コリャークのことばと自然観     

呉人(一ノ瀬) 恵  (富山大学助教授)

筆者とコリャークの青年 民話を語るコリャークの女性

トナカイレースに向かう光景(放牧地から1週間かけて到着する)

祭りの一風景(お湯を湧かすレース) キノコとベリーを摘み、薪を集め帰宅途中のコリャークの男性、ジャジャ・ヴァロージャ その妻、インフォーマントの女性、チョチャ・イーラ

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調査地に入る

 コリャーク語は、カムチャツカ半島の北部、コリャーク自治管区を中心に話されている話者数4500人あまりの言語である。いわゆる古アジア諸語の一つで、周辺のチュクチ語、イテリメン語などとともにチュクチ・カムチャツカ語族を形成している。我々日本人には馴染みがないが、旧大陸の周辺の言語のみならず、新大陸のインディアンの諸言語とも共通の特徴をもち、いわば新旧両大陸の橋渡しをする重要な言語であることはつとに指摘されてきている。

 私は1993年から毎夏、このコリャーク語のフィールドワークを、1年目はマガダン市で、その翌年からは、マガダン市から北東にプロペラ機で1時間半あまりの、ペンジナ湾をはさんでカムチャツカ半島の対岸、タイゴノス半島にあるチャイブハという小さな漁村でおこなってきた。ここは、コリャーク自治管区を中心とした従来のコリャーク語研究では、いわば忘れられていた地域である。チャイブハは詳しい行政区分でいえば、マガダン州セヴェロ・エヴェンスク区チャイブハ村といい、マガダン州で唯一トナカイ遊牧を営むコリャーク族が居住するパレニ・ソフホーズの行政の中心地である。もっとも、村人の大半はロシア人で、純粋なコリャーク族を名のる人は数えるほどしかいない。

 調査にインフォーマントとして協力していただいたのは、ケチゲルフト・イリーナ・ゲルゴリタゴヴナさんという、1936年生まれの穏和で心優しい女性である。ロシア人、コリャーク族を問わず、村人たちに「チョチャ・イーラ(イーラおばさん)」といって親しまれ、小さな皮加工の作業場で働くかたわら、頼まれて村人たちの毛皮の帽子を縫って生計を立てている。器用な人で、スエードに細かいビーズ刺繍を施したコリャークの民族衣装を作らせたら、彼女の右に出る人はいない。彼女はコリャーク語を母語とし、それゆえにコリャーク族を名のっているが、実は民族的には両親ともチュクチのチュクチ族である。インフォーマントにはむしろ、両親ともコリャークだったという獣医のご主人「ジャジャ・ヴァロージャ(ヴァロージャおじさん)」の方が向いていたかもしれない。だが、彼は小さな体に大きなリュックを背負い、愛犬を従えて、毎日のように、鮭捕り、ベリー摘み、きのこ狩りと忙しく出かけてじっとしているということがない。それも半分は居候の私を養うためとあれば、引き止めるわけにもいかないのだった。とはいえ、この地域では、チュクチ、エヴェンといった周辺の少数民族や、近年ではロシア人などとの混交が著しく、そもそも民族的に純粋な出自を求めようとすること自体、あまり意味があるとはいえない。

多層的な文化を映す語彙

 チョチャ・イーラとの1年目の調査は、まずは東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所編『アジア・アフリカ言語調査票下』を使った言語学のフィールドワークにはつきものの基礎語彙の聞き取りから始まった。この『調査票下』は各項目に、私が調査の際、媒介言語とするロシア語訳もついていて便利である。もちろん、語彙調査はコリャーク語の音韻体系を把握するために不可欠な初歩的作業なのだが、それだけでなく、コリャーク語の語彙分節のあり方、ひいては、コリャークの文化をかいまみるとっかかりにもなる。

 しばらく調査をしていてわかってきたのは、コリャーク語では、ツンドラ、川、海、森林など、コリャーク族を取り巻く多様な自然環境に生息する多様な動植物相とそれをめぐる語彙が非常に豊かなことである。例えば、「皮膚」について聞くと、「人の皮膚」だけでなく、トナカイの「皮」「臑皮」から始まり、それを加工した「飾り用の白いなめし皮」「テント用のいぶし皮」「晴れ着用のスエード」などの語が次々に飛び出してくる。これは、この地域のコリャーク族が、ツンドラでトナカイ遊牧を営む「チャヴチュヴァン(トナカイ遊牧民)」と呼ばれ、トナカイを最大限に利用していることのひとつの現われとして理解できる。だが、それだけではない。魚、鳥獣、海獣さらにはベリーやきのこ、球根、樹木といった植物名にいたるまで、実に豊富な命名が施されている。鳥などは、「ワタリガラス」「カササギ」「カモメ」「仔カモメ」「マガン」「カモ」「雷鳥」「ワシ」「タカ」などなど個別名は数多くあるが、これらを包括した「鳥一般」を指すコリャーク語固有の語がなく、ロシア語 ptica「」からの借用語 ptiq を当てている。これなどは、鳥に対する関心の具体性、個別性と強さを示すものだと考えていいかもしれない。

