11Field+ 2013 07 no.10こうした建物の間を通っていくと……。ケープコーストの表通りにあるチョップバーの看板。裏に入っていくとお店がある。お店がある。数種類のシチューやスープから選んで注文する。店によって味が若干異なり、人気店はいつも混んでいる。バンクーとオクラシチュー:バンクーの酸味とオクラのとろみがついたシチューがよく合う。シチューに手羽先を付けて首都アクラの庶民向けのお店では80〜100円ほど。フフとライトスープ:庶民向けのお店の場合、牛肉を2つつけて50〜120円ほど(現地の新聞[日刊紙]1部と同じ程度の値段)。ちなみに、でんぷん質が豊富なフフはお腹がふくらむため、現地の人でも食べるのは週に数回程度が普通。アグジムのメソジスト教会:日曜日の朝になると、このように着飾った人たちが礼拝に集う光景は海岸地域の日常だ。テーンが主な作物であった南部地域では、それらを使ったバンクーやフフなどが伝統的な主食となってきた(現在は米食も普及している)。酸味が特徴のバンクーは、メイズやキャッサバの粉をお湯と合わせて鍋でこねたものを数日寝かせて発酵させたもので、熱を加えながら材料をこねて作る。一方フフは、蒸かしたプランテーンとキャッサバ(場合によってはヤムやココヤム)を、日本のお餅と同じように、杵と臼を使ってついて作る。ナイジェリアやトーゴ、シエラレオネなどで食べられている「フフ(フーフー)」と呼ばれる食べ物があるが、ガーナやコート・ジボワールの東部で作られるフフとは、作り方も味も若干異なっている。 主食と合わせて食べるシチューやスープも様々である。酸味のあるバンクーは、揚げ魚や焼き魚、または肉などと共に、唐辛子で作ったソース(ペペソース)をつけて食べる場合もあれば(ティラピアの姿焼きにペペソースを添えて食べるバンクーはまさに「ご馳走」である)、トマトや玉ねぎ、魚介類をベースとしたシチューと共に食べることもある。なかでもアクラを含む南東部の海岸地域が発祥とされるバンクーは、西アフリカに起源があるとされるオクラを使ったシチューと合わせて食べるのが主流だ。一方、フフはスープと共に食べる。スープは大きく分けて「あっさり」タイプと「こってり」タイプの2種類がある。「ンクラクラ(ライトスープ)」と呼ばれる「あっさり」目のスープは、肉や魚をベースにトマト、玉ねぎ、赤唐辛子などを用いて作られる。このライトスープをベースに落花生のペーストやパーム油などを加えて作ったものが「こってり」タイプのスープとなる。フフは通常、スープが入ったどんぶりに入れられた形で出され、スープに浸しながら右手でつまんで食べる。日本でも「蕎麦は喉で喰う」のが粋だといわれるが、ガーナでもフフは手でしっかり練りこんであまり噛まずにスッと食べるのが「通」だという人がいるのも興味深い。海を越えてやってきたフフの食材 今やガーナ人の「ソウルフード」ともいえるほど、ガーナ料理を語る上で外すことができないフフであるが、その食材の起源を辿ると意外な事実が見えてくる。フフの材料であるプランテーンの起源は東南アジアであり、紀元前後にアフリカに伝わってその後次第に西アフリカでも栽培されるようになったと考えられている。もう一方の材料のキャッサバは、南米に起源をもち、大航海時代以降にポルトガル人によってアフリカにもたらされた作物だ。つまりフフは、インド洋と大西洋という東西の大きな海を渡ってアフリカ大陸に伝播した作物が、歴史の変遷を経て、西アフリカのガーナで出会い、杵と臼でついて作るという現地の調理法と融合して生み出された食べ物なのだ。 さらに、フフには欠くことができないスープの食材も、歴史を辿れば、その多くは海を渡ってこの地にやってきたものである。「あっさり」系のライトスープには欠かせないトマトは南米起源だ。これが大航海時代に中米・カリブ海を経由してヨーロッパにもたらされ、彼らを介して18世紀後半から19世紀ころに西アフリカでも栽培されるようになったと考えられている。また玉ねぎは中央〜西アジアが起源とされているが、これも中世にヨーロッパに伝来し、その後西アフリカでも栽培されるようになった。さらに、「こってり」系のスープに必須の落花生は、南米が起源であり、これも大航海時代以降にヨーロッパ人によって西アフリカにもたらされた。フフに映るガーナの包容力 最後に少しだけ研究の話をしよう。私はここガーナで、主として19世紀以降のガーナの知識人層が、西洋との出会いのなかで、いかにして自らの「近代化」を模索したのかを学んでいる。20世紀に入るまで、西洋との出会いの場の中心は海岸地域であった。ガーナの海岸沿いの主要な街を訪れると、ほぼ例外なく2つの建築物—城砦と教会—を目にすることになる。城砦はおおよそ17世紀から19世紀前半まで奴隷の取引のために建てられたもので、教会は19世紀以降に始まったキリスト教の布教活動に伴い建てられたものである。いずれももともとは西洋人がこの地に作ったものであるが、今やこれらの建築物は海岸地域の日常の風景になっている。とくに教会については、現在ガーナ南部の多くの人々がキリスト教を信仰しているが、その信仰の実践は、礼拝時の踊りや一夫多妻制の容認など、現地の価値観を反映した独自の形態で発展してきている。 こうした外来の要素を自らの日常に取り込む包容力は、ガーナのしなやかなで逞しい歴史と文化を象徴するものであると私は感じている。ガーナの「ソウルフード」であるフフも、アフリカ大陸の外から伝来した食材と現地の調理法が数世紀に渡って融合して生まれた料理である。1杯のフフのどんぶりの中にも、ガーナの歴史の奥深い包容力が映って見えるなどというのは、ガーナびいきの行き過ぎた思い込みなのかもしれない。しかし、こうした思いを巡らせることができるのも、実際にフィールドで過ごすことができる人間の特権なのだ。
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