FIELD PLUS No.1
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28Field+ 2009 01 no.1 後に手話に関する調査に関わっていきますが、マイノリティによるマジョリティとの距離の取り方や戦略という研究テーマは似かよっています。狩猟採集民の人たちと長く付き合った経験が、きっと私の興味の底にあるのでしょう。そういうことは、後から振り返ると分かることなのですが。〈アフリカの手話の世界へ〉【西井】 手話は、いつごろからされていたのですか。【亀井】 博士課程に入ったときにサルからヒトへと研究テーマを大きく変えましたが、ちょうど同じころです。修士課程修了の発表が終わってぽかっと暇になったときに、偶然がいくつか重なって、京都で日本手話の勉強を始めたんです。だからその年というのは、アフリカには行くわ、日本手話と出会ナイジェリアのイバダン市で、公立ろう学校を見学(2006年)。ナイジェリアのろう者キリスト教センターに保管されている、ろう者の歴史に関する膨大な文献を調査する(2006年)。ナイジェリア最大の都市ラゴス市のろう者の教会を訪問、プレゼントをいただく(2006年)。うわで、考えてみればたいへんな年でした。【西井】 ここで大きな転換があった。【亀井】 ぽかっと暇になったのがいけなかったのかもしれません(笑)。【西井】 それで今にいたるんですね。【亀井】 はい、かねてからの漠然とした人間に対する問題意識が、具体的なテーマに結びついたという感じです。ちょっと新しいことをやってみようかなというときに、近所で『音のない世界で』というフランスのろう者のドキュメンタリー映画の上映がありました。知人が「無料のチケットが1枚余っているから、行くか?」と言うので、「ただなら行こうかな」ともらって行きました。ろう者たちの独自の言語と文化の世界があるということを伝える、メッセージ性のある映画でした。 ろう者たちが、私たち耳の聞こえる人たちのおよび知らないところで自分たちの言語の世界をつくっていて、逆に聞こえる人たちの身勝手なふるまいを冷ややかな目で見ていることもあるなど、これまでまったく知らなかった世界に出会ったような気がしました。それなら、ちょうど暇もできたことだし手話に触れてみようかなと思い立ち、日本手話の勉強をしました。ただ、じきにカメルーンに調査に行く話が決まりましたので、日本手話の勉強は中断してアフリカに渡ります。【西井】 アフリカでの手話との出会いは。【亀井】 アフリカに行ったら行ったで、向こうにもきっとろう者の手話や文化があるだろうと期待していたので、チャンスがあれば出会いたいなと思っていました。すると案の定、ろう学校やろう者の団体、ろう者が手話で営むキリスト教会があり、そこで話されている手話の世界をかいま見ることができました。やはり世界中どこに行ってもろう者は手話を話しているのだという思いと、手話や語られている歴史、世界観などがまったく違うのだという差異への驚きと、両方を同時に感じました。【西井】 違っていて驚いたことと言うと?【亀井】 とくにびっくりしたのが、外来手話言語の問題です。日本でしたら、日本手話という歴史的に日本国内で成立した手話が話されているのですが、カメルーンの場合は1970年代ぐらいにアメリカ手話がもたらされ、90年代になって新しくフランス手話を教える学校が現れ、というふうに、よそから手話がもたらされて教えられることが当たり前になっていたことです。 外来手話言語については、地域のろう者たちが歓迎していないこともあったり、また時には、すっかり定着してしまってもはや外来手話とすら思われていないケースもあったりしますので、一概にはよしあしを論じられません。ただ、「日本はアメリカ手話? それとも、どこの手話を導入して教えているの?」みたいなことを尋ねられたりしますと、本当に世界観が違うなという印象を受けました。 日本にいてろう者の文化を学ぶというと、聞こえる世界と聞こえない世界の二項対立、あるいは日本語と日本手話の二項対立という図式でとらえられがちです。その文脈で「異文化理解」というと、「音声日本語の世界から日本手話の世界に入る」ということを意味することになります。しかし、アフリカ諸国では、音声も多くの言語が併用されていますし、さらに手話にもいくつもの手話言語があって、外来手話がもたらされたり、あるいは一部は変容して定着していたりするのです。【西井】 手話の多言語状況ですよね。【亀井】 ええ、いちど手話の世界に入った後も、何回か別の手話言語集団に入っていく必要があるみたいな状況です。また、そういうことがごく自然に受け止められているという世界観にも驚きました。かといって、外来手話は出て行けというふうに、アフリカのろう者たちが外来手話排斥運動に燃えているかというと、案外そうでもなくて、一部は許容していたり一部は苦々しくとらえていたり、価値観のいろいろな温度差も見られたりします。これは、日本で日本手話の世界に入ることで異文化理解ができそうだと考えるのとは違った、いくつかの高いハードルがありそうな感じがしたので、それならき

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