FIELD PLUS No.10
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21Field+ 2013 07 no.10は、今もバリ文字表記のバリ語やカウィを書けるのか、特に、新たなテキストを創作しているかどうか。わたしたちは、バリの大学教員や集落の宗教職能者・婆羅門階層、写本師、祈祷師(ドゥクン)たちに聞き取りを行い、中世カウィ文学や近世バリ文学の復刻ではない、近代以降、特に現代になって作成された印刷物や書き付けにはどのようなものがあるか尋ねた。しかし、多くの人々は率直にバリ文字表記のバリ語やカウィをもちいた創作活動については知らないと言い、唯一人、ヒンドゥー大学教員で自らも婆羅門階層であるアリ氏だけが、1980年代までバリ文字表記のバリ語雑誌があったこと、今でもバリの地元紙「バリ・ポスト」日曜版にローマ字表記のバリ語ページがあることを教えてくれた。現代バリの伝統文書文化は継承のみで、新たな創造はなされていないのである。チャムとバリの因縁 伝統的な歴史記述によると、14世紀なかばに、バリ王国はジャワのマジャパヒト帝国の宰相ガジャマダが差し向けた軍勢に征服され、その属国となった。その後、マジャパヒトは交流のあったチャンパ王国からムスリムの王女(チャンパプトリと呼ばれた)を王妃に迎えてイスラム化が進行した。その結果、王妃の後援を得たムスリムがジャワじゅうを席巻してジャワのヒンドゥー社会は崩壊し、帝国は分裂、15世紀末に滅亡した。このとき、アッラーへの帰依を潔しとしないジャワの王侯貴族はバリに亡命した。バリはマジャパヒトの属国に甘んじていたが、本国の滅亡で、マジャパヒト(ジャワ)・ヒンドゥー文化の最も正統な後継者となった。 聞き取り中、同行者のサカヤ博士がベトナムのチャム人であると知った人々は、異口同音に、「君は我が祖先をジャワから追い出したチャンパプトリの身内の者か」と言い、博士はそのたびに「そうですが、わたし自身は皆さんと同じ婆羅門の信徒です」と釈明を余儀なくされて気の毒であった。サカヤ博士はチャム人の中でもポークット(アッラー)信仰の下で家庭での婆羅門的祭式を守る集団に属しているからである。不思議な不使用 14世紀にバリ島を征服したジャワのマジャパヒト帝国は、支配者をジャワ貴族に置き換えるのではなく、地元のバリ貴族を新たにバリ王に任命した。ジャワのイスラム化以降バリに亡命したジャワの貴族・婆羅門たちは、バリ貴族と婚姻関係を結びつつ、ゆっくりと土着化していった。ヒンドゥー文化を維持したバリでは宗教職能者・婆羅門階層が形成され、今もある。上下関係は待遇表現によって表され、バリ語もジャワ語同様に複雑な敬語が発達した。しかし、ジャワ語の影響を強く受けたのはいくつかある敬語クラスの一部だけで、ジャワ語とバリ語の基本語彙は異なるもののほうが多い。バリ人はジャワの影響を受け、あるいはジャワ・ヒンドゥーの後裔ではあるが、ジャワ人ではないし、ジャワ語を解さない。だがバリの貝葉文書群は必ずしもバリ語で書かれているわけではない。神聖な内容(叙事詩、儀礼書)は、神聖な文字(サンスクリット表記用バリ文字)と言語(カウィ、バリ語混合サンスクリット)で、神聖な媒体(貝葉)に刻まれるのである。 カウィやサンスクリット表記用バリ文字の訓練を受けた者を除き、現代バリ人はカウィの文字を読むこともできず、意味もわからない。「一般教養としてバリ文字が読めればよく、カウィやサンスクリット表記用のバリ文字を読む必要はない。婆羅門ならカウィが読めたほうがよいが、カウィでメモをとる必要はない。読めて、書き写すことができればよい。」人々はそう考えているようだ。 人口300万人のバリ島の伝統文字識字者の数は、人口15万人のベトナム・チャム人とは比べ物にならない。公的機関や寺院・会館の看板は必ずローマ字とバリ文字併記。書店にはバリ文字で書かれたカウィやバリ語の本がたくさんある。人々はこんなに文字と文書を継承する強い意志をもっているのに、不思議なことに、それらを不使用とし、過去の再生産ばかりしている。バリ文字表記のバリ語やカウィ、バリ語混合サンスクリットによる新規文書作成はなされず、1980年代以降、バリ文字で書かれたバリ語の雑誌・同人誌も絶えてしまった。人口わずか15万人のチャム人の宗教職能者たちが今も日々書き付け文書群を作り続けているのとは対照的である。 翻って、我が日本を考えると、同様に、古文でメモを取ったり日記を書いたりする人はほとんどいないが、文語詩―和歌や俳句の創作はますます盛んだ。そうだ、今度訪ねるときは、「ちょっとカウィで詩を自作してみませんか」と振ってみよう。 最後に一句 旧正月 貝カウィ葉学びて はまりけりベトナム・チャム人の宗教職能者の「書き付け」(現代風のノートに記したメモ、日記)。ベトナム・チャム人の宗教職能者。ベトナム・ニントゥアン省フオクドン村小学校の門(2005年)。ローマ字表記のベトナム語と、チャム文字表記のチャム語で書かれている。村の名前はベトナム漢語「福同村」、チャム語Blang Kacak。ウダヤナ大学文学部及び貝葉文書館(2013年)。看板の前に立つサカヤ博士(左、バリ服を着用)と筆者(右)。文学部の看板はバリ文字併記。

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