グランドキャニオンの先住民    

ワラパイの人々と言語     

中山(市橋)久美子(モントクレア大学客員研究員)

ワラパイ族

 ロスアンジェルスから州間高速自動車道の15号線に乗って北東へ進み、途中40号線に乗り換えて走ること約六時間。カリフォルニア州からアリゾナ州に入ってしばらくすると、キングマンという比較的大きな町にたどり着く。ここから、40号線をはずれ、まだ全国的に高速自動者道が整備される前に東西をつなぐ幹線道路としてひかれた旧66号線にはいる。すぐに、まわりには低木や草がはえているだけの乾燥した土地が見渡す限り広がり、ぽつぽつと現われる建物や小さな集落をぬけて一時間近く走ると、そこはワラパイ族の地。U字型をしたワラパイ族保留地のほぼ南端に位置する保留地一の町ピーチ・スプリングスにたどり着く。ここは、かつてはアメリカ大陸横断鉄道も走り、新しい生活への期待に胸をふくらませアメリカ中部から西部へ移住する人々でにぎわった時代もあったが、やや南を迂回するようにつくられた40号線の開通やその他の交通手段の整備にともなって、いまではあまり訪れる人もいない。町のほとんどの住民はワラパイ族の人々。現在のワラパイ族の人口約1400人のほとんどがこの町に居住している。

 ワラパイ族の保留地は、アリゾナ州の北西部を北東から南西に向かって流れるコロラド川の南岸に沿って広がる。その壮大な景観で世界的に有名なグランドキャニオンの西の端に位置し、一般の観光客が多く訪れる中心部に劣らない美しい大渓谷の眺めが楽しめる。100万エーカーに渡る土地は1883年にアメリカ政府によって保留地として定められたものだが、ワラパイ族はかつてはその10倍ほどの、大渓谷南岸全域を含む広い地域に分散して居住していた。

 ワラパイは、言語学的にはカリフォルニア州南部からメキシコ北部の太平洋岸沿いの地域からアリゾナ州西部にまたがって分布するユーマ語族の一つ。そのなかでも、すぐ東に保留地をもつハバスーパイ族と、南のヤバパイ族との言語的関係はとくに近く、前者とは95%、後者とも85%ほどは相互理解が可能だという。比較的「南方」に位置するユーマ語族であるが、実は、北はオレゴン州にまで及ぶ太平洋岸に点々と存在する様々な小数語族と同じ「ホカ系」という言語系統に属するというのが、現在の一般的な見方である。

先住民の生活

 ワラパイ族のかつての居住地だった地域は、渓谷の底から山岳部まで標高的にもかなり変化にとんだ地形を含み、そのため多種多様な植物資源が豊富であった。多くは砂漠地帯、とはいっても、一面砂ばかりというわけではなく、乾いた土壌に灌木が点在している荒野であり、そこでは各種のサボテンや草花の茎や実が、また河流域や山岳地では[juniper/juniperus]の実や[=pinon pine tree/pinus edulis]傘などがそれぞれ季節に応じて収穫された。伝統的にこれらの採集は女性の仕事であり、火でいったり、粉にひいたり、練ってペースト状にしたものをのばして乾燥させたり、保存用も含めて、重要な食料源となっていた。また、これらの植物は、薬品や、衣服および生活用品の材料としても使われていた。これに対して男性は、うさぎ、鹿、山羊や七面鳥などの鳥を狩猟することにより、その肉や皮で一族の衣食をささえていた。

 このように自然の資源に大幅に頼る生活ではあったが、わずかな水源地を利用して、近隣のプエブロ原住民の村で使われたような灌漑設備を駆使し、かぼちゃ、豆、すいか、麦などの栽培も行われていた。

 このころには採集や狩猟活動に都合がいいように、数家族がグループをなして共同生活をしていた。季節によって、採集できる植物や場所が異なるために、グループ単位で毎年決まった順路で居住地内を移り住んでいた。そのため、住居はいつも「仮の宿」で、窪地を枝木で簡単に覆ったり、岩壁の洞窟を利用したりした簡単なものだった。

 ワラパイ族の人々は、アメリカ大陸の他の先住民にもよくみられる選民思想的な信奉にもとずき、自分たちのことを「パイ(=「人間」)」と呼んでいた。口承伝説として伝えられる創造神話によると、最初のワラパイ人は創造者(またはその声に導かれた者)によってコロラド川べりにおかれた植物の茎[どの資料にも'canes(growing in the water/on the river bank)'としかありません]の束からつくられ、周辺民族は(言語的に見て同系統のものもそうでないものも)、その元祖ワラパイ族 から追放されたり、移住していった人々だという。現在の呼称「ワラパイ」((「ワ ラ」=「松の木の一種[=ponderosa pine/pinus ponderosa」)+(「パイ」=「人間」)=「松の木の人々」)は、実は部族のある一部の集団を指す名称だったのが、周辺民族、のちには白人によって、部族全体の総称として使われるようになった。  

