1. この事跡のみ緬暦年と木星周期年が正しく合致し、残る4つの事跡には緬暦年と木星周期年の間にずれがある。順次事跡を書き足して行ったか、あるいは帳簿のようなものに書き足した事跡を一気に壁面に書き写したかのどちらかであろう。なお、この最初の事跡のみ、タンブーラ寺院落成前の事跡である。

2. 緬暦4月、すなわちワーゾー月の古名。

3. 緬暦618年は木星12年周期の4年目すなわちアータッ年であり、最も近いタラウン年は翌緬暦619年である。

4. 緬暦12月。太陽暦の2-3月に相当。

5. 緬暦619年は木星12年周期の5年目すなわちタラウン年であり、最も近いパッサ(バット)年は翌緬暦620年である。つまり、この事跡と一つ前の事跡は、共に緬暦年と木星周期年の間に1年のずれがある。

6. 緬暦2月。太陽暦の4-5月に相当。

7. 緬暦643年は木星12年周期の5年目すなわちタラウン年であり、最も近いアーテイン年は緬暦645年である。

8. 緬暦644年は木星12年周期の6年目すなわちバット年であり、最も近いチタイッ年は緬暦646年である。つまり、この事跡と一つ前の事跡は、共に緬暦年と木星周期年の間に2年のずれがある。

9. 緬暦7月、つまりダディンジュッ月の古名。