第8回研究会 (平成13年11月10日土曜日) 1 石井美保(京都大学大学院) 「交易・移住・精霊祭祀--ガーナ南部のココア開拓地域における宗教実践の変容」 2 西本陽一(東京大学大学院) 「北タイ・キリスト教徒ラフ族における『ラフ国』をめぐる語り―少数民族という経験」 1「交易・移住・精霊祭祀――ガーナ南部のココア開拓地域における宗教実践の変容」石井美保 はじめに   本発表は、ガーナ南部の開拓移民社会における宗教実践についての論考である。本発表の主要な分析対 象となるのは、1)開拓移民社会における社会経済関係と宗教実践の機能的変化 2)開拓移民社会におけ る複合的な宗教実践の形成と変容の歴史的過程 の二項である。本発表は、1999年9月下旬〜2000年3月中旬 までと2000年6月〜2001年12月まで、および2001年2月〜3月にかけての通算約13ヶ月間、ガーナ共和国東部 州のココア開拓移民村を中心に行った実地調査に基づいている。調査方法としては、霊媒司祭の社に住みこ んでの聞き取りと参与観察を主とし、地域社会の経済活動に関する調査では、調査項目表に基づく戸別訪問 調査によって数量的な資料を収集した。調査にあたって使用した主な言語はアカン語の一方言であるチュイ 語、エウェ語、および英語である。 T アフリカの宗教運動研究とその問題  本発表では、Comaroff[1985],Stoller[1989,1995],Rosenthal[1998]をはじめ、アフリカ諸社会を 対象とする従来の宗教研究の中でも共通した論理展開をもつ一連の議論を「象徴の抵抗論」と名付け、これに ついて批判的に検討した。これらの議論に共通する論理展開とは、@前植民地期における静態的で調和的な 地域社会システムの設定 A西欧近代との接触による伝統的社会システムの崩壊 B西欧近代化の衝撃に対す る反応あるいは抵抗としての新たな宗教実践の勃興 としてまとめることができる。これについて本発表は、 象徴の抵抗論に含まれる以下のような問題点を指摘した。すなわち、1)閉鎖的な小宇宙としての伝統的地 域社会の設定 2)変化のゼロ地点としての西欧近代による破壊的影響力の絶対化 3)非西欧社会における 宗教実践の主体と意味の一元化 4)西欧合理性と対置される非西欧の異質性と不変性の固定化 5)包括的 な分析概念の適用による現象と歴史の単純化。  ここから本発表は、こうした先行研究の問題に対する代替案として、アフリカの宗教研究における歴史学と 政治経済論の重要性を指摘したRanger[1985,1986,1993,1996]と、アフリカ都市部の新教会活動と在来宗教 との連続性を指摘したGifford[1998]の議論を中心に紹介し、それぞれの理論的骨子を示した。この上で本 発表は、こうした理論的視座を具体的な分析に応用するために、次のような方法論を提起した。すなわち、 1)地域社会を構成する基礎的で比較可能な諸要素を分析指標として定め、大局的な社会経済変化に対する 各指標の変化と修正的持続の実態について、具体的な資料に基づく検討を行うこと。これによって、異なる 社会システム間の折衝における単線的な移行や、一方の圧力による他方の破壊という仮説を検証することが 可能となる。2)地域社会を越える民族間の移動と交渉への歴史的考察によって、在来社会を構成する異質 で不均衡な関係の形成と変遷の過程を明らかにすること。これによって、在来社会に遍在する複層性と動態 性を提示し、西欧近代との折衝過程を相対化することが可能となる。  このように、本発表は地域社会の政治経済的局面と共に、より広域にわたる空間的移動と歴史的変遷を検 討の対象とすることによって、従来研究による@植民地状況と西欧近代化への反応論 A閉鎖的な包括社会 システム内部における反復的な運動論[Berger1981,Schoffeleers1985] という二つの説明原理に対して、 B複層的で非閉鎖的な社会システムに遍在する複合的な宗教実践の動態論 の可能性を提起した。 