極北の遊牧民チュクチの言語と文化

         呉人徳司  (東京外国語大学助手)

民族の踊りを披露する女性 チュクチ語インフォーマントのゲウトワリおばさん トナカイの角を切り取る男たち 民族衣装を身につけた子ども

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チュクチ語との出会い

 私がチュクチ語の現地調査を始めたのは、今から六年前のことである。1990年10月に故郷の中国内モンゴル自治区を離れて来日し、北海道大学で言語学を勉強する機会に恵まれた。この新しい環境で私はこれまで専攻してきたモンゴル語学の研究を続けるべきか、それとも何か新しい言語に挑戦すべきか、という問題に直面した。しばらく悩んだ末、「どうせやるなら、モンゴルからはまったくかけ離れた地域の、未知の民族の言語と文化に取り組んでみよう」と決めた。こんな素朴な思いで、チュクチ語を研究対象に選び、大学院修士課程入学後まもない1992年7月、白夜が続く北極圏の土を生まれて初めて踏んだのでのある。

 チュクチ語はアジア大陸北東端、チュコト半島を中心に分布する、話者数約12000人の言語である。この数は、我々には非常に少なく思えるが、周辺の同系のコリャーク語、イテリメン語、あるいは異系のユカギール語、アジア・エスキモー語などの中では最大の話者数をほこる言語である。

 チュクチはその多くが、チュクチ自治管区の八つの地区に居住し、ごく一部が隣接するコリャーク自治管区アリュートル地区およびサハ共和国の下コリマ地区に居住している。チュクチ族は現在、地理的位置および生活様式によって、おおよそ二つのグループに分かれる。一方は、広大なツンドラ地帯でトナカイを追って遊牧する「トナカイ遊牧民」であり、もう一方は北極海の一部であるチュクチ海やベーリング海の海岸地帯に居住し、漁労活動や海獣狩猟を営む「海岸定住民」である。「チュクチ」という民族の名称は、このうち前者の自称である「トナカイ遊牧民 cawcw」に由来する。したがって、後者の「海岸定住民」は、その居住地域を反映した別の自称 aqaln「海の人」をもっている。この二分類は言語的には、東部方言と西部方言という分類にほぼ対応する。

 私はこのうち、これまで記述研究がほとんどなかった西部方言について、これまで9回の現地調査を重ねてきた。最初は村のチュクチ族の家に住み込み、主にお年寄りからチュクチ語を習っていた。が、次第にチュクチ族のトナカイ放牧の本拠地であるツンドラにも調査範囲を広げ、トナカイの毛皮で作ったテント、ヤランゲ(jaraに寝起きして、体中トナカイの毛だらけになりながら、チュクチ語の勉強を続けた。本来の言語学的調査とは別に、調査の合間に年寄りたちが語ってくれるチュクチの昔話も実に楽しく、録音しておいたこれらの話を、毎晩家の人たちが眠りについた後、一人でヨロンゲ(joroというヤランゲの内部にある小さな内テントのなかで何度も繰り返し聴いては、極北の白夜を過ごしたものだった。

チュクチ語の特徴

 チュクチ語は、北東アジアにありながら、日本語、朝鮮語、アルタイ諸語といった我々に身近な言語とは大きく異なる特徴を持っている。まず音韻面では、独特な母音調和という現象がある。母音調和とは、母音が二つの系列に分かれ、一語の中には同系列の母音(中立母音はいずれとも)しか共起できない制約のことであり、トルコ語やモンゴル語といったアルタイ諸語でよく知られた現象である。これらの言語では、語幹の母音がどの系列に属するかにより、接辞(主に接尾辞)の母音の系列もこれに準じて決まる、いわば一方向的なものである(例えば、モンゴル語のax-aar-aa「自分の兄によって」x-r-「自分の母によって」)。一方、チュクチ語の母音調和はこれとは異なり、母音が強弱の二系列に分かれ、強母音を含む形態素が語幹か接辞のいずれかにかかわらず、弱母音を対応する強母音に同化させる両方向的なものである(例えば、plak-qas「ブーツの片方」, plek-t「複数のブーツ」)。   形態面では、チュクチ語は一語に多くの形態素が組み込まれうる複統合的な言語である。例えば、日本語で「私は鍋を水でゆすいだ」という文は、チュクチ語では t-kuk-iml-nilu-γek という一語で表せてしまう。すなわち、この語は、「私」を意味する接周辞 t--γek の中に、「鍋」、「水」、「ゆすぐ」をそれぞれ意味する語幹 kuk、iml、nilu が合成されて組み込まれている。また、「私はトナカイ肉を食べている」という文も、n-qoratol-o-m という一語で表されてしまう。すなわち、この語は現在時制を表す接頭辞 n-、名詞語幹 qoratol「トナカイ肉」「食べる」を表す接尾辞 -o「私」を意味する接尾辞 -m からなるが、通常、自立語幹で表される動詞的な概念が -o のように接尾辞で表されうるのである。このように、複数の名詞や副詞を動詞に合成させて新たな一語を作る、いわゆる抱合(incorporation)や、具体的な動詞概念をもつ接尾辞の存在がチュクチ語の高い統合性を保証しているといえる。

