FIELD PLUS No.1
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 もし、自分の妻が、夫が先に死んでしまったら、あなたはその後の人生、どうすごしますか? ……この人と添い遂げようと思って結婚しても、どちらかがやはり先にあの世にいくことになるのが、人間の生のつねである。 ケニアのルオ人社会では、いったん結婚すると、配偶者が死んでしまってもずっとその結婚関係は続くと考えられている。死というものが、夫婦関係の終結を意味しないのだ。なぜならルオの人びとは、人間は死んだとしても、身体は朽ちるが魂はそのへんをうろうろしていて、つねに生者をみていると考えているからだ。だから結婚したのち、残念ながら配偶者が死んでしまっても、残されたほうは死んだ人の妻や夫であり続けることになる。女性だったなら、ある男性に嫁いだら、彼女はずっとずっと、彼女自身が死ぬまで、その男性の妻であり続けるのだ。死ぬときも、誰それの妻として死ぬのが望ましいとされているので、もし未婚で死んでしまったら、親族は彼女の遺体を妻として引き取って埋葬してくれる男性を探すほどだ。 しかしだからといって、夫や妻が死んでしまったら、その後独り身でいなければならないわけではない。人類学では「レヴィレート」と呼ばれてきた、ルオ語で「テール」という制度があり、夫の代理ともいえる男と関係をもちながら、さまざまなサポートを受けたり協力しあいながら生きるのである。この制度は、死んでしまった夫との結婚関係を、彼の代理の男性とともに継続していくということである。たとえば伝統的には夫が「兄弟」と呼んでいた男性が、死んだ兄の代わりに残された兄嫁のサポートをする、という制度だったのだ。彼は男性にしかできない労働、生計の補助をすること、「夫」として、あるいは子どもたちに「父」として相談にのったりすることが期待される。 私が95年に出会って、のべ2年近くともに暮らしたルオの家族は、寡婦の家だった。子どもたちは、亡くなった夫の代わりに寡婦を訪問している代理夫を「お父さん」と呼ぶ。たとえばある息子は「結婚したい人ができたんだけれど、いつ連れてきたらいいでしょうか」と相談していた。その代理夫は、息子が結婚するときの儀礼を、死んだ男の代わりに遂行する大事な役割があった。それでも、彼はあくまでも死んだ男の代理なのだ、といわれるのは、彼と寡婦のあいだに新たに子どもが生まれたとし結婚は一生もの、でも代理夫は何度でも変えられる椎野若菜 しいの わかな/AA研ケニア 嫁とつぐ、別れる、嫁がないても、その子どもの社会的な父は死んだ男とみなされるからだ。たとえば子どもは、土地などの不動産を死んだ男から譲り受けることになる。だから、男の立場からしてみたら、まず自分自身の妻をもって、自分の子どもをもたなければ一生「代理夫」で終わってしまいかねない。したがって、寡婦の代理夫は既婚者がよいとされる。 このテール関係をむすんだ生活の内情を知らなければ、代理夫が寡婦の家に居るときにたまたま訪ねたとしたら、いっけんふつうの夫と妻のように、結婚生活をしているようにみえるものである。また興味深いのは、結婚は男性から女性にアプローチするものだが、テールは女性から男性にアプローチして成立する関係であることである。女性にとって結婚相手は、周りが決めていくケースが多いが、代理夫は、彼女自身が自分の意思で決める。彼の振る舞いが悪いと別れるように仕向け、より自分のために働いてくれる、亡夫に代わる新たな好きな男性を選んで「結婚」生活を始めるのである。 ある寡婦が言った。「代理夫の○○は、初めは畑仕事も手伝ってくれたし、ちょっとしたお金もくれたりしたけれど、最近ではぜんぜん。しかも他の寡婦とも関係を結んだってきいたから、もうこちらからさよならすることにしたわ。もう疲れました、一人でいますからって言ってやった」。そして彼女は、いま別の代理夫とともにいる。 私が「お母さん」と呼びともに暮らしていた寡婦も、何人の代理夫と過ごしていただろう。母が代理夫を変えると、子どもたちもそれに適応してまた新しくきた男を「お父さん」と呼ぶ。子どもたちも、心得ているのだ。人にもよるが、夫の死後平均で2人の代理夫をもち、多い人の場合は4人も5人も変える人がいる。老人に嫁ぎ、はやく夫と死に別れた寡婦によっては、彼女のために尽くしてくれる若い代理夫との生活は、結婚生活のときよりも幸せそうな場合もある。なによりも、テール関係は結婚とは異なり、寡婦自身が自分自身で好きな人を選べるのであり、しかも実際に関係を始めてうまくいかなくなれば、寡婦のほうから別れをもちだし、また新たに選びなおすことが何度も可能であるという寡婦主導の公認の関係なのである。 というわけで、私がしばらく日本にいて、ひさしぶりに村に帰ってニュースを聞くとき、だれが結婚した、子どもが生まれた、亡くなった、という話題のなかに、いま誰それの代理夫は誰?と聞くのも恒例になっている。仲の良いやもめとやもお。初めてのツーショット写真がとれると大喜び。ルオの男女が人前で身体接触を行うのは珍しい。仕立て屋を営む寡婦。彼女の腕は評判だ。ルオ人の大好きな主食、トウモロコシの練り粥(ウガリ)をつくる。

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