多言語状況データベース  ネパール
石井 溥

 
1.国名(通称、正式名称、英語名)
 
ネパール、Nepaal adhiraajya(ネパール王国)、The Kingdom of Nepal

 
2.「国語」、「公用語」など
 
2.1. 「国語、「公用語」などの相当する言葉の有無:有り
2.2.(存在する場合)その言語 :「国語」(raashtra bhaashaa)ネパール語
2.3. その指定の根拠(法、その他):憲法第6条1項

 
3.当該国(地域、行政区分)の諸言語、および関連する政治社会状況の概況: 
 
ネパール王国は面積約14万ku、人口2500万人強(2001年央 、推定)。インドと中国チベット自治区の間に位置する。この国は南アジア、中央アジア、東・東南アジア、西アジアの中間にあり、言語面でも多様性が大きい。

 ネパールの言語は、大きく、インド・ヨーロッパ(印欧)語系とチベット・ビルマ語系に分けられる。また、ごく少数ながらオーストロアジア系、ドラヴィダ系の言語も存在する。ネパールでは言語は高度や文化ともかなりの相関性をもって分布する。すなわち従来、印欧語系の諸言語は中間山地低部(標高約1800以下)とタライ(南部平地)に、チベット・ビルマ語系の諸言語は、中間山地高部(2500m程度まで)とヒマラヤ南・北面高地(約2500-4000m)に分布してきた。このうちタライはインド的、高地部(人口密度低)はチベット的な地域で、中間山地がよりネパール的なところといえる。そのネパール的な地域も言語面で上記2つの大系統に分けられる。

 今日のネパール王国は、印欧語系のネパール語を母語とする「山地ヒンドゥー」の勢力を中心に、18世紀後半に築かれた。チベット・ビルマ語系の人々をはじめとする他の言語の話者は被征服民としてこの国家に組み入れられた。これが今に続くシャハ王朝(ゴルカ王朝)である。この王朝は、19世紀中葉から約100年間、ラナ宰相一族に牛耳られていたが、1951年の王政復古、1960-80年代の無政党のパンチャーヤット民主主義を経て、1990年には運動により、王が「象徴」の位置に退くに至った。この「民主化」では憲法が改正され、政党政治の復活や主権在民の明記とともに、「多民族・多言語国家」との規定が導入された。この新憲法の規定のもと、様々な言語文化グループによる自文化や言語の振興運動や権利の主張も目立ってきている。シャハ王朝下ではネパール語が圧倒的な力を持ち続け、現在、国民のほぼ半数がネパール語を母語とするが、その中で少数民族語の擁護が声高に主張される状態があらわれている。ただ、少数民族語には、従来、文字をもたなかったものも多く、理想と現実の関係は単純なものではない。また近年、都市部を中心として英語教育の需要が高まっているが、これも多言語状況の中で、言語使用のあり方にかなりの影響を与えている要素である。
 


 
4.憲法、その他の法規における言語の扱い
 
[憲法]
4.1.当該憲法の名称:
Nepaal adhiraajyako saMvidhaan 2047, 
Constitution the Kingdom of Nepal 2047(1990)
4.2.当該憲法の施行年:
2047(ヴィクラム暦)=1990
4.3.当該憲法において、言語(多言語)について言及している条項と内容 
(内容は翻訳または要約)
第4条(王国)1項:「ネパールは、ひとつの、多民族的、多言語的、民主的、独立的、不可分的、主権的、ヒンドゥー的、立憲君主的王国である。」
第6条(国語)1項:「デヴァナガリ文字で書かれたネパール語はネパールの国語である。ネパール語は政府の業務を行う言葉とする。」
        2項:「ネパールの様々な地域で母語として話されるすべての言語は、ネパールの国民語である。」
第9条4項:この憲法が施行された後、外国人によるネパールの市民権の取得は、とりわけ以下の諸項目に基づいてなされる得るよう、法律をとおして定めることができる。(a) ネパールの国語を話せ、また、書くことができること;(b) ネパールに何らかの仕事をしつつ住んでいること;(c) 他の国の市民権を放棄していること;および(d) 少なくとも15年間ネパールに住んできたこと。
第18条1項:「ネパール王国内に居住する個々の社会集団は、自らの言語、文字および文化の保存と奨励を行う権利を有する。」
     2項:「個々の社会集団は、子供達に初等教育の段階まで自らの母語で教育を与えるため、学校を運営し得る。」
第25条3項:すべての種類の経済的、社会的不平等をなくし、様々なカースト、民族、宗教、言語、人種および宗教集団の間に調和をうち立てて、法の正義と倫理に基づいた健全な社会生活を築きかつ発展させることを、国家の社会的目標とする。
第26条2項:様々な宗教、カースト、民族、宗教集団および諸言語・諸方言の間に健全で暖かい社会関係を作りだしつつ、すべての人々の言語、文学、文字、芸術および文化の発展をとおして国家の文化的多様性を確保し、国民の一体性を強化する政策を、国家は追求するものである。
4.4. 言語に関連して重要な他の法令の名称:
憲法以外に該当するものは見当たらない
4.5. 当該法令の施行年:該当なし
4.6. 当該法令において、言語(多言語)について言及している条項と内容:該当なし

