FIELD PLUS No.10
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20Field+ 2013 07 no.10バリ文字について かつて、東南アジア島嶼部のオーストロネシア諸語話者たちの中には、インド系文字を使用して自分たちの言語を表記していた人々がいた。ベトナム沿岸部に中世チャンパ王国を栄えさせたチャムの人々も、ジャワやバリの人々と同じくオーストロネシア語族の言葉とインド系文字を使用していた。インド系文字を使用していた人々の多くは、イスラム化に伴いアラビア文字(ジャウィ文字)を採用した後、現在ではマレーシア語やインドネシア語のようにローマ字を使用している。バリはイスラム化しなかったが、新聞や小説で使用される現代バリ語も基本的にローマ字表記になった。 しかし、ベトナム・カンボジアのチャム人、インドネシアのジャワ人・バリ人は、今もインド系文字表記を継承し、コンピュータ用文字フォントをつくり、儀礼書や叙事詩をコンピュータで打ちおこし、貝葉に刻む。インドネシアでは、1990年代からバリ文字の教科書がつくられ、バリ人居住地(バリ島、ロンボク島)の公教育で固有文字教育は必修になっており、バリ島では誰もが学校で紙のノートにバリ文字の書写練習を行い、バリ文字が読める。現代バリの伝統文書文化──なされなくなった創作活動 2013年旧正月、わたしはベトナム・チャム人のサカヤ博士と一緒にバリ島に2週間滞在し、バリ文字表記のバリ語教育の現状や教科書、バリ文字古文書収集調査と聞き取りを行った。東南アジアの大陸部・島嶼部の広い地域で、ヤシの葉を加工した貝葉(ロンタル)という書記材料を用いて文書を伝えている。紙の使用が一般的でない時代、貝葉は作成にも保存にも便利で重宝された。とはいえ、古典文学の専門書店で、白紙の貝葉や、儀礼書が記された貝葉文書、さらには貝葉に文字を刻む鉄筆まで買えるのは、恐らくバリだけであろう。 貝葉文書だけではない。バリの一般書店には必ずと言ってよいほどバリ文字表記のバリ語の学校教科書や各種辞書、参考書、練習帳のコーナーが設けられている。ベトナムのチャム語書籍出版では必ずローマ字転写やベトナム語の翻訳がつけられてしまう叙事詩などの文学作品も、バリ島ではローマ字転写なし、インドネシア語訳なしの原文がそのままコンピュータ用文字フォントで印刷されている。そして、これらの出版物の多くが、バリ州政府の助成を受けている。ウダヤナ大学やインドネシア・ヒンドゥー大学、デンパサル教育大学では、バリ文字表記のバリ語の教育研究が行われ、デンパサル教育大学では貝葉文書の作成がバリ語教員養成課程に組み込まれている。 わたしたちの専らの関心事は、バリ文字表記のバリ語やカウィの継承実態である。カウィとは14世紀以前の碑文や文献に用いられていた古ジャワ語(ジャワ・クノ)のことで、語彙要素に多量のサンスクリットを含み、その美文学はカウィ文学と呼ばれる。果たして、バリの婆羅門階層(プダンダ)や伝統的知識人たちインドネシア・バリでは、島じゅうの看板にバリ文字が併記され、冠婚葬祭の際には貝ばいよう葉を綴じたバリ文書の経文が読誦される。しかし、人々はもはやバリ文字でメモをとることはなく、バリ文字で書かれた新聞雑誌も存在しない。過去の再生産だけに特化しつつあるバリの伝統文書文化を考えてみた。フィールドノート 不思議な不使用バリ島におけるバリ文字書籍・古文書収集調査から新江利彦 しんえ としひこ / 京都大学国際交流推進機構バリ・シバンカジャ村の婆羅門一族グリヤ・アニャル家当主インタビュー。グリヤ・アニャル家の貝葉文書群(左)と大判樹皮紙の暦(右)。バリ語とジャワ語の待遇表現とインドネシア語との比較。バリ島ロンボク島インドネシアジャカルタかつてのチャンパ王国maukemana?()jagikija?j|gðkðj|.()lakarkija?l|k|Rkðj|.()badhetenpundi?b|Dötön”nðÁ.()arepning(nge)ndi?h|qpüÃ(Gö)nðÁ.sudahmandi?()sampunmasiram?s|m”n|Ésðr|m".()subamanjus?őb|m|Jˇs".()sampunsiram?s|m”nÓðr|m".()wisadus?wðsÕ|ăs".

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