ハイダ族のことばと文化

堀 博文 (静岡大学人文学部講師)

クィーン・シャーロット諸島

 北アメリカ北西海岸インディアンの一部族であるハイダ族(ハイダ語で「人」の意味)は、カナダ北西部のクィーン・シャーロット諸島とアメリカ合衆国アラスカ州の南東部に住み、主に漁労を生業とするインディアンである。ハイダ族の名前は、青森県の三内丸山遺跡に存在したといわれる巨木文化との関係で種々報道されたこともあり、ご存知の方も多いと思う。ハイダ族は、かつては、一万人近い人口を誇っていたが、19世紀以来の白人との接触に起因する伝染病などにより人口が激減し、クィーン・シャーロット諸島の方々に点在した村は見捨てられ、現在では、クィーン・シャーロット諸島に二つ、アラスカ州に一つの集落が残されるのみとなってしまった。

 私は、1991年より、毎年夏の間、クィーン・シャーロット諸島のスキドゲイトという集落を訪れ、彼らの言語であるハイダ語の調査を行なっている。クィーン・シャーロット諸島は、大小あわせて150ほどの島があり、バンクーバーから飛び立って一時間ほどすれば、碧緑の海に小島をちりばめたような光景が眼下にひろがる。クィーン・シャーロット諸島は、氷河期に氷河で覆われることがなかったので、他の地域ではほとんど見ることのできないような珍しい植物などが生えており、島全体が貴重な存在となっている。諸島の南部一帯は国立公園として保護され、特に南端に位置するかつての集落ニンスティンツは、1981年にユネスコの世界遺産に指定されている。

 私が訪れるスキドゲイトは、500人足らずの小さい集落である。従って、私などのような蘭入者は、きっと物珍しいに違いないが、村で行き交う誰もが人懐っこい笑顔で声をかけてくれる。その村での私の居候先は、ハイダ族のゴードン・クロスさん宅である。ゴードンさんは、1911年生まれで、80歳を優にこえているにも拘わらず、彼の孫くらいの年齢である私を凌ぐほど元気である。ゴードンさんは、若い頃は漁師をしていたが、事故で片足を失ってからは、金や銀、あるいは、その島でしか入手できないという粘土質岩の一種にハイダ族独特のデザインを施す彫金で生計を立てており、その作品は高い評価を得ている。こういった環境の中で、私は、夏の間、ゴードンさん一家と起居を共にし、ゴードンさんとその姪のエレナ・ラスさん(1921年生まれ)からハイダ語を習っている。

ハイダ語の特徴

 ハイダ語(系統不明)は、話者数200人ほどのいわゆる絶滅の危機に瀕した言語である。実際、流暢に話せる者は、せいぜい多く見積もっても50人程度、しかもそのほとんどが80歳以上の高齢者であり、私の知る限りでは、50歳代で十分に話せる人はいないものと思われる。方言には、大別して、北部方言と南部方言があり、私が調査をしているスキドゲイト方言は、南部方言に属するものである。

 ハイダ語の語は、語根とそれに修飾を加える接辞からなり、名詞よりも動詞の方が複雑な構造をもつ。接辞と接辞の間の境界が明瞭であるという点で膠着的な言語であり、また、文中における他の語との関係を名詞や動詞において表わさないという点からすれば、孤立的タイプの言語であるといえる。

 ハイダ語の動詞を構成する要素の中で特徴的なものとしては、手段接頭辞と類別接頭辞があげられる。手段接頭辞とは、動詞に付加されて、動詞に用いられる道具(「手で」「ボートで」など)や動作の様式(「押すことによって」「殴ることによって」など)を表わすものである。例えば、動詞語根 k'udu死ぬ」に手段接頭辞 d- 撃つことによって」を付加してできた d-k'udu は、「撃ち殺す」(正確には「撃つことによって死なせる」)の意味であり、「風で」を意味する手段接頭辞 xud-を動詞語根「歩くqaa に付加すれば、「(ボートなどを)漕ぐ」という意味の動詞 xud-qaa がつくられる。

 類別接頭辞は、やはり動詞に付加されて、自動詞文であれば主語、他動詞文であれば目的語となる名詞の特徴(形状、有生物、無生物の区別など)を表わすものである。例えば、「落ちる」という意味の動詞語根 Guy に類別接頭辞 sga- が付加されてできた sga-Guy は、「(環状の物体が)落ちる」ということを表わす。例えば、主語が指輪やブレスレットなどのような場合には、この接頭辞が付いた動詞形を用いる。あるいは、同じ動詞語根に、筒状の入れ物を表わす類別接頭辞 sk'a- が付いた場合は、グラスやコップなどが落ちるということを表わす。

