第1回研究会発表要旨

澤田英夫「ロンウォー語の格体系」

ロンウォー語の格関係を表示する要素は、小辞類(格標識)と名詞類(格名詞)に大きく分かれる。

格標識には向格・位格・起格・通格・具格・共格・対格の7つがあり、主格は無標である。格標識に関して興味深い点としては、次のようなものがある。

1.最初の4つの格形式は

という2つの2項対立を示し、これは偶然にもイェルムスレウによるグリーンランド=エスキモー語の格体系の意味分析に見られる2つの2項対立

に対応する。

2.他動詞の対象補語は対格の他に主格でも表され得る。格形式の選択には、(1)対象補語の主語に対する相対的有生性の度合、(2)対象補語の主語に対する相対語順、(3)対象補語の定性・特定性、などの要因が関わっている。

3.名詞修飾要素は、文法的に条件づけられた声調交替によってしるし付けられる。この声調交替は、格標識・格名詞と共起することができる。ゆえにロンウォー語に向格・位格などと対等な「属格」の格標識は存在しない。 格名詞は、thoʔH「…より」<「上」、ɣitH(-meŋH)「…ため」<「前(から)」など、名詞が意味の抽象化を経て生じたものと考えられるが、名詞的な性質の一部は依然として失っていない。



桐生和幸「メチェ語の格体系」

メチェ語は、ネパール東部で話されているボド系のTB言語である。インドのボド語とは、かなりの部分似通っているが、発音や文法の体系で一部異なる点が見られる。

メチェ語の格は、主格・対格型である。項の意味役割S,A,Oに付与される格標識をcore caseとすれば、メチェ語のcore caseの標識には主格 (-a)、対格(-khou)があるが、これらは義務的ではなく、ゼロマークも多く見られる。また、ボド語の文法書では、-a を主格としているが、メチェ語で主格標識とすることには、問題が残る。というのも、O名詞句 に付いたり、さらに、対格とともに現れて -a-khou という表示が可能だからである。

そこで、O名詞句にどのような格が現れるかを酒の造り方を説明した話の中で見てみると、普通名詞の場合、16例がゼロマーク、-a のみがつく例が3例、-a-khou となっている例が3例あり、-khou がつく例はなかった。また、代名詞の場合、ゼロマーク2例、-khou のみがつく例が2例あり、-aのみ、および、-a-khou のつく例は見られなかった。

また、O-NP以外にも副詞や与格につく例が1例ずつ見られる。このことから、主題を表すディスコースマーカーとしての働きがあると考えられ、今後さらに分析を進める必要がある。

-khou 自体は、主語が感情や感覚を表す経験者の場合に付くことが確認されている。

その他、周辺的格標識として属格(-ni,-ne)、与格(-nə)、所格(-au)、起格(-niphrai)、随格(-jən,-ha)がある。属格は二種類あるが、-ni と-neの差は同じものの異形態なのか異なる意味を持つのか現時点では確認できていない。また、起格は他にも異形態として -niphra, -niphran がある。随格は、-jən が行動の相手を表すのに対して、-ha の方は、ものの随伴を表す。



澤田英夫「格とその周辺:覚え書き」

Blake(1994)は格を、名詞の対主要部関係の表示であると定義する。格は、統語論的には動詞句・名詞句の形成にかかわり、意味論的には事象の構築にかかわる。

ある形式的特徴aが格表示かどうかを同定するための作業仮説として、次の2つを提案する。

無標形式の存在は、しばしば格体系の分析に問題をひき起こす。有標形式N-aと無標形式N-φが交替可能である時、この現象の捉え方は、次のいずれかになる。
  1. 異なる格形式の交替
  2. ある条件でN(-φ)に-aが付加される
  3. ある条件でN-aの-aが脱落する。
格体系が名詞の対主要部関係の関係を表示する唯一の手段かどうか、また、この種の関係を判断するための唯一の手段かどうかは、格体系を持つ言語ごとに問われるべき問題である。ロンウォー語のようにN-aとN(-φ)の交替がひんぱんにみられる言語では、明らかに格体系だけでは対主要部関係を完全に表示していない。N(-φ)の生起を可能にする、格体系と協調して働くparsingのメカニズムを明らかにする必要がある。