トナカイ遊牧文化を映す語彙

 私が調査してきたトナカイ遊牧民チュクチの生活は、漁労をその主な生業とする海岸定住民のチュクチとは異なり、トナカイ橇に乗り、トナカイ肉を食べ、トナカイの皮を衣類、テント、投げ縄、橇の紐などの材料として用いるなど、トナカイという動物資源の徹底的な利用によって支えられている。このようなトナカイへの依存度の高さは、言語的にはトナカイをめぐる民俗語彙の細分化として反映されている。例えば、トナカイ肉は、チュクチ人にとって日常の食糧として、一年を通じて欠かせないものであるが、加工方法によってその名称が細かく分類されている。まず、トナカイ肉の包括名は qoratolqora 「トナカイ」,  -tol 「〜の部分」)と呼ばれる。また、加工されてない生肉は tekisγn と呼ばれる。一方、加工方法によって、ゆで肉は er干し肉 kkwatol(るいべ用)冷凍肉qitqit焼き肉 iner薫製肉wiltul と別々の名称がある。ここで、これら加工方法による五種類の肉の名称が、トナカイ肉 qoratol生肉 tekisγn からの二次的派生語ではなく、すべて異なる語幹から形成されていることに注目したい。同じ肉が別物として認識されるほどの強く濃密な関心を読みとることができるであろう。

 「肉」一般を表す名称の細分化とは別に、各部位名称も細かく分節される。同じ部位の肉であっても、どのような加工法をとるかによって、異なる名称が与えられることがある。例えば、寛骨部の肉を骨なしの干し肉にする場合は、その上半部を ewnmalγn、下半部を walln という。しかし、骨付きのゆで肉にする場合には上半部は pawettmn、下半部は wewelγn と呼ばれる。

 肉のみならず、骨もチュクチ族にとって貴重な脂肪源であることを反映して、細分化された語彙を有する。特に、胸骨(maso)は さらに、taqalγn、kltn、worwttkn、ttmn、γetjorγn という六つの部分に下位分類される。この部位の骨は、特に脂肪が豊富で利用価値が高いのである。

チュクチ語の将来

 ここ数年、世界各地で危機に瀕した先住民族の言語に関する関心が高まっているが、チュクチ語の状況もまた決して楽観できない。

 チュクチ語は、1936年にキリル文字による正書法を導入し、チュクチ語による新聞、民話集、小説などが数多く出版された。また1960年代からは小学校からチュクチ語を教える教育が始まり、これまでかなりの効果をあげてきた。周辺の少数民族の言語で正書法が十分浸透せず、学校での民族語教育が成功していないのに比べれば、チュクチ語はよく保存されているといえよう。ちなみに、年輩の人のみならず、30代、40代でもまだチュクチ語を母語とする人も多い。とはいえ、白人が多数を占めるこの地域では、一方ではロシア語への同化も確実に進んでおり、30代以下の若い世代では、ロシア語しか話せない人も増えていることも、また事実である。60年代から急激に移住してきたロシア人、ウクライナ人などの白人によって、村が作られ、ツンドラの親のもとにいたの幼いチュクチ族の子ども達が親から引き離されて寄宿舎に住まわされ、ロシア語による教育がおこなわれたのが、チュクチ語の衰退を招いている主な原因であると考えられる。私が訪れるリットクチ村とヤンラナイ村もその例外ではない。60年代に村の保育園でロシア語教育を受け、ツンドラの親たちからチュクチ語を受け継ぐことができなかった人たちは、今、親になっても、もはや自分の子どもたちに民族のことばを伝えることができなくなっている。この二つの村の学校では、チュクチ語が堪能な先生が、週に30時間を越えるチュクチ語の授業を持ち、懸命にチュクチ語を教えている。しかし、家庭でチュクチ語が使われることがないため、授業が終わってしまえば、再びロシア語の世界に戻ってしまう。チュクチ語は学校の授業でしか学ばない第二の言語になってしまっているのである。

 村の子ども達は、ことばだけではなく、ツンドラでの厳しい自然条件に適応対処していくための生活技術や、民族独自の豊かな伝統文化もまた親から受け継ぐことができない。村での安易な生活に慣れてしまった若者達の中には、ツンドラでの厳しい労働を好まず、親の元にも戻らず、そのまま村で中途半端な生活を送るものも少なくない。

 民族のことばを失うことは、民族としてのアイデンティティを失うことにもつながる。中国という大国に生きる一少数民族出身の私には、このようなチュクチ族の直面している現状は、決してひとごととは思えない。私がチュクチ語にこれまでにのめり込むようになったのも、チュクチ語そのものの面白さとともに、同じ少数民族としての共感が根底にあるからかもしれない。

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