいは旅行者にどのように給料や食糧が支給され、それに基づいてどういう消費がなされたかが分かる。あるいは生産道具の貸出・労働力の徴発・物の売買・遺産の分割など、古代における社会生活の実態を伝える様々な文字情報が得られる。その一部は、「刻こく歯し」といわれる刻み込みによって暗号化され、まさに我々が日々使うICカードを彷彿させるものがある。そうした社会生活の実態について、「文献」はあまり語らないので、遺構出土の簡牘は、歴史学にとって極めて重要な史料となっている。 中国古代の簡牘を扱う学問領域は、言語学・哲学・歴史学などと多岐にわたる。それらは、とても一人でカバーできるものではない。多くの仲間で知恵を分かち合った方がより正確な読みが可能になるし、楽しさも増してくる。まだまだ道半ばではあるが、専門領域を越えて中国簡牘の共通の理解を目指して発足したのが、AA研の共同利用・共同研究課題「中国古代簡牘の横断領域的研究」である。古代社会の読みを一層深めるために、今後も多くの分野から仲間を募って中国簡牘の証言に耳を傾けていきたい。望楼・城砦や関所・駅亭からは、施設が廃止された時に、搬出も破壊もされずに残った簡牘が数多く発見されている。いわゆる「居きょえんかんかん延漢簡」や「敦とんこうかんかん煌漢簡」がその典型例である。あるいは古井戸に廃棄されて自然条件によって偶然にも今日まで残った簡牘がある。「里りや耶秦しんかん簡」といわれる38000点余りからなる資料群がその一例である。遺構から出土した簡牘には、「文献」の断片が含まれることもままあるが、大半はむしろ遺構の元来の機能と関連して作られた文書や帳簿・記録の類である。これらは、その機能を果たした暁には、消えてゆくはずだったが、何かの拍子でその一部は今日にまで残った。残った簡牘を読む この遺構簡牘に書かれた文字は、文書の定型句のように、当時の人々にもあまり意識されずに書かれたものや、帳簿の諸種の管理記号・記録のように、単独では解読すら困難なほど、帳簿の機能と密着しているものが多い。つまり、それは、私たちが日頃「文字を書く」時に考える文字とはやや異質である。そのため、読む人にも少し違う心構えが求められる。出土地・出土状況・簡牘の形態などをいろいろと比較して初めて解読可能になることが珍しくない。逆に、単なる書写材料ではなく、文字が書かれた遺物として解読を進めていけば、古代人の社会生活が見えてくる。例えば、25Field+ 2013 07 no.10中国西北居延地区の漢代軍事遺構(K688、居延都尉府と推定。2009年撮影、高村武幸氏より提供)。墓主と竹ちっかん簡――睡すい虎こ地ち秦しんかん簡の出土状況(雲うんぼう夢睡虎地秦簡編写組編『雲夢睡虎地秦簡』文物出版社、1981年より)。
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