2.理論的視座の検証  こうした問題意識と理論的視座に基づき、本発表ではまず、ココア開拓移民社会を構成する社会経済関係 と、地域社会における支配的な宗教実践の変容との関連について簡潔に検討した。ここで本発表は、地域社 会の主要な構成要素として親族・ジェンダー・民族に着目し、これらの各要素によって形成される社会関係 について、農地をめぐる権利関係と契約関係を中心に分析した。ここから、@母系制原理に基づく女性の管 理強化と妖術摘発の勃興 A土地の稀少化と権利関係の複雑化に伴う邪術問題の増加 B農地をめぐる親族・ ジェンダー・民族間の利害関係と精霊祭祀の利用 C社会経済変化と連動した宗教実践の機能的変化の各項 が明らかとなった。つづいて本発表は、地域社会に存在する複数の宗教実践の中でも、精霊祭祀・神霊祭祀・ 卜占および聖霊教会に焦点を当て、異質な宗教実践間の接合あるいは競合関係について、地域社会を越える 集団や個人の移動と交渉の歴史的過程という点から考察した。ここから、@南部社会における神霊祭祀と精 霊祭祀の対照的特徴と相互補完関係 A南部社会における呪術的要素の導入と精霊祭祀形成の歴史的経緯  B個人による祭祀利用の実態 C移民社会における組織化と宗教実践の特徴 の各項が明らかとなった。  以上から、移民社会における社会経済的側面と宗教的側面のいずれにおいても、異質な集団/個人による 不均衡な関係性と、こうした示差的関係に基づく活動実践の活性化と歴史的変容が生じていることがわかっ た。また、儀礼と象徴的要素の利用によって異質な諸集団の一過的連合を導く凝集的な傾向と、地理的・政 治的・象徴的中心の不在と集団間の差異と格差の強調によって更なる分裂を導く拡散的な傾向との拮抗状況 が明らかになった。  以上の検討結果に基づき、本発表が提起した非閉鎖的な社会システムにおける複合的な宗教実践の動態論 によって、従来の説明原理をどのように再考することができるだろうか。ここで、より明晰な検討を行うた めに、宗教実践の動態について二つの位相あるいは次元を区別し、複合的な宗教実践の分析を可能とする理 念型を提示したい。ここで区別を設ける宗教実践の位相とは、a)社会情勢によって盛衰する局地的な宗教 実践の凝集的な位相と、b)より長期にわたって広域に移動・流通する宗教実践の拡散的な位相 の二つであ る。ここでは、こうした位相内部の運動と位相間の相互作用の総体が、包括的な社会システムにおける宗教 実践の動態を形成するものとみなす。  これらの各位相について、本発表の内容に則してより具体的にみていきたい。まず、a)の凝集的位相とは、 局地的な地方政権と結びついた王国儀礼と祖霊・神霊祭祀に相当する。これらの儀礼と祭祀とは、政治的権 威を補完するものとして、世代やジェンダー等による不均衡関係を内包する地域社会の成員を統合する役割 をもつ。共同体の規模が拡大するにつれて、こうした宗教祭祀に付随する象徴的要素と儀礼様式の洗練と複 雑化がみられ、しばしば祭祀を専門とする宗教的職能集団が発達する。ここで重要となる宗教祭祀の機能と は、これらの祭祀による特定の領域・出自・遡及的な時間と歴史の支配である。  これに対して、b)の拡散的位相とは、長距離交易と軍事遠征、開拓移住や出稼ぎをはじめ、特定地域と 集団の外延を越える社会経済活動と連結した呪術的要素の流通に妥当する。ここでは、これらの呪術的要素 は他の物資や貨幣と同じく、集団間の交渉と取引の流通経路に組み込まれており、新たな技術や力の源泉と して個人による追求と獲得の対象となる。また、こうした呪術的要素の需要と供給とは、交渉の主体となる 集団や個人間の地理的・政治的・社会的距離と示差的な関係性に基づいている。ここで重要となる呪術的要 素の機能的価値とは、これらの要素による空間移動、情報伝達および速度の支配力である。  