26Field+ 2009 01 no.1〈ニホンザルの観察から始まる〉【西井】 まずフィールドワーク歴のお話からお聞きしたいと思います。亀井さんは、もともとは霊長類学・生態人類学を専攻していて、ニホンザルの研究から始めたと聞いたのですが、ニホンザルの研究からピグミー系狩猟採集民の子どもの調査を経て、アフリカのろう者に取り組むようになったという研究歴について、どのような経緯でそういう研究に入り、移り変わっていったのかということをお伺いできればと思います。【亀井】 どのあたりから話すのがいいのか分かりませんが、実は大学の理学部に入ったときは数学を専攻しようと思っていました。今振り返れば、こんなところまで来てしまったなという感じです(笑)。高校から大学の1、2年ぐらいまでは、すごく数学が好きでした。ただ、たとえば統計を処理したりプログラムを組んだりというような実用的な分野よりも、数学基礎論などの哲学と重なるような分野のほうが好みでした。やがて数学そのものもいいけれども、そういったことをしたり考えたりする「ヒト」という動物そのものがおもしろい、みたいに関心の焦点がずれていきます。【西井】 人間は何でこんなおもしろいことを考えるんだろうと思って、結局その人間のほうに興味が向いていったわけですね。【亀井】 そうです。進化の中でできた動物の一種なのに、何かちょっと変なことをしています。ことばを交わしたり、何か理屈をこねたり、かと思うと、ぜんぜん理屈に合わないことをしたりする。数学は秩序のある美しい世界で、それはそれでおもしろいんですが、そんなことを妄想したり考えたりするヒトという動物というのも変わっていておもしろいといった興味です。理学部で、数学、物理学、生物学などの専攻を選ぶ前のころにそういうことを考え始め、人類学の授業や実習を取るようになりました。その関連で学部生のときにニホンザルの観察を始めまして、人類学の大学院に入ってからもしばらくニホンザルを続けてみようと考えました。【西井】 修士のときですね。【亀井】 そうです。修士課程の2年間は、宮崎県の幸島というところで調査をしました。【西井】 芋洗いで有名な。【亀井】 そうですね。ニホンザルが芋を洗い始めたことで有名なところです。幸島には京都大学霊長類研究所の観察施設があって、そこでお世話になりました。サルだけが暮らす無人島に住み込んだので、サル100対ヒト1みたいな感じです(笑)。2年間といってもずっと滞在していたわけではなく、1ヶ月行っては戻り、また2ヶ月行っては戻りというふうに、大学と宮崎県を往復しながらの生活でした。【西井】 そのときには、サルの個体識別もしていたのですか。【亀井】 しました。100頭全員覚えましたよ。【西井】 誰がどういう性格で、とか。【亀井】 ええ、性格も覚えますね。【西井】 その後、博士課程に進んでから、カメルーンに行かれたんですよね。カメルーンでは、サルの調査はされなかったのですか。【亀井】 サルの調査はしていません。修士課程を修了した時点で、これからの研究はどうするのかということをずいぶん問われたんですが、やはり私はサルそのものよりも、最終的にはヒトがどういう動物なのかを知りたいという興味があるのだと思うにいたりました。サルにはずいぶんとお世話になっておきながら、失礼かなとも思うんですけれども(笑)。ニホンザルを観察していると、ニホンザルという種についてはよく分かるし、そこからいろいろなヒントも得られますが、直接人間のことを知りたいという私の関心を満たす方法としては遠回りになると思ったのです。もちろん、サルを含めた広い視野をもって、進化のプロセスなども含めて人間を理解するというのが霊長類学の目的で、その意義は大きいと思います。ただ、私はもう少し手っ取り早く、ダイレクトに人間を理解したいと思うようになっていました。〈アフリカの狩猟採集民と出会う〉【西井】 アフリカへ行かれたきっかけは何だったのですか。ガーナ東部州にある、ろう者が多く暮らす村を訪れる。聞こえる村人も手話 インタビューは8月1日の昼休みに、AA研の5階のラウンジで、星編集長同席のもと西井が主な聞き役として行いました。亀井さんはこれから1ヶ月にわたる2008年度AA研言語研修「フランス語圏アフリカ手話」の開始直前のお忙しい時期でしたが、おだやかな物腰で手話に関する初歩的な質問にも根気強く答えてくださいました。その数日後には、同じ場所でフランス語圏アフリカ手話の講師の方と、手話で研修の打ち合わせをする亀井さんを見かけました。目に饒舌にやり取りするお二人の姿が印象的でした。(西井凉子 記)インタビューアフリカの手話に出会うまで亀井伸孝 かめい のぶたか/ AA研非常勤研究員
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