16Field+ 2013 07 no.10 私がフィールドワークというものを自覚的にやるようになったのは1993年からなので、それから20年経ったことになる。現在44歳なので、定年までもあと約20年、つまり折り返し地点である。 国内では栃木県、茨城県、福岡県、宮崎県、熊本県、国外ではインドネシア・バリ島、ロンボク島、オーストラリア中央砂漠地帯でフィールドワークをさせてもらってきた。けれども、①誰でもそうだが、自分の場合は埼玉県北部という一地方の出身者で、生きてきた文化としては限られた地域の経験しかもたないこと、②くわえて社会常識を身につける途上の若者であったこと、③研究が進むにつれて、複雑な主題や機関でのフィールドワークをするようになったこと、などからこれまで「失敗」が多かった。生きている人間を相手にするフィールドワークは、いつ何があるか分からず、つねに失敗の可能性に開かれているのである。特に、調査が終わり、一息ついたころが要注意で、最後の最後に、報告書をめぐって失敗することもある。 ここではその失敗史を振り返ることで、20年前の自分にもし教えることがあればどんなことが言えるだろうか、と考えながら筆を進めてみたい。報告を返さずに失敗 海外調査でインタビューをした際の話である。慣れない英語でインタビューの趣旨失敗のフィールドワーク史飯嶋秀治いいじま しゅうじ / 九州大学大学院「失敗」は、もちろん悔しい。だからこそその悔しさを個人的な感情の次元でとどめずに、次のフィールドに向かってどのように活かして、具体的な行為に落としてゆくのか。そこまで考えるのが学者の使命だ。失敗する2を説明したところ、快諾され、小一時間ほどのインタビューは無事に終わり、帰りには複数の資料まで頂いた。 ところがそれからしばらくして、別のパーティ会場で、当該のインタビューを受けた人物に出遭ったところ、相手はいつまで待っても記事が来ない、と彼の夫人の前で声を荒げた。 私たちにとって、インタビューというのは、できるだけ多くの人に聞き、1年後なり2年後なりに報告書や論文にまとめるものだという習慣がついているが、インタビューを受けた側は、心ひそかにそれが記事になって取り上げられることを愉しみにしていることがある。 なのでせめて、成果が出るまでには時間がかかるということを説明しておけばよかったのだけれど、海外でのインタビューで緊張していたため、それを説明していたかどうかは記憶が定かではない。 結局、その後再び当該の人物に会い、説明はしたのだけれども、初対面の時のような気易い関係は二度と戻ることがなかった。これは報告書を巡る説明段階での失敗であった。報告を返して失敗 次は国内調査とはいえ、自分の出身地とは遠く離れた村落を調査した際の話である。 日本語でのインタビューはつつがなく進み、報告書を執筆する段階になった。そこで、調査の主題にしている無形民俗文化財の民俗芸能が、その村落のなかでどのような位置にあるのかを描くために、2つの組織の見解を対照表にして掲載した。一方は民俗芸能を村の伝統として誇りにしている行政側の見解であり、その担当の方は当該の村出身の役所の方であった。他方は、民俗芸能が観光化で疲弊してしまうことを懸念している、(形式的にはその役所の下で運営されている)博物館学芸員の見解であり、その方は村外の出身であった。 対照表にすると、見解がいかに違っているのかは明らかであり、当該の民俗芸能がただ昔から連綿と受け継がれているのではなく、こうしたせめぎ合いのなかで複数の可能性に開かれていることを論じたかったのであった。 ところが、その報告書に誤りがないか否かの確認のために、当該の村でこれから研究を始めようとしている大学院生に頼んで、インタビューさせていただいた方たちに見せて回ってもらったところ、この対照表が「対立」の図式として現地で人目を引いてしまい、役所の方の表情に生彩がなくなったとの連絡がきた。インタビューでは個別に話を聞いていたので、まさかこんな風な比較対象にされるとは想像だにしていなかったのである。 そこで、連絡を受けた私は、直ぐにその対照表を文章に変え、また注には「個別のインタビューで聞いた結果をまとめたもので、対立しているという訳ではない」という注釈も入れて現地にとび、平謝りに謝った上で、代案を打診し、承認していただいた。 最初の失敗は、当該の人物にとってみれば、「報告書が戻ってこない」ということで関係が悪化した、と言えよう。では、報告書を返せばそれで万事うまくゆくのかと言えば、そうでもない、というのが二番目の失敗である。こちらは、研究者としてかけ出しで、研究者が読みやすいようにまとめた結果、現地の方たちにどのように受け取られるのか、という配慮が足りなくなってしまっていたのである。いずれも、自らの研究者としての姿勢を当たり前のものとして、現地での文脈を配慮し損ねた結果である。臨床心理学からの学び こうした点で私の眼が大きく見開かれるきっかけとなったのは、臨床心理学との出会いであった。臨床心理学では、何らかの問題を抱えた人間を相手にして学問を展開してゆかなくてはならない。しかし、そこでの知見を発表する際に気をつけないと、その発表の場に相手が来ることもあるし、報告書を読む場合もある。そういうことを想定して、北山修や田嶌誠一などの臨床心理学者が気をつけているのは、発表が相手の眼に触れたときにも、それ自体が相手の良い体験になるようにする、というものであった。 確かに報告書を配るのは、お世話になった現地へのお返しといった側面があるのに、報告書をきっかけに現地の関係(現地の人々の間の関係および現地との関係)が悪化したのでは逆効果である。けれども書かれる者の立場になって報告書を書いてゆけば、それは関係終結の印である以上に、より良い関係を作り出してゆくきっかけにもなってゆくのである。切実な失敗学 失敗は心に悔いを残す。その負債感が弾みとなって、人は成長してゆく。しかし、
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