22Field+ 2013 07 no.10日本~カリマンタン内陸部 夏、日本からインドネシアのジャカルタにつくと乾いた風を感じる。ジャカルタから1時間ほど飛行機にのって、カリマンタンに到着する。カリマンタンでは、いっせいの野焼きで(写真1)、昼間でもなぜか薄暗く、視界も悪い。ジメジメした日本と、煙たくてカラカラに乾いたカリマンタンは対照的だ。 私はカリマンタンで話されている数々のことば、とくにバリト諸語に興味をもっていて、そのフィールドワークをするために、カリマンタンの内陸部によく行く。バリト諸語の話者はもともと狩猟採集民で、豊かな山・森・川でさまざまな食べ物を探すのだが、稲作もしている。 昔はモーターボートにのって川をさかのぼる以外に内陸部へむかう方法が無かった。ボートにのり、内陸部にむかうにつれ、ある種の「濃さ」が増幅していくのが感じられる。川では、水浴びや洗濯をする人びと、投げ捨てられた果物の皮などのあらゆる生ごみ、舟着き場の便所や家畜小屋から流れにのる汚物、中国製エンジンの爆発ともいえる駆動音など、日本などではフタをされておおいかくされてしまっている「不快」がダイレクトに感じられる。もっとも現在では、燃料の値段が上がり、道路が整備されたので、残念ながら多くの地域でモーターボートにのる機会は無くなってしまった。挨拶~安眠 移動している(ように見える)人にたいする挨拶は「どちらへ?」あるいは「どちらから?」である。インドネシアの各地でよくみられる挨拶だ。都会ではなんらかの場所「どこそこ」をこたえて、簡単な会話にいたる。私のフィールドでは、ドホイ語で「クモッコリッ?」(あんたどちらへ)あるいは「クモッ?」(どちらへ)との挨拶にたいし、「クジュオイ」(村内の川上へ)か「クボオイ」(川下へ)などと方向をこたえることが多い。歩いている方向をみればわかりきったことなのに、わざわざ目的地の方向をつたえるところが挨拶らしくて気にいっている。 別の挨拶に「ジャディ・モンドゥイ?」(水浴びしたか)がある。水浴びをすでにしたのであれば「ジャディ」、まだなら「ジャハム」とこたえる。水浴びは、川岸のイカダの近くでおこなう。このイカダ(写真2)には、舟着き場、洗濯場所、便所など多くの役割がある。イカダに1メートルほどの高さの木箱が付いていて、その中に入り、イカダの丸太と丸太の間、すなわち川に用を足すのである。 水浴び(モンドゥイ)をしていると、しばしば水面をプカプカと大便がただよう。さらに、川の水の色は、あちこちでの金採掘により、泥砂まじりの黄土色だ。このような水浴びに、誰もが多かれ少なかれ不快感をおぼえるかもしれないが、少なくとも水浴びは身体を冷やす快適な時間だ。 宿泊は、たいてい民家だ。内陸部の小さな村に宿泊施設はふつう無い。個人宅に数週間宿泊しても毎日泊まる家を替えても問題ない。ただ、泊まると決まれば、何よりもまずしなければならないことがある。蚊帳を張るのである。熱帯、亜熱帯でのフィールドではおなじみだが、マラリア対策のひとつとして、就寝時の蚊帳、すくなくとも蚊取り線香は必須アイテムだ。これらが無いと、おぞましい一夜をすごすことになる。また、カティッ・カラ(サソリ)などの危険な生き物が家の中まで入ってくる場合もある(写真3)。そのため、寝床に蚊帳を張るだけでこのうえない安堵感につつまれるのであフィールドワークをしていると、学術的なたのしみだけではなく、ささいなことに衝撃をうけたり、みずからをかえりみたり……。カリマンタン(ボルネオ島のインドネシア領部分)の内陸部にある小さな村でのフィールドワークの体験からその一部を切りとってみたい。フィールドノート カリマンタンのくらし稲垣和也 いながき かずや/日本学術振興会特別研究員(京都大学)写真1 野焼きのようす。写真2 イカダの近くで水浴び。箱のようなものが便所。カリマンタン調査地インドネシアボルネオ島ジャカルタ
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