FIELD PLUS No.1
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22Field+ 2009 01 no.1 あふれ出る涙をこらえながら感謝と別れのことばをかけあい、いつまでも手を振る人びとに見送られながら、数日間過ごした村をあとにする。テレビの滞在型旅行番組でよく見かける感動的な別れの光景は、ダサネッチとの別れにはない。 ダサネッチは、エチオピア、ケニア、スーダンの3国国境付近に暮らす農牧民である。ぼくは彼らの集落で4回の調査をおこなってきたが、いつも別れの場面は似たり寄ったりだ。数ヶ月の滞在を終えて町に帰る日、荷造りを始めると知り合いが集まってくる。感謝と別れのことばを言いに来たのではない。執拗なねだりの要求に来たのだ。「その皿をくれると言ってたでしょ」、「次に来るときには鍋を買ってこい」。荷物の整理に忙しいぼくが「分かったからあとにしてくれ」と言っても、やむ様子がない。こちらもいらだってきて、大声を出す。それでもやむ様子はない。 しかしぼくが家族との挨拶を終え、ザックを背負い町に向けて歩き出した途端、要求はやむ。ともに歩みを進めようという人もいない。十歩歩いて振り返ると、手を振っている人などいない。人びとはもういつもの仕事や遊びに忙しい。「ふっと切れた感じ」とはこういうことを言うのだろう。 ぼくは最初、この涙も見送りもない別れ、濃密なねだりのあとに突然訪れた乾いた別れにがっくりきた。フィールドの人と「深い」関係を築けていなかったことが、この乾いた感覚の原因だと感じたからである。しかし何度か滞在を重ね、幾人かとは親密な関係が築けたと自負できるようになっても、別れの光景は変わらない。ぼくは次第に、この別れの光景の中に、ダサネッチの他者との接し方のひとつの特徴が見て取れるのではないか、と考えるようになった。 東アフリカに暮らす牧畜民は、「個人主義的な」人びととして知られる。ぼくもダサネッチと暮らしていて、彼らの自己主張の強さ、主張の執拗さ、主張する際の呵責なさに、辟易することしばしばであった。しかし同時に彼らは、きわめてあっさりと自分の要求を取り下げたり、相手の要求を受け入れる人びとでもある。別れの際の「ふっと切れた感じ」とは、彼らの接し方が前者から後者へ突然移行したかのようにぼくが感じたことから生じた印象であろう。そして、この一見矛盾したふたつの接し方の並存にこそ、牧畜民が醸し出す強烈な魅力の秘密があるのかもしれない。 では、この「矛盾」をどのように理解することができるのか。ぼくは、彼らが日常会話でよく用いる「胃が同じ/別だ」という表現に、それを理解するための手がかりがあるのではないかと感じている。 ダサネッチ語で胃や腹を意味するゲルは、その人の身体器官だけでなく、性格や感情、真意や生命などを表現する際によく用いられる。たとえば、「胃が腐った人」はけちな人、「胃が冷える」はなにかに満足したこと、を意味する。各人はそれぞれ異なる「胃」をもち、ちがう性格で、別様な感情の抱き方をする。 ダサネッチは、自分が他者と、あるいは他者が自分と異なった主張や行為をすることを説明する際に、「自分の胃と他者の胃は別」であり、なにを行うかは「自分/他者の胃だけが決定する」と述べる。逆に、他者になにかをお願いしたり、ともに行為することを誘う時には、「われわれの胃は同じだろう」と呼びかける。たとえば、次のような事例である。 同じ村でともに暮らしている男性が、「穀物がもうない。これからなにを食べればいいのか」と金をねだりに来た。ぼくが「あんたの穀物貯蔵庫は近くのラテ村にあるから、それを開ければいい」と言うと、「一度開けるとラテ村の住人が盗んでいく」と答える。さらに「貯蔵庫の前にはあんたの娘夫婦の家があるから心配ない」と言うと、「娘といっても胃が別だ。腹が減れば盗む」と返す。ぼくが「どうしたらいいのかなぁ」とはぐらかしていると、「われわれの胃は同じだろう、どうしてくれないのか」と怒ったように言う。 この事例では、ぼくが「娘から助けを求められるだろう」と指摘してねだりを拒絶したのに対して、相手は娘であってもいまは離れて暮らしダサネッチの集落のようす。2006年は蚊が大量発生したので、政府から支給された蚊帳を家のまえに張って快適に夜を過ごす。婚資である家畜の授受について交渉する人びと。家のなかに入りきれなかった人は入り口のまえに陣取って参加する。執拗に要求をぶつけあうが、なぜか最終的に話はまとまる。ダサネッチと暮らしていて、彼らの自己主張の強さ、主張の執拗さ、主張する際の呵責なさに、辟易することしばしばである。しかし同時に彼らは、ときにあっさりと自分の要求を取り下げたり、相手の要求を受け入れたりする人びとでもある。この一見矛盾したふたつの接し方の並存にこそ、牧畜民が醸し出す強烈な魅力の秘密があるのかもしれない。フィールドノート乾いた別れ佐川 徹 さがわ とおる/京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程、AA研短期共同研究員

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