 ところで、類別接頭辞は、ハイダ族がそのまわりの現実をどのように範疇化しているかを教えてくれる興味深い要素である。即ち、その物の形状(丸いか、筒状か、棒状かなど)や特徴(突き出た部分があるか、いくつかの部分に分散できるかなど)に応じて、ハイダ族は、それに適した類別接頭辞を用いて、まわりの現実を表現するのである。また、時には、ユーモアや侮蔑的なニュアンスを含ませるために、本来なら物にしか使わない類別接頭辞を、人間に対しても用いることがある。例えば、先ほどの類別接頭辞 sk'a- は、筒状の入れ物だけでなく、人間に対しても用いることがある。例えば、先ほどの類別接頭辞 sk'a- は、筒状の入れ物だけでなく、人間に対して用いられた場合は、痩せた人間を表わし、また別の類別接頭辞は、ベリーやリンゴ、卵といったボール状の物に加えて、多少侮蔑的なニュアンスを含みつつも、背の低い太った人間に使われることもある。尤も、こういった細かな分類や表現は、おそらくかつてのハイダ語でなされていたものであり、若い世代(といっても70代であるが)の話すハイダ語では、無生物を表わす類別接頭辞 is- が頻繁に用いられ、先にあげた「落ちる」もその主語の形状が何であれ、 is-Guy で表わされることが多いようである。日本語でその物に対する適当な助数詞を用いず、適用範囲の広い「個」を使って「1個」というのと似た事情がハイダ語においても見られるといえる。

 更に、ハイダ語の特徴をもう一つあげるとすれば、1から10までの数詞が倍数関係によって派生していることである(ちなみに数詞は、ハイダ語では、動詞の部類に入る)。即ち、2と4と8、3と6、5と10という倍数関係にある数詞が、それぞれ組をなすという具合で、それぞれの組において子音が共通するなど互いの形式が似通っている(例えば、「」と「10」は、それぞれ tlee tlaa というように、母音が異なるだけである)。このようなハイダ語の数詞の倍数派生は、丁度、日本語の数詞の「ひとつ」と「ふたつ」、「みっつ」と「むっつ」などの関係を思い起こさせる興味深い事象である。

ハイダ語の将来

 かつてはトーテムポールや様々な美術工芸品に代表される独自の文化を誇っていたハイダ族も、人口の激減、白人文化への同化、種々の慣習の禁止など様々な原因により、彼らの伝統的文化は衰退の一途を辿ることとなった。しかし、1970年代にいたり、そうした事態を反省し、衰退に向かった動きに歯止めをかけるべく、いろいろな文化復興運動が行なわれるようになった。その中でも特筆すべきは、1978年に新たにトーテムポールがスキドゲイトの村に立てられたことであろう。およそ百年ぶりに立てられたそのトーテムポールは、ハイダ芸術の第一人者ビル・リード氏が中心となって製作されたもので、ワタリガラスや鷲、蛙など、ハイダ族の神話に登場してくる動物のデザインが施されている。それ以外にも、カヌーの製作や、最近では、ハイダ族の伝統にのっとった結婚式が行なわれるなど、自分たちの文化を見直し、それを後世に伝えようとする動きが繰り広げられている。

 文化の衰退と平行するように、ハイダ語も話者数が激減し、一時期すたれかかってしまったが、1970年代から、アラスカ方言の辞書が編纂されたり、マセット方言とスキドゲイト方言の記述研究が開始されるなど、ハイダ語の復興と保持に寄与する研究が行なわれるようになってきた。そして、1980年代になると、クィーン・シャーロット諸島の二つの村で、小学校の児童を対象にハイダ語教育が始まった。私にハイダ語を教えてくれているエレナさんなどハイダ語を話せる人が教師となって、様々な教材を自ら作成したりして、工夫をこらしつつ、児童たちに教えている。しかし、その児童の親たちは、ハイダ語を話すことはおろか、聞いても理解できないといった状況にあるため、子供たちが習ってもそれを使う場がほとんどなく、残念ながらハイダ語教育が十分な効果をあげているとはいえないようである。今後は、子供たちの親の世代、即ち、30代や40代の人も対象とした言語教育を充実させていく必要があろう。

 こうした現状を目の当たりにし、また、調査でスキドゲイトの村を訪れる度に村のお年寄りの訃報に接すると、様々な復興運動を凌ぐ速さでハイダ語が失われつつあることを実感する。私はハイダ語だけでなく、短い間ではあるにせよ、彼らと生活を共にすることにより、実に多くのことをハイダ族の人々から学んだ。それを今度は彼らに還元し、彼らの言語と文化の復興の一助となるために、私はハイダ語の研究を続けていきたいと思っている。