FIELD PLUS No.1
10/36

8Field+ 2009 01 no.1 私がフィールドワークを行ったフィンランドのある地方自治体を、仮に群島町と呼ぼう。「フィンランドにしては」暖かく、大小の島々が連なる風光明媚な群島町では、大勢のお年寄りが独居している。そうした人々の家を訪問介護するケアワーカーに同行していた折に、私はサイラと出会った。 町役場の裏の高層住宅に暮らすサイラは104歳で、子供はいない。旦那さんは30年以上前に亡くなってしまった。たまに姪っ子が訪れる他は、親戚とのコンタクトもない。そんな「天涯孤独」と言ってもいいような彼女と最も頻繁に接触しているのは、行政の訪問介護サービスのスタッフ達だった。 サイラの家には、1日に3回ケアワーカーが訪れる。朝は、顔を洗って着替えをし、トイレで排泄を済ませるための介助が必要で、夜にベッドへ横になって寝心地がいいように枕を整えるのにも手助けがいる。3度の食事の準備、買い物といった基本的な必要はすべてケアワーカーが代行する。 フィンランドでは、お年寄りと子供世代は別居するのが一般的だ。子供は大学に入学したと同時に両親の家を出る。仕事を退職し、配偶者に先立たれたお年寄り達は、行政を始めとする福祉サービスの支えを得て、自宅で暮らし続けることとなる。北欧といえば、その「進んだ」福祉制度で有名であるけれども、福祉国家の財源は無限大ではない。在宅での介護が推奨される傾向にあるのは、経費節減の意図がある。 サイラのように身の回りのすべてについて誰かの世話が必要な状態でも、独居しているケースが多いことの背後には、そうした行政の事情もあるのだ。彼女の他にも、例えば、徘徊を伴う認知症であるような人までが、独居生活を続けていた。そこでケアワーカー達は、お年寄りの生活の全側面をサポートすることになる。 ケアワーカーのティナは、サイラの家を午後に訪れる時はいつも、一緒にトランプでソリテアをする。「今年の夏はいい天気が続くかしら?」「今週は楽しい週末が過ごせるかしら?」簡単な願を掛けてトランプのカードを配り、上手く行ったら願い事が叶うというわけだ。サイラはいつも熱心にカードの配置を追っていた。 朝の訪問で彼女が身支度を整える手伝いをし、慌しく次の家へ移ろうとすると、サイラが熱心に「コーヒーを飲んで行け」と勧めてきたこともある。「午後に一緒に飲みましょう」とティナが約束すると、午後の再訪問の折には、自分自身ではトイレに行くことも出来ないサイラが優に5人分はあるコーヒーを用意して待っていたのだ。 サイラにとって、ケアワーカー達は殆ど唯一の日常的に接触する友達であり、家族だったのかもしれない。ただ、それで本当に彼女は幸せだったのだろうか? 2008年の夏、群島町を再訪した私は、サイラの近況を知った。 ――サイラは今年の春に亡くなったのよ。朝、窓を開けようとして、転んで頭を打ったようなの。そのまま病院に運ばれて、3週間ほどで亡くなったわ。 ティナは改まった顔つきで言って、それから付け加えた。 ――でも、彼女がほとんど最後まで自宅で過ごすことができて良かったわ。 私には分からない。事故のような形で命を落とすことが、本当によかったのだろうか? 施設に入っていれば、少なくとも自分で窓を開けようとすることはなかったのではないだろうか? 独居状態にあるお年寄りが年を重ねていく以上、自分の体に危害を与えてしまう可能性は常に内包されている。ベッドから降りる時に転んでしまうことや、認知症が悪化して冬の夜中に外出してしまうことを、ケアワーカーが100%未然に防ぐことはできないからだ。そこで、危険な事故を経験し、これ以上は自宅生活を続けていけないことが明らかになってから、より手厚い介護を受けられる施設へと引っ越していく。 ただ、サイラはあまりにも高齢だった。24時間のサービス付住宅に引っ越しても、長い年月を過ごすことはできない。それなら、住み慣れた自宅で暮らし続けた方が良いだろう。周囲の人々のそうした決断を、私も否定することは出来ない。たとえサイラに親族の支えがなかったとしても、ケアワーカー達との交流を私も確かに目にしてきたのだ。 多分、介護をする人間が専門家であれ家族であれ、年を取っていく人を支えることに、完璧な方策などないのだろう。それは、各国の福祉制度について、「進んでいる」とか「遅れている」といった言い方をすることに意味がないことの理由でもある。誰もが年を取れば誰かの支えを必要とする。けれど、完全無欠のサポートなどというものは存在せず、私たちは誰もが、ひとりで不安を抱えながら生き続けているのだ。ひとりで老いていくということ髙橋絵里香たかはし えりか/東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程、AA研共同研究員フィンランド支える、頼る、たかる夏の公園で。ケア付住宅群の食堂から歩行器を使って帰る。ケアワーカーとグループホームの居住者。雪に埋もれて主の帰りを待つ歩行器。

元のページ  ../index.html#10

このブックを見る