FIELD PLUS No.1
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29Field+ 2009 01 no.1ナイジェリア、ラゴス市のろう者の教会の日曜日の風景。この日は、150人ほどのクリスチャンのろう者たちが集まった(2006年)。ナイジェリアのろう者キリスト教センターで、日曜日にろう者対象の講演会を開いた。ナイジェリア手話で講演する(2006年)。ちんと関わって理解してみたいと考えたわけです。【西井】 そして、アフリカの手話の研究に入ることになった。【亀井】 アフリカの手話のことは、世界的にもほとんど紹介されていません。せっかく自分が現地で教わったことが、世の中で存在しないことになっているという状況については、ちょっとした義憤のようなものも感じました。手話の研究というと、どうしても欧米の手話に関するものが中心をしめています。また、日本やアメリカなどでは「音声言語ひとつ+手話言語ひとつ」という異文化理解のモデルが、どうしても主流になりがちです。いやいや、手話の世界にもいろいろあって、しかも音声の多言語と手話の多言語が共存している社会もあるんです、というようなことをきちんと紹介したいなというのが、深入りし始めた理由です。【西井】 その研究が、今年AA研で開講される言語研修「フランス語圏アフリカ手話」につながっていくんですね。【亀井】 ええ、日本の語学教育の中でアフリカの手話を紹介できるというのは、たいへんいいチャンスだと思っています。ちなみに、言語研修のために来日したカメルーンのろう者の手話講師も、1998年ころに現地で出会って以来、ずっと付き合いが続いている友人です。〈ろう者の文化を学ぶ〉【西井】 手話が多言語状況だとすると、亀井さんは手話を何言語も話せてすごいですよね。手話を覚えるのは大変ではありませんか。【亀井】 手話を覚えるのは、やはり大変です。とくに、ひとつ目の手話が大変でした。耳の聞こえる人がろう者の世界に入るというのは、手話の語学力を身につけるだけではなく、みだりに相手に声で話しかけないとか、視線の適切な使い方を覚えるとか、いろいろな行動上のマナーをあわせて覚えないといけないからです。それから、聞こえる自分はだんだんと手話を覚えていけるけれども、聞こえないろう者は音声言語を覚えることがたいへん難しいというような、完全に対称形をした異文化関係ではないという事情についても理解しておく必要があります。そのあたりで、最初の手話言語のハードルはとても高かった覚えがあります。【西井】 ひとつ目を覚えたら、その後はどんどんいろいろな手話を覚えられるものですか。【亀井】 そうですね、最初に日本手話に入ったときの敷居の高さから比べると、2つ目の手話言語を覚えるのは、まあ通常の語学のようなものかなと感じます。ろう者の文化は地域によって違いますけれども、「音を使わない生活習慣をもっている」ということは必ず共通していますから。ろう者と接するマナーなどは一度覚えると、よその手話言語集団でもあるていど応用できるように思います。【西井】 「手話」といっても、使うのは手だけではないんですよね。体の使い方や、表情での表現もいろいろありますよね。【亀井】 手だけではないですね。上半身全体です。ですから、ろう者はおもに相手の顔を見ていて、手の動きをいちいち目で追ってはいません。【西井】 たとえば疑問文か肯定文かといった区別も、実は表情で行っているんですよね。アイコンタクトして、会話するんだそうですが。【亀井】 ええ、相手と視線が合ったときに会話のスイッチが入り、最後は視線がそれて会話が終わるとか、会話の最中に視線をそらしたら失礼になるとか、いろいろルールがあります。そのあたりは、日本手話で一度覚えると、ほかの手話言語でも応用が利くんですね。手話言語の語彙や文法は地域によってまったく異なりますが、人の体が生み出す言語って案外似ているところもあるのかなと思うことがあります。 このあたりの直感は、もともと人類学を目指し始めたころの、「人間ってどういう生物なんだろう」という関心にもつながるように思います。これまでずいぶん多くの音声言語と手話言語に出会ってきましたが、音声にせよ手話にせよ、ヒトはとにかくコミュニケーションを楽しむ動物なんだなという全体的な見方が、私の底を流れています。【西井】 ほんとうに、ろう者の手話は音声言語と同じようにものすごく雄弁で、楽しそうに見えますね。どうもありがとうございました。

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