白人社会との遭遇 

 北にはクランドキャニオンという自然の城壁、東には軍事的に強力なアパッチ族やナバホ族がひかえていたため、ヨーロッパ人の西方進出からおのずと守られるかたちになって、ワラパイ族の白人社会との接触は比較的おそかった。それでも1860年代にアリゾナ州の中心部で金鉱が発見されると、その地に急速にふくれあがった白人人口を支えるための物資が、コロラド川下流から陸路ワラパイ族の居住地を東西に横切って運ばれるようになった。それと同時に、この物資補給隊とワラパイ族の衝突が何度となく起こるようになり、ついに1866年、アメリカ軍との「ワラパイ戦争」が始まった。しかし武力的に不利であったワラパイ族は降伏をよぎなくされ、その後数年にわたって収容所生活を強いられることになる。居住地を移り住みながら生息する植物や動物を生活の糧にしていた民族にとって、不毛の地にもうけられた狭い収容所での生活は非常に厳しく、疫病や飢えなどで人口は数百人にまで激減した。民族絶 滅の危機に瀕したワラパイの人々はやっとの思いで収容所から逃亡し、もとの居住地に戻ったものの、すでにその地を接収していた白人の過剰放牧や採鉱によって生体系はすっかりみだされており、その後昔ながらの自然の恵みに支えられた生活に戻ることはなかった。

ワラパイ語の構造と特徴

 ワラパイ語は、日本語と似通っている点もあり、日本人には比較的理解しやすい言語ではないだろうか。語彙や構造的特徴が近隣のユト-アズテック語族と共通している部分が多いのは、言語系統が同じためではなく、交易などを通じての接触が多かったためと見られている。

 音韻体系はそれほど複雑ではなく、日本人に耳慣れない音はあまりない。逆に、有声音と無声音の区別(「た」と「だ」、「か」と「が」などの区別)がなく、かわりに一部の子音で有気音(強い息のはき出しとともに発音する音)と無気音の区別がある。この有気音と無気音の対立は、対象となる事物の大小や強弱の違いを表わす音声象徴(サウンドシンボリズム)に使われることもある。表記には、後述する二重言語教育の一環で英語のアルファベットに似たものが開発され、言語の記述に使われている。

 語彙には、「パン」や「さとう」などの加工食品を中心に、スペイン語からの借用語が見られる。アメリカ人以前にアリゾナからニューメキシコ一帯を支配していたスペイン人との直接の接触はほとんどなかったことから、これらの語は、当時交易の盛んだったユト-アズテック語族を介して実際の品物とともに入ってきたものと思われる。近代技術を表わす語はその働きの叙述によって合成されている(例えば、「カメラ」=「人を写す道具」、「冷蔵庫」=「物を冷たくする道具」)。

 距離および方向をあらわす表現は細かくわかれていて、日本語の「こ、そ、あ、ど」や「行く」と「来る」の対立に似た表現がみられる。また、所有表現においても、何を所有しているかによって(例えば、譲渡可能なものかそうでないか)その表現方法が異なる。

 語順は、日本語と同じ、主語-目的語-動詞の順。ただし、これも日本語と同じように、実際の話し言葉の中では名詞、特に主語は省略される傾向にある。日本語では、文脈や、敬語をはじめとする他の表現によって、省略された主語が類推されるわけだが、ワラパイ語では、もちろん文脈も大きな助けではあるものの、主語が前の文のものと同じかどうかを示す「指示交替(スイッチリファレンス)」と呼ばれる特別のしくみがある。例えば、次の2つの文章を比べて見よう。

 1:「ケーキをつくって、食べた」

 2:「ケーキをつくったら、食べた」

日本語では、接続詞「て」と「たら」の性質によって、主語は省略されているにもかかわらず1ではケーキをつくった人と食べた人が同じ人(同じ主語)で、2では違う人(違う主語)ということがわかる。ワラパイ語では、主語の同異を示すことを専門にする要素があって、日本語の接続詞にあたる位置に「k」という要素がつけば同じ主語、「m」がつけば違う主語ということになる。

二重言語・二重文化教育

 ピーチ・スピングスの公立小中学校では、ワラパイの言語と文化の保護・伝承をめざし、1975年以降政府の補助金を受けて、コンピューターや視聴覚機器も導入した二重言語・二重文化教育が積極的に推し進められている。多くの先住民言語が消滅の危機に直面しているのに比べ、ワラパイ語の保持状況はきわめて健康的で、話者である人々がみずから中心となって、言語学者らの協力のもと、辞書、文法書、文化を紹介する小冊子など、数々のワラパイ語の教材を開発、出版している。同時に、近隣諸部族と協力しての教育者養成講座も毎年開かれている。

 現代アメリカ社会に組み込まれる過程で、純粋に伝統的な生活様式は失わざるをえなかったものの、何百万年もの間何者にも侵されることなく毅然と存在してきたクランドキャニオンの地の先住民族として、これからもその言語や伝統保護の引き続いての成功を願い、また私も言語学者として微力ながらお手伝いができればと思うのである。 キャプション: 写真1 クランドキャニオン 写真2 ワラパイ族のおばあちゃんたち。ベティー・ウェスコガメさん(左)とメア リー・ジェーン・ワレマさん。ピーチスプリングスの小学校で二重言語・二重文化教 育に協力して、子供たちに手芸などを教えていた。