 
5.国会、官公庁等における使用言語(公用語)
 
[国会、官公庁等]
5.1. 国会、官公庁等における主使用言語の名称:ネパール語
5.2. その他の言語の使用が認められている場合、その名称:なし
[憲法]
5.3. 憲法を書き表すのに用いられている言葉:ネパール語
5.4. 憲法の公式翻訳(あるいは第二言語)の有無:有(公式翻訳)
5.5. 存在する場合、そこで使われている言語:【英語】
5.6. 上記の使用言語をめぐる問題点:
重要な概念を表す言葉を、ネパール語と英語で適切に対応させることの難しさがあらわれる場合がある。(これは日本語に翻訳する場合の問題ともなる。)たとえば、第25条3項の「カースト、民族、人種」はネパール語では「jaat, jaati, varNa」であり、英語では「castes, tribes, races」である。jaatとjaatiの区別は日常的なものではなく、法律等において導入された人為的なものであり、varNaをrace/人種に対応させるのもまた同様である。一方、jaatiには英語のtribeが対応させられているが、ネパールのjaati('tribe(s)')は、たとえばインドの(scheduled) tribesとは位置づけが大きく異なるものであり、注意して理解する必要がある。
他にもう一例だけあげてみよう。第18条1項で「社会集団」と訳した言葉、第25条3項と第26条2項の「宗教集団」はネパール語では、それぞれsamudaayとsampradaayであるが、英語ではcommunityとcommunitiesで、単数、複数以外に語彙上の区別はなされていない。南アジアでは'community'が(特にヒンドゥー、ムスリム)の宗教の区別と関連して使われることがよくあるので、区別は含意されているといえなくはないが、このような点はやはり同じ物事を異なった言語で表そうとする場合の問題であるといえる。

 
6.教育における使用言語(教室での使用言語、教科書での使用言語)
 
[教室]
6.1. 初等中等教育における主使用言語の名称:ネパール語
6.2. 初等中等教育において他の言語の使用が認められている:可
6.3. 上記の場合、その言語:「国民語」すべて
6.4. 高等(大学)教育における主使用言語の名称:ネパール語、英語
[教科書]
6.5. 初等中等教育用教科書を書き表すのに用いられている言葉:
ネパール語。他にネワール語、マガル語、シェルパ語、リンブー語のそれぞれで教育を行っている学校が各1校あり、教材もそれぞれの言語で作られている。なおそれらの学校の所在地は、それぞれ、カトマンズ郡、シャンジャ郡、ポジュプル郡、スンサリ郡である。
6.6. 高等(大学)用教科書を書き表すのに用いられている言葉:英語、ネパール語
[問題点・解説] 
6.7. 教育での使用言語をめぐる問題点:
初等中等教育はほとんどネパール語で行われているが、ネパール語を母語とする人口は全人口の約半分である。従って、約半数の児童・生徒は自らの母語以外で教育を受けることになり、ネパール語を母語とする児童・生徒との間で理解度に大きな差があらわれる。

6.8. 教育システムに関する解説:
近年、特徴的なことは、都市部における、いわゆるEnglish Boarding School の流行である。これは(必ずしも寄宿舎を伴うとは限らず)英語を媒介言語として教育を行う私立学校であり、教科書はネパール語のものも用いるが、教師と生徒のやりとりは英語で行われる。

 
7.放送における使用言語
 
[全国放送] 
7.1. ニュース放送の主言語:Radio Nepal: ネパール語
Nepal TV: ネパール語
7.2. ニュース放送の副言語:
Radio Nepal: ネワール語(1959-1964, 1990-)
ヒンディー語(1959-1964年、1990-1994年)
サンスクリット語(1996?-)
英語
その他の民族語
(各言語の系統や母語人口比率については、以下の7.7.を参照されたい。)
・今日、Radio Nepalの中央局で1日に放送しているニュースの頻度
ネパール語:9回
英語:3回
サンスクリット語:1回
ヒンディー語:1回
ネワール語:1回
マイティリー語:1回
・今日、Radio Nepalのカトマンズ地方局で1日に放送している民族語のニュースの頻度
(他の地方局については7.5.参照)
ボジュプリー語:1回
ウルドゥー語:1回
シェルパ語:1回
タマン語:1回
7.3. ドラマ、歌(等)で用いられる言葉:
Radio Nepal: 主=ネパール語、副=他の種々の言語
Nepal TV: 主=ネパール語
副=ネワール語、マイティリー語、ヒンディー語、ウルドゥー語、英語、その他の言語
[地方放送] 
7.4. ニュース放送の主言語:Radio Nepal(4地方局): ネパール語 

