FIELD PLUS No.1
11/36

9Field+ 2009 01 no.1 いつまでたっても親の家に寄生(パラサイト)し、親の財力に頼って生きる。「頼る」とかパラサイトという言葉は、他人への依存、半人前、立場の弱い状態といったイメージを喚起させるだろう。では、「たかる」はどうだろうか。脅しや涙など何らかの手段を使って、他人から金をまきあげる――同じ他人への依存でありながら、どこか戦略的なイメージだ。ここでは当人が自立しているかどうかという問題は棚上げされて、とにかく自分の必要や目的を満たす際に相手の金を使ういやらしさ、ずるがしこさが目立つからだろう。実際には、「頼る」と「たかる」は紙一重のように思える。ただ私の調査地、パプアニューギニアでは、明らかにたかっているとしかいえないような人々が多くみられる。 一般的にパプアニューギニアでは、金持ちはよくたかられる。これは、生活をする上で現金が不可欠になっている都市部でしばしばみられる光景である。財力のある人の家には、決まって多くの近親縁者が居候している。経済力なき居候者たちは、金持ちが交通費とか食事代などの面倒をみてくれるのを当たり前のように考えている。親族・同胞とは助け合うもので、持つ者が持たざる者に施しを与えるのは良い振る舞いであり、美徳とされる価値観がこの背景にあるからだ。金持ちへのたかりは、この「文化」によって容認・助長されているようである。貧乏な村人が「金をくれ」と言っても、都市の金持ちは「お前、働けよ!」とキレたり、くどくど説教したりはしない。 さて、ここで注目したいのは、シングルマザーによるたかりである。離別・離婚、あるいは相手男性が生計を放棄したことによってシングルになった女性の一部は、相手から自分の生活費や子供の養育費を払ってもらっている。いや、払わせているといったほうが正確だろう。というのも、相手男性は払う意思などさらさらないのだが、裁判所の命令のもとで仕方なく払っているからだ。もちろんこの国家権力を利用するには、公式の裁判手続を通じて認定を受けなければならず、それなりの労力を要する。 養育費は子供が成人するまで続けられるが、定期的に支払う男性はほとんどいない。だが途中で支払いが滞っても、積み重なっていく延滞金は裁判所の記録には残る。長い期間、放置されていた延滞金が突然、請求されることも珍しくない。この訴訟では、延滞金を払わなければ、懲役(最長で1年間)を課すことができる。実際、私の友人男性の1人は刑務所に送られた。多くはその場しのぎにまとまった金を払い、刑を逃れる。こうしたやりとりが、女性主導のもとで、繰り返されていくのである。たかるシングルマザーパプアニューギニアの女性はちゃっかり者?!馬場 淳ばば じゅん/日本学術振興会特別研究員、AA研共同研究員パプアニューギニア こうみるとシングルマザーの生活が貧窮しているかに思われるが、実際にはそうでもないのだ。とくに村の生活では現金が不可欠なわけではないし、自分の親や兄弟姉妹、シンセキとの濃密なつきあいがセキュリティネットになって、食いはぐれる心配はない。例えば、ここに掲載した写真は3人のシングルマザーが1つの世帯を形成している様子を示している。ここ数年間、メイ(写真右前の若い2人、実の姉妹)は実家を離れてオバ(左奥)の家に身を寄せ、本当の家族のように暮らしている。パプアニューギニアの柔軟な世帯構成は、生活上の負担を解消・緩和するのに役立っているわけである。訴訟をおこす女性は実際にはまだまだ少ないのだが、それは裁判の面倒臭さや相手男性の支払い能力の有無(無職の村人を訴えてもしょうがない)などのほか、シングルとなっても深刻な貧窮に陥らないということにもよる。逆にいえば、訴訟をおこすシングルマザーは、これらの事情を棚上げして、相手の男性から金をまきあげていることになる。 訴訟で得たお金をどう使うのかは、彼女たち次第である。ある男性はこういう。「あいつは娘のために金を使っていない。娘の金を自分のものにしている!」と。ここには、養育費の名目でたかる相手女性への憤慨が込められている。しかしそれが正しいとしても、たかり方そのものは合法的であり、反論の余地がない。男性たちからみれば憎ったらしい限りなのだろうが、彼女たちのしたたかさに感心するのは私だけではないだろう。協力し合い、ともに暮らすシングルマザーたち。

元のページ  ../index.html#11

このブックを見る