7Field+ 2009 01 no.1結婚しないヒジュラのプライベートな生き方って?國弘暁子くにひろ あきこ/お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科研究員、AA研共同研究員 インド北西部のグジャラート州でフィールドワークをしている時の私は、「おひとりさま」ではなく、ヒジュラ(注)の「お連れさま」として人びとから見られている。ヒジュラが出かけるところに私も一緒について回ることを、調査の一環としているからである。ヒジュラと共に外出すると、私はしばしば、次のような質問を受ける。「結婚していますか」。私は「いいえ」、と答えると、今度は、「(将来的に)結婚する(意志がある)のですか」と、彼らから再度質問される。出会ったばかりの、見ず知らずの人から、何故このような不躾な質問をされるのかと、当初は理解に苦しんだ。しかし、同じ質問を繰り返し受けているうちに、「結婚するか、しないか」という質問は、単に、「配偶者をもつ、もたない」を知りたくて聞いているのではなく、私がヒジュラなのかどうかを確認するための婉曲な言い回しであることがわかってきた。 父系男系によって系譜がつくられるグジャラートの社会では、今日においても、男児の誕生が珍重される。それは、女性との結婚を通じて、子供をもうけ、親族の永続化に貢献する義務が、男児には課せられているからである。ヒジュラとして生きる人びとも、この世に誕生した時点では、男児として親族から迎えられるが、その後に、結婚の義務を放棄して、女神に帰依するヒジュラの輩に加わる。そのため、ヒジュラは「結婚しない人びと」と定義できるのである。 ヒジュラの弟子入りが認められた者は、師匠からヒジュラの衣装であるガーガロ(スカート)とブラウス、そしてサリーを与えられ、それらを順に身に纏う。弟子入りしたての段階であれば、それらの衣装を脱ぎ捨てて、いつでも俗世の側に生きる親兄弟との生活に戻ることができる。しかし、男性器のペニスと睾丸を切除する去勢儀礼を経た者は、死ぬまで俗世を放棄した者としての生き方が強いられる。 己の誕生を祝ってくれた親族のもとを離れたヒジュラは、ヒジュラとして生きる仲間との関係に自らの生をあずけ、そして最終的には、己の死もヒジュラの仲間に看取られる。決して独りで生きているのではないが、無縁人が寄り集まって構成されるヒジュラの共同体では、互いに衝突し合うことも頻繁にある。とりわけ、生活を共にする師弟間で衝突が起こると、弟子のヒジュラは家の中では孤立無援となる。そのような時には、隣近所に暮す俗世の側の人びとのなかに紛れ込み、孤独を紛らわそうとする。ヒジュラの多くは、近所の女性たちとの交流をもっており、その女性との間に母娘としての関係を築いて、女性の家族のなかに受入れられている者もいる。そのような気の安らぎは一時的であり、夜の食事時には再び師であるグルの家にもどらなければならない。ヒジュラの家に弟子入りした者は、去勢儀礼を経た後に、グルの花嫁に見立てられた儀式を経る。それは、ヒジュラになることが、ヒジュラの家に嫁ぐも同然と見なされ、生得としての親族、そして俗世との縁を断ち切ることを意味しているのである。 親族の永続化を目的とする結婚制度に従わないヒジュラたちは、師弟関係を主軸とする、ヒジュラ共同体の一員として生きる。俗世の人びととの関わりを個別に保ち続けながらも、ヒジュラ共同体の役割関係のなかで生きることがより優先されるのである。外出する時には、ヒジュラは仲間とたむろすることが多く、その一風変わった集団を目の当たりにする外部の人びとは、ヒジュラを一枚岩的な存在と見なしてしまう。その集団の中に、1人だけ他所者らしき顔立ちの人物(=私のこと)が混じっていたとしても、「海外から来たヒジュラかもしれない」と、ヒジュラと同類項で括ってしまい、あるいは、最大限の礼儀として、「結婚していますか」という遠回しな表現を用いて尋ねてみるのであろう。インドグジャラート州知り合いの女性と道端で出会い、立ち話。行きつけのジュエリー・ショップにて。家の祭壇前で、バターを浸した綿を手の平にのせて、火をつける。ナヴァラートリ(女神祭)で、手の平と舌の上で火を灯しながら舞う。(注)〈インドのヒジュラとは〉インドのヒジュラは、去勢を通じて男であることを放棄して、女性の衣装とされるサリーを身に纏い、伝統的な宗教儀礼に携わる人々である。近年では、男女のカテゴリーにあてはまらない「第三のジェンダー」としても知られる。
元のページ ../index.html#9