7.5. ニュース放送の副言語:
リンブー語、ライ(バンタワ)語、タマン語、グルン語、マガル語、タルー語、ボジュプリー語、アワディー語、ウルドゥー語、シェルパ語
  ・4地方局の地方ニュースの言語
東部 ダンクタ :ライ(バンタワ)語、東部タルー語、リンブー語
中部 カトマンズ:タマン語、ボジュプリー語、ウルドゥー語、
中西部 ポカラ  :グルン語、マガル語
西部 スルケート:アワディー語、西部タルー語、ラナ・タルー語、マガル(カム)語、ドティ語

7.6.ドラマ、歌(等)で用いられる言葉:
Radio Nepal: 主=ネパール語
 副=他のいくつかの言語
カトマンズ(7局)及びヘタウダ(1局)の民放FMは、ネパール語の他にネワール語のプログラムを放送している。
それらのネワール語プログラムにはニュース、娯楽番組、歌、時事討論、祭礼情報などが含まれる。
[問題点・解説] 
7.7.放送での使用言語をめぐる問題点:
国営放送は、1950年開始のRadio Nepalと1985年開始のNepal TVのみである。民放は主にFMで1999年時点で12局が登録されている。その大部分はカトマンズ(半数)またはタライ各地に位置する。公式にニュース放送を許されているのは国営放送のみで、その言語は上記のものに限られる。地方語のうち、ライ語、タマン語、グルン語、マガル語等は従来、文字に書かれておらず、標準化もあまりなされていない。特にライ語はライ諸語といった方がよいほど、その中が多くの言語に分かれている。従ってバンタワ語のニュース放送が理解される範囲はかなり限らている。なお、ネパール語の放送において、たとえばニュースでサンスクリット語的な「堅い」専門用語(日本語における漢語語彙のような位置にある)をどの程度用いるかは(新聞の用語とも連携した問題であるが)時に問題とされる点である。

7.8.放送システムに関する解説:
国内のテレビ放送はNepal TVが行っているが、衛星放送を受けケーブルで配信する方式により多くのチャンネルの受信が可能である(その多くは非合法な形で行われている)。ネパールでの自前の番組の製作は予算、人員等の制約から限られたところにとどまり、結果として外国(インド、イギリス等)の番組がかなりの視聴者をひきつけ、言語面では英語、ヒンディー等に触れる機会を増やしている。

 
8.国勢調査における母語・使用言語調査のありかた 
 
8.1. 国勢調査における母語・使用言語に関する調査の有無: 有
8.2.質問がある場合の尋ね方 
選択肢から選ばせる方式か否か:否 (1981年以外)
8.3. 選択肢から選ばせる場合、その選択肢:
1981年:ネパール語、マイティリー語、ボジュプリー語、ネワール語、グルン語、他(記入)
8.4. 国勢調査での上記以外の言語調査の特徴:
記入される言語名は大変に多様であり、集計、結果公表・出版のプロセスでそれに多くの整理・解釈・改変が加えられていると考えられる。それは出版された結果から推測するほかないが、たとえば「ヒンディー語」が近年の集計結果にみられない点などに、ネパール的な「解釈」があらわれている。
8.5.国勢調査で使われる言語:ネパール語
8.6.国勢調査の結果の公表において使われる言語:英語 
8.7.国勢調査結果の言語関係情報のまとめ:
1991年の国勢調査結果に基づく、代表的な言語とその母語人口比率(対全国人口)。
(地域分けについては、上記2を参照されたい。)
インド・ヨーロッパ(印欧)語系
山地部(低部):  ネパール語   50.3% 
タライ(南部平野):マイティリー語 11.9%
ボジュプリー語 7.5%
タルー語 5.3%
アワディー語  2.0%
ラージバンシ語  0.5%
ダヌワル語 0.1%
その他
チベット・ビルマ語系
高地: チベット語 0.7%
            (含シェルパ語)
山地部(高部): タマン語 4.9%
ネワール語 3.7%
ライ諸語 2.4%
マガル語 2.3%
リンブー語 1.4%
グルン語 1.2%
チェパン語0.1%
タミ語0.1%
その他
 オーストロアジア語系
  タライ:     サタール語    0.1%

