10Field+ 2009 01 no.1 コモロの伝統的家屋は、細い木の支柱に泥を塗った壁とヤシの葉を編んだ屋根でできている。しかし、最近では、コンクリートブロックの壁とトタン屋根をもつ家が増えてきた。ブロックの家は、セメントや鉄骨を買い、自称建築業者の村の若者たちにお金を払って建てられる。21世紀に入ってからモエリ島のN村ではブロックの家の建設ラッシュが起こり、建築途中の家があちこちに目立つようになった。もう何年もブロックが積まれたままのザイナバという女性の家もその一つだ。ザイナバが3人の子供を置いたまま、隣の仏領マイヨット島に密航者として渡って行ってからすでに8年以上になる。 インド洋の西端にあるコモロ諸島は4つの島からなる。1975年に仏植民地から独立を果たしたが、フランスが南端のマイヨット島の領有を主張し続けているため、事実上、3つの島がコモロ連合国に属し、マイヨット島はフランスの海外準県である。90年代後半になり、度重なるクーデターや経済的貧困により極めて不安定な政治が続いてきたコモロ国家が危機的状況に陥ると、対岸に霞んで見えるお金持ちの世界への入口であるマイヨット島へと脱出する人々が多くなる。さらに、95年にフランスがマイヨット島の国境を閉鎖して渡航ヴィザを課してからは、密航という形での移民が急増した。小さな密航船が難破する事故が多発しているにもかかわらず、密航者の流れは増え続けている。 人口2000人ほどのザイナバの村からも約100名以上が密航していった。圧倒的に多いのは若い単身女性である。女性たちの目的の1つは、出生地主義の仏領マイヨット島で子供を産むことだ。そのために大きなお腹を抱えて密航する女性や、マイヨット島で父親をお金で買う女性もいる。また、いずれ故郷に戻るつもりで、出稼ぎ目的で密航する女性たちも多い。密航女性は家政婦や愛人としてお金を稼ぎ、家族に送金し、故郷の村に家を建て、テレビや冷蔵庫を手に入れると帰ってくる。 ザイナバが密航した第一の目的は、娘のために家を建てることだった。40代半ばのザイナバには2人の息子と1人の娘がいる。3度結婚したが、3度目の結婚が破綻した後、子供たちを親族に預けてマイヨット島に単身で渡ることを決意する。先に密航した友人の女性に稼げると聞いたからだ。イスラム社会でありながら母系的慣習があり、妻方居住婚を行うコモロ社会では、花嫁の父親が婚資を受け取るかわりに新居を建て、土地や家は女性が相続する。ザイナバは、父親がいない娘が年頃になり結婚するまでには、自分が家を建ててあげたいと思ったのだ。 アラブ人の密航請負人に金を払い、小さなエンジン付ボートで暗闇の中をマイヨット島に上陸したザイナバは、運よくマダガスカル系の商人の家で家政婦として働く口を紹介してもらい、その後2年あまり住み込みで働くことができた。稼いだお金の一部は、子供たちに送金し、その一部は自分の土地に家を建てるための費用となった。お金が送られてくるたびに、セメントのブロックが積み上げられていった。故郷の家族は、ザイナバの仕送りに期待を膨らませ、だんだんと高くなる家の壁の写真を彼女に送った。 その後、ザイナバは元警察官だった高齢の男性と結婚する。年金をもらう高齢者は、密航女性にとって愛人や結婚相手として選ばれるケースが多い。だが、暴力をふるわれ、目上の人に対する敬語での挨拶を命令されたので、すぐに家を出てしまった。それからは苦労した。よい仕事が見つからず、生活することも困難になった。不法滞在者の取り締まりも厳しくなった。借りていた部屋の家賃も払えなくなり、見かねた友人の家に住まわせてもらい、家事手伝いをして暮らしている。電話では連絡をとっているが、もう8年も子供たちに会っていない。「家を建てるお金ができたら、早く帰りたいわ」とザイナバはいいながら目に涙を溜めていた。 海岸の砂を使ったコンクリートブロックは脆い。雨水により塩分が溶け出し、穴が空いてしまう。ザイナバの建築中の家に積まれたブロックも、雨風によりその一部が崩れてしまっている。ザイナバが帰ってくるまでに、家は完成するのだろうか。コンクリートブロックを高く積んで花渕馨也はなぶち けいや/北海道医療大学、 AA研共同研究員稼かせぐ、働く、移動するコモロ諸島自称建築業者の若者。何年も建築が止まったままの家。海の向こうにはお金持ちの国がある。
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