18Field+ 2009 01 no.11 サルの見方という問題 日本霊長類学の指導者であった今西錦司の最初の著書、『生物の世界』(1941)に次の一節がある。「われわれは人間的立場にあって生物の生活を理解しようとし、またその住まう世界をうかがおうとしているのである。だからわれわれに許された唯一の表現方法は、これらの生活や世界を人間的に翻訳するより他にはない。類推ということを奪われた生物学は、ふたたび惨めな機械主義にかえるより途はないのである。類推の合理化こそは新しい生物学の命であるとまでいい得るであろう。」 この本の出版から7年後に日本の霊長類学は発足する。ほどなくして目標を霊長類の社会進化の方向を探り出し人間社会の成立過程を復元することに設定し、人間社会のアナロジーから霊長類の文化や社会に関する仮説を作り、個体識別による長期観察で検証し、理論を修正するという方法論を整えた。ここでは『生物の世界』での考え以上に、「サルを人間的に見る」見方が採用されたといってよい。この文脈ではサルを一目で識別し個体間交渉を詳細に見る観察能力を要求するが、それはサルを人格的に認識することで可能になる(黒田1986)。河合雅雄(1964)は、他種動物の人格認知を日本文化の性格と関連づけ、方法と位置づけて「共感法」と名付けた。むろん、霊長類学の方法全体が日本文化の性格と関連する。 サルは研究者の言説に対して異議申し立てしない。したがって上記のような構図によって見えるものは、ポストコロニアル状況以前の、理論負荷問題や、観察者とはクレーリーなどが言う「予め定められた可能性の集合の枠で見る者」という規定内におさまるように見える。しかしフィールドにおける「見る」行為の次元はまた別物である。例えば、伊谷純一郎(1987)が、鈴木晃とサバンナで43頭のチンパンジーの行列に出くわし、その編成の見事さからそのような集団が社会単位であると直感したような「見え」は、すこぶる「伊谷的」であって一般化しがたい。フィールドワークにとっては、可能性の集合の「枠」の存在より、対象と出会う場で生じる枠の振動やずれこそが重要なのである。 とはいえ、野生霊長類の調査における方法や観察の意味はこれ以後追求されないまま、日本の霊長類学は大勢が生物学に転換し方法もそれに合わせて変わった。海外ではD・ハラウエィ(1989)が霊長類学を例に科学パラダイムの父権的性格を批判した中で、例外的な非父権的方法として日本霊長類学に注目したが、日本に反応する力はなかった。 以下では「サルを人間的に見る」観察を見直し、「見ること」の意味を自覚し追求していくことが、霊長類学の当初の目的に迫る道であることを述べる。2 サルの世界への心理的参入 私が研究してきた対象はニホンザルとアフリカの類人猿3種で、類人猿はとくにボノボに集中している。類人猿の世界に近づく観察法 黒田末寿 くろだ すえひさ/滋賀県立大学、AA研共同研究員テンは1978年当時6、7歳と推定された雄で、1984年に母親に応援されて群れを支配するオスになった。2006年に再会したとき、これも顔 なじみのタワシとともに上位ステータスを保っていた。彼らはすぐに至近距離で見られるようになったが、私を覚えていたせいかどうかわからない。ナオが見守る前で遊ぶ子供たち。木はLeonardoxa romiiで、赤っぽい若葉は村人も野菜として利用する。森の道であった子供たち。ボトフェ(Landolphia owariensis)のツルに登って実を取って帰るところ。3Haraway, D. Primate Visions: Gender, Race, and Nature in the World of Modern Science, New York : Routledge,1989.伊谷純一郎『霊長類社会の進化』平凡社, 1987.河合雅雄『ニホンザルの生態』毎日新聞社, 1964.黒田末寿「全体から部分へ」浅田彰ほか『科学的方法とは何か』中公新書, 1986.黒田末寿『人類進化再考:社会生成の考古学』以文社, 1999a.黒田末寿『新版ピグミーチンパンジー』以文社, 1999b.早木仁成『チンパンジーのなかのヒト』裳華房, 1990. ベイトソン、グレゴリー『精神の生態学』新思索社, 2000.「サルを人間的に見る」観察を見直し、「見ること」の意味を自覚し追求していくことが、霊長類学の当初の目的に迫る道である。知る
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