 
9.出版物 
 
9.1.新聞はどんな言語のものが読まれているか:
 定期的に刊行されている日刊紙は20紙ある(1999年)。(同時点で登録されている日刊紙はネパール全国で200あるが、その7割は刊行されておらず、また残り60のうち3分の2は定期的な刊行ができていない。) 
 日刊紙のほとんどはネパール語紙である。その他、英語、ネワール語、ヒンディー語の新聞が少数発行されている。[1995年の時点で登録されている日刊紙120紙の内訳 − ネパール語紙:112(93.3%)、英語紙:4(3.3%)、ネワール語紙:3(2.5%)、ヒンディー語紙:1(0.8%)]。
 インターネット上では、英語の日刊紙、週刊誌に加え、少数のネパール語の日刊紙、週刊誌を(フォントがインストールしてあれば)読むことができる。
9.2.雑誌は何語で出版されているか:
 週刊誌はかなりの種類があり、定期的に刊行されている週刊誌は135誌ある(1999年)。その他に1週2回刊行されるもの、2週に1回刊行されるものが少々ある。(1999年の時点で登録されている週刊誌は994あるが、その7割は刊行されておらず、また残り290のうち半数強は定期的な刊行ができていない。)
 週刊誌もほとんどはネパール語のもので、その他に英語、ネワール語、ヒンディー語、マイティリー語のものが少数ある。[1995年の時点で登録されている週刊誌608誌の内訳 − ネパール語:576(94.7%)、英語:20(3.3%)、ネワール語:3(0.5%)、ヒンディー語:7(1.2%、マイティリー語:2(0.3%)]。

 
10.その他での言語使用
 
10.1. 屋外広告・標識等
 ネパール語が多いが、都市部では英語の表示も少なくない。たとえば外国人もよく訪れる官庁や観光地の標識、あるいはインドや他のアジア諸国、欧米などに本社のある会社の広告などには英語がかなりみられる。一方、乗り合いバスの行き先表示はネパール語であり、また自動車等のナンバープレートはインド数字で書かれている(インドではアラビア数字が用いられている。
10.2. 映画等
 ネパールで製作される映画やビデオ映画のほとんどはネパール語のものであるが、ごく少数ネワール語のものも作られている。ただ、それらを合わせても国産映画の数は少ない。より多くてポピュラーなのは「ヒンディー・フィルム」と総称されるインド映画で、多くは吹き替えも字幕もなしで上(放)映される。
 各種の(映画音楽をも含む)歌は、以前は口伝えで広まるのみであったが、1950年代からはラジオを通じ、また1970年代頃からはカセットテープを通しても広まるようになった。歌は、ネパール語のものも多いが、都市の若者の間では英語のものを主とする西欧音楽の人気が高い。またインド映画のカセットも多い。他方、ネワール語等の民族語による音楽カセットもあるが、数ははるかに少ない。

 
付:ラジオ放送での使用言語の通時的変化
 
Radio Nepalのニュース放送の副言語:
1959-1964年:ヒンディー語、ネワール語
1990-1994年:ヒンディー語
1990年-  :ネワール語
1993年-  :マイティリー語
1994年-  :リンブー語、ライ(バンタワ)語、タマン語、グルン語、マガル語、タルー語、ボジュプリー語、アワディー語
最近(1996年頃から?):サンスクリット語 

 
参照文献
Central Bureau of Statistics  1993 
Population Census - 1991: Social Characteristic Tables Vol.I, Pt.VIII. Kathmandu: His Majesty's Government (of Nepal), National Planning Commission Secretariat.
Gellner, D.N.  1997 
'Introduction' in  D.N.Gellner, J.Pfaff-Czarnecka and J.Whelpton (eds), Nationalism and Ethnicity in a Hindu Kingdom. Amsterdam: Harwood Academic Publishers (pp.6, 29).
石井 溥(編) 1997
『《暮らしがわかるアジア読本》ネパール』河出書房新社。
Kaanun kitaab vyavasthaa samiti (Law Books Management Board)  2051 (西暦1994);
Nepaal adhiraajyako saMvidhaan 2047 [ネパール王国憲法 2047年(西暦1990年)]. Srii 5-ko sarkaar: Kaanun, nyaay tathaa samsaadiya vyavasthaa mantraalaya(ネパール王国政府、法務・司法・議会省).
Kharel, P.  2000 
Media Nepal 2000. Kathmandu: Nepal Press Institute.
Law Books Management Board  1992 
The Constitution of the Kingdom of Nepal 2047 (1990). His Majesty's Government, Ministry of Law, Justice & Parliamentary Affairs.
Sonntag, S.K.  1995 
'Ethnolinguistic Identity and Language Policy in Nepal' Nationalism and Ethnic Politics 1: 108-20.
谷川昌幸(訳) 1994
『ネパール王国憲法』山形:ネパール研究会。

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