本発表では、ナムイ語ゾロ(冕寧)方言を対象言語とし、名詞句の文法関係の表示にかかわる諸形式について扱った。
ナムイ語は、中華人民共和国四川省涼山彝族自治州の冕寧県・木里藏族自治県・西昌県・塩源県及び甘孜藏族自治州九龍県に分布している所謂「川西民族走廊諸語 (Languages of the Ethnic Corridor)」のひとつである。ナムイ語の言語系統は、シナ=チベット語族・チベット=ビルマ語派・羌語支(孫2001: 160)とされるのが一般的である。ナムイ語の話者人口は3,000人で、多くは彝語と漢語を流暢に操りモノリンガルの話者は少ない。民国時代までは「西蕃」、1949年以降は「小西蕃」と称されたが、民族識別工作では蔑称であると改められ、現在では藏族 (Tibetan) として分類されている。
従来ナムイ語の記述研究で触れられてきた格標識(文法関係特定に関わる形式)には、属格 、行為者、与格、 具格、奪格、 処格(内/上)があるが、筆者の調査したゾロ(冕寧)方言には以下の格標識(文法関係特定に関わる形式)が認められた:
1. | ゼロ | 主語・対格・所有者・着点・場所・時点 |
2. | ko | 属格 (genitive) |
3. | pər | 行為者 (agentive) |
4. | dia | 与格 (dative) |
5. | mi | 受益者(benefactive) |
6. | mu | 具格 (instrumental) |
7. | ʉ |
具格 (instrumental) |
8. | khəsrɨ | 具格 (instrumental) |
9. | mu | 奪格 (ablative)、変格 (translative) |
10. | tahi | 到格 (terminative) |
11. | toto | 到格 (terminative) |
12. | suni | 通格 (perlative) |
13. | qolo | 処格(内)(locative) |
14. | diamo | 処格(上)(locative) |
15. | pər | 処格(場所)(locative) |
16. | tani | 向格 (allative, location) |
17. | luta | 向格 (allative, direction) |
18. | na | 共格 (comitative) |
19. | chomu | 共格 (comitative) |
20. | maza | 比格 (comparative) |
本発表では、タマン諸語(Tamangic languages)、特に セケ語(Seke) タンベ(Tangbe)方言における relational morphology について報告した。
発表ではまず、Tamangic、あるいはもっと広く Tibeto-Burman 言語において、「格」あるいは relational morphologyにおいてこれまで特に関心を集め、議論されてきた問題にはどのようなものがあるか指摘し、まとめた。それらは以下の6点である:
その上でTamangic諸語は一般に obligatory ではない Agentive marking , そして Non-agentive marking system を持つこと、Seke はrelative clause の形成の際に Genitive marker を使い、また Case compound と呼べる現象があることなどを報告した。
中国雲南省景洪市で話されるチノ語悠楽方言(チベット・ビルマ語派ロロ・ビルマ語支) の格標示に関わる問題を概観した。
まず、チノ語の代名詞は主格・斜格の2種の格交替を起こす。基本的には最終音節の声調が35調あるいは42 調となることで斜格を標示する。また斜格は1人称単数・2人称単数・2人称複数などでさらに所有格・対格の2形を持っている。
名詞も代名詞のように主格(無標格)・斜格の2形あり、最終音節の声調を35 調とすることで斜格を標示できる。斜格は所有表現の際に所有者名詞において現れるほか、目的語となる際にも現れる。
またこの言語には格を標示する後置詞に=ɛ44(所有)、=va55(位置格・与対格)、=la55(道具格)、=jə44(奪格・比較の基準・起点格)、=jo44(同等比較の基準)、=the44(共格) がある。特に=ɛ44 は、その直前位置の所有者名詞が斜格形となるため、随意的に生起する。更に、=va55 は有生名詞にのみ後接する。=jo44 は同等比較の際にしか生起できず、=jə44 と交換可能な関係にない。
チベット・ビルマ系諸語一般に通ずることだが、文脈が格標示の随意性と文法関係の決定などにどの程度影響を及ぼしているのかがこの言語でも重要な問題となる。SOV が基本構成素順であるこの言語において=va55 は目的語を明示化するが、たとえ目的語が文頭に置かれても文脈によって文法関係が明確に把握されるならば、=va55 は随意的に生起する。今後はこの言語における格標示と文脈の相互作用について考究すべきである。
ビルマ語は格標識を名詞(句)に後接させて格を標示する。基本的格標識-ka.、-ko_、-hma_および-φ(ゼロ形態)は名詞の素性によって表される格が異なるため、本報告では名詞を位置性([±locational])により二分し、更に非位置名詞を有生性の有無([±animate])、位置名詞を時間性([±temporal])で下位分類することを提案した(ただし所与の名詞が属する範疇は一つだけのみとは限らない)。
非位置名詞は基本的格助詞で標示されてS、A(いずれも-ka.、-φ)、P(-ko_、-φ)といった命題内容の参加者になるのに対し、位置名詞は起点(-ka.)、着点(非時間名詞=空間名詞の場合のみ;-ko_、-φ)、静的位置(-ka.、-hma_、時間名詞の場合のみ-φ)となる。
非位置名詞は-φで標示されるとき、有生性によりその振る舞いが異なる。有生物の場合はS、A、Pに、無生物ではS、Pとなる。ただし有生物がPとなるのは話者にとってAよりも共感度が極端に低いことや声調変化など何らかの強力な「状況」が不可欠である。
-ka.が静的位置となるのは標示される名詞が局所化名詞(空間名詞の一種)の場合のみ、また-ka.には過去の時(静的位置?)を表す用法がある。
加えて-ko_は未来の時を表す用法があることが加藤昌彦氏から指摘された。(その他の各形式については省略)