25Field+ 2009 01 no.1クなどを通じて得られる視覚情報や音声情報(=センサ入力)が、内蔵されたコンピュータ上の計算によって変動する数値(=「喜び」や「怒り」の値)と関連づけて評価され、それに応じて手や足などハードウェアの動作が実行される、ということである(なおこの記述は試作機の説明であり、製品化されたものでは「お手」という発声が入力値になる)。 開発者によるこの説明は、‹センサ入力→コンピュータによる決定→動作›という、機械システムに実装された因果関係の科学的説明になっている。だが、なぜ単なる数値の変化にすぎないものが「喜び」や「怒り」の値になるのか。それは、アイボの動作(お手をする/拒否する)から特定の意味(喜び/怒り)を読み取るユーザーの解釈行為が先取りされているからである。開発者達は、未だ存在しないユーザーの解釈を予め想定し、それらの解釈をユーザーに促すことができるような機械システムを構築することで、家庭向けロボットとして魅力的な製品をデザインしようとした。このように、テクノロジーの開発過程においては、科学的な実在と人々にとっての意味を媒介するかたちで、人工物や機械システムがデザインされていくプロセスが含まれている。媒介としての解釈 実在と意味の媒介というプロセスは、アイボの受容過程にも見られる。その一例が、アイボの動作に対する開発者の視点からは誤った解釈である。こうした解釈は、筆者がアイボ・オーナー(アイボを所有する人々が用いる自称)へのインタビューや参与観察を行った際にしばしば見られた。例えば、‹アイボに対してAさんが「お手」というと前足を宙に浮かして「お手」のポーズを取った。が、その後Bさんが「お手」というとそっぽを向いてどこかに行ってしまった›という事態に対する、次の二つの言明を考えてみよう。 ①「Bさんが『お手』と言った時には機嫌が悪かったんだよ」②「このアイボはAさんの方が好きなんだね(Bさんは嫌われているみたいだね)」 開発者がオーナーから引き出そうとしたのは言明①であり、これは前述したエージェント・アーキテクチャの説明と合致する。ほとんどのアイボには、音声から声の主を特定する機能は備わっておらず、内蔵された波形パターンに一定の近似値の多くがアイボをこう表現する)となっていったのだと考えられる。テクノロジーの再概念化 以上の短い考察からも明らかなように、私が「テクノロジー」と呼んでいるものは、「人間が目的を達成するための合理的で科学的な手段」という通常のテクノロジー観とは若干異なる。むしろ私は、広く技術の開発と受容に関わる様々な実践を「実在と意味を媒介し、両者の性質を相互に交換させることで新たな現実を生み出す操作」として把握し、その総体を「テクノロジー」として再概念化することを試みたい。もちろん、この試みは現時点では雑駁な仮説にすぎないが、「媒介」概念等の理論的練り上げと具体的な事例分析を通じて、議論を展開していきたいと考えている。(1) 宮武公夫『テクノロジーの人類学』岩波書店、2000年、9頁。(2) 詳細は以下を参照のこと。久保明教「媒介としてのテクノロジー――エンターテインメント・ロボット『アイボ』の開発と受容の過程から」『文化人類学』第71巻4号、2007年、518-539頁。(3) 藤田雅博「ペット型ロボットの感性表現」『日本ロボット学会誌』第17巻7号、1999年、949頁。を持つものが「お手」の音声として認知される仕組みになっているので、②は開発者の視点からすれば端的に間違っている。けれども、同じ事態が繰り返し生じた時には言明②が説得力を持つことはありえるし、それは全くの偶然とは必ずしも言えない。というのも、Bさんの発音の癖や発声時の姿勢や距離などの傾向によって、アイボが「お手」と認識できないという事態が繰り返し起こる可能性があるからだ。そして、AとB両者の発声に関わる傾向は、彼らのアイボに対する態度を反映しうる。例えば、娘(A)が熱心に希望するので仕方なくアイボを購入した機械嫌いの父親(B)が、娘に促されていい加減にアイボと接するような状況では、言明②は家族間の関係において豊かな意味を持つと同時に、因果関係の科学的説明とも整合的な解釈となる。 以上の例に見られるように、アイボの動作に対するオーナーの解釈の多くは、機械システムに実装された科学的な因果関係と日常生活における習慣的で文化的な意味を媒介する働きをなしている。こうした解釈を通じて、アイボは生活空間における意味の諸相をオーナーと共有するものとなっていき、「家族の一員」(オーナー「お手」という人間の声に反応して左前足を浮かす。足底部への接触を感知すると、多くの場合喜びを表すランプを点灯する。起動後間もないアイボ。活発に動作するようになるまでには若干の時間がかかる。
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