ネパール王国は面積約14万ku、人口2500万人強(2001年央
、推定)。インドと中国チベット自治区の間に位置する。この国は南アジア、中央アジア、東・東南アジア、西アジアの中間にあり、言語面でも多様性が大きい。
ネパールの言語は、大きく、インド・ヨーロッパ(印欧)語系とチベット・ビルマ語系に分けられる。また、ごく少数ながらオーストロアジア系、ドラヴィダ系の言語も存在する。ネパールでは言語は高度や文化ともかなりの相関性をもって分布する。すなわち従来、印欧語系の諸言語は中間山地低部(標高約1800以下)とタライ(南部平地)に、チベット・ビルマ語系の諸言語は、中間山地高部(2500m程度まで)とヒマラヤ南・北面高地(約2500-4000m)に分布してきた。このうちタライはインド的、高地部(人口密度低)はチベット的な地域で、中間山地がよりネパール的なところといえる。そのネパール的な地域も言語面で上記2つの大系統に分けられる。
今日のネパール王国は、印欧語系のネパール語を母語とする「山地ヒンドゥー」の勢力を中心に、18世紀後半に築かれた。チベット・ビルマ語系の人々をはじめとする他の言語の話者は被征服民としてこの国家に組み入れられた。これが今に続くシャハ王朝(ゴルカ王朝)である。この王朝は、19世紀中葉から約100年間、ラナ宰相一族に牛耳られていたが、1951年の王政復古、1960-80年代の無政党のパンチャーヤット民主主義を経て、1990年には運動により、王が「象徴」の位置に退くに至った。この「民主化」では憲法が改正され、政党政治の復活や主権在民の明記とともに、「多民族・多言語国家」との規定が導入された。この新憲法の規定のもと、様々な言語文化グループによる自文化や言語の振興運動や権利の主張も目立ってきている。シャハ王朝下ではネパール語が圧倒的な力を持ち続け、現在、国民のほぼ半数がネパール語を母語とするが、その中で少数民族語の擁護が声高に主張される状態があらわれている。ただ、少数民族語には、従来、文字をもたなかったものも多く、理想と現実の関係は単純なものではない。また近年、都市部を中心として英語教育の需要が高まっているが、これも多言語状況の中で、言語使用のあり方にかなりの影響を与えている要素である。