 過酷な自然条件のシベリアでは、単一の生業に依存することが危険なため、複数の自然環境とそれに適応した複数の生業を組み合わせた多層的な文化が形成されるといわれる。また、シベリアは一般に考えられているほど不毛な土地ではなく、むしろ、ツンドラ、川、海、森林などに生息する多種多様で有用な動植物相に恵まれた豊かな土地であるともいわれる。コリャーク族は通常、海岸に定住し海獣猟を営む海岸コリャークと、ツンドラでトナカイ遊牧を営むトナカイ遊牧コリャークに分類されるが、私が調査した後者のコリャーク族もまた、トナカイ遊牧のみに依存しているのではなく、かたわら、川で魚も捕れば、ツンドラで鳥や獣を狩猟したり、ベリーや球根類を採取したり、あるいは隣接する海岸コリャークから海獣の肉や脂を得たりという具合に、多様な自然資源を無駄なく利用して生きている。そのことが彼らの語彙分節のあり方にも映し出されているのである。

 これは、これまで私が専門としてきたモンゴル語と比較しても興味深い。文化的重点領域がもっぱら馬、牛、羊、山羊、駱駝の牧畜にあり、そこに自然資源や環境をめぐる語彙分節が集中している、いわば一点集中型の語彙構成を示すモンゴル語に対し、コリャーク語はむしろ分散型のそれ示すといってもいいかもしれない。

細やかな自然認識

 2年目は、1年目の語彙調査で目安をつけていた形態法の調査に入る。音がやたらにむずかしく、音韻体系を明らかにするだけで何年もかかるような言語に比べれば、コリャーク語の音はそれほど複雑ではなく、これにかける時間も少なくてすむ。もっとも、独特な母音調和、形態素境界における様々な音変化、長い語をまとめるアクセントといった形態音韻論的な問題は残るが、その解明はむしろ形態法の調査の進展を待たなければならない。

 形態法の調査もまた、コリャーク族の環境に対する認識のあり方の発見の場でもある。

 コリャーク語は形態法に、接辞法、合成法、重複法、母音・子音変換、異根によって自動詞・他動詞を区別する補充法など多様な手法を利用する言語である。このうち、接辞には、接尾辞、接頭辞、さらに、独特なものとして、語幹の前後について全体でひとまとまりの意味を表す接周辞がある。

 まずは、例えば、接尾辞に指小性を表わす -pel'/-pil' というのがある。これは、名詞語幹に付加され、単に指小性を表わすのみならず、親族語彙に付加され親愛の情を表わしたり(ccajpel' 「おばさん」an'apel'「おばあさん」など)、ある種の自然現象に付加され「神様」の意味を表わしたりする(aqapil'「海神」n'ut'apil'「地神」など)。ところで、上のccajpel'「蟻」の、an'apel'「蜘蛛」のタブー語としても使われる。ちなみに「蟻」も「蜘蛛」も殺生が禁じられており、「蟻」については、蟻を悪く言った女が蟻に子供を食べられたり、蟻から逃げて川を渡った男がかえって蟻の大群に追いかけられた、だから、蟻を侵害したらいけないんだといった教訓話が伝えられている。ちなみに、普段の単調な聞き取り調査と違い、このような話をしてくれるのはチョチャ・イーラにとっては息抜きの時間でもある。しかし、こちらはここで聞き流してはいけない。必ず、この貴重な資料を有効に保存するために、何度も何度も聞き取って音韻表記したうえで、できるかぎり形態素分析や訳を施しておくのも大切な作業である。

 一方、接周辞のひとつに否定を表わす a-/e--ke/-ki がある。例えば、「虹」apontake あるいは ajcake というが、それぞれ「肝臓のない」「肺臓のない」という意味である。一方、同系のチュクチ語では「虹」terkqml、すなわち「太陽の骨随」という。この不思議な意味ありげな名づけの背後には、なにか民話が伝えられているかも知れないと思って聞いてみるが、チョチャ・イーラは思い出せないと言う。代わりに、コリャーク族は、虹は雨を運んでくるものだから、虹を見たら、虹にお尻を向けて、股の間から石を投げながら、apontake, ajcake, peej! といって追い払うんだよと教えてくれた。

 この他、月に女がやかんをもって立っているように見えるのは、遠く離れた恋人を見せるために、月が水を汲んでいた女を連れて行ったからだとか、雷雨が降るのは、雷が悪魔を追いかけていておもらししてしまったからだとか、コリャークの人々がさまざまな自然現象をその豊かな想像力と独特のユーモアで解釈するさまには、深い感動を覚えずにはいられない。だが、このような豊かな世界は、そのことばとともに急速に失われつつある。そのスピードを止めることができないとしても、せめて、かけがいのない文化遺産としてその記録を残しておくことが、今、必要とされている。