こうした位相モデルによって、従来研究による説明原理をどのように捉え直すことができるだろうか。 ここではまず、閉鎖的な社会システム内部の可逆的な運動モデルについて考えてみよう。この可逆的な運動 モデルを構成する説明原理とは、@既存の社会的権威と結びついた職業的司祭と、A危機的状況において活 躍する霊媒/預言者との、単一の社会システム内部における相互的な台頭と、各々によって担われている宗 教実践間の振動である。ここで、こうした可逆的運動モデルによって示された司祭と霊媒/預言者との対照 的な特徴とは、本発表が区別する宗教実践の二つの位相に対応している。ただし、この両者を閉鎖的な単一 システム内部における往復運動の一部としてみるのではなく、異なる規模と速度において恒常的に共存して いる複数の位相として捉えるとき、ある地域社会でみられる宗教実践の移行と機能的変化とは、a)暫時的 な均衡状態にある局地的で凝集的な位相に対する、b)より大規模で拡散的な位相による作用の摂動の過程 として考えることができる。これについて、本発表で検討した長距離交易に伴う呪術的要素の南部社会への 導入と、在来の神霊祭祀との接合と差異化の歴史的過程とは、異なる位相に含まれる宗教実践間の相互作用 のあり方を示している。  つぎに、いまひとつの説明原理である近代化への反応論について考えてみよう。近代化への反応論では、 @閉鎖的で調和的な小宇宙を形成する伝統宗教から、A植民地化と宣教、貨幣経済化の衝撃を経て、B西欧 近代との関係に基づく新たな宗教実践の勃興、という移行的変化が前提とされていた。なかでも先述したよ うに、植民地状況下における独立教会運動と近年の都市部における新教会の発展とは、妖術撲滅運動や憑依 カルトの興隆と共に、西欧近代化に対する反応や迎合の例証として説明されてきた[Comaroff1985,Hacket 1998]。  これに対して本発表の検討はむしろ、伝統宗教のもつ越境的な動態性と伝道教会のもつ地域志向性を指摘 したRanger[1993]と、都市部の新教会と在来宗教のもつ特徴の符合を指摘したGifford[1998]の論点を 裏づける結果となっている。すなわち、古典的な独立教会と伝道教会の活動実践とは、儀礼と象徴的要素の 利用による地域住民の統合と共同体の形成という点で、神霊祭祀と同様に先に提示した位相モデルのa) 局地的な宗教実践の凝集的な位相 の一部として捉えることができる。これに対して、都市部の新教会と移 民社会における精霊祭祀とは、流動的な社会経済状況において高い移動性と企図性をもつ諸個人の実利的要 求に対処することによって、若年層を中心に広汎な需要を獲得している。また、これらの実践はいずれも、 広域を網羅するネットワークの利用によって特定地域と集団の境界を越える活動を展開している。このよう に、個人性・実利性・広域移動性といった共通の特徴と社会的機能をもつ新教会と精霊祭祀の実践とは、先 に提示した位相モデルのb)長期にわたって広域に移動・流通する宗教実践の拡散的な位相 の一部として 考えることができる。  このように、本発表では神霊祭祀に通底する独立教会と伝道教会の地域志向性を検証すると共に、近年の 新教会と同じく在来の宗教祭祀における高度な流通性と個人性および実利的な特徴と、外来要素の摂取によ る刷新と変容の歴史的過程を明らかにすることによって、近代化への反応論によって示された、@閉鎖的で 局地的な伝統宗教からA宣教と近代化による@の崩壊を経てBより多様な関係性に開かれた新宗教へ、とい う移行的モデルに対する反証を提示した。  以上の検討から、宗教実践の動態的理解における従来の説明原理の限界に対して、本発表が提起した非閉 鎖的な社会システムにおける複合的な宗教実践の動態論の有効性が示された。また、こうした異なる宗教実 践間の接合と競合、移行と刷新についての総合的な分析の指針として、a)社会情勢によって盛衰する局地 的な宗教実践の凝集的位相と、b)より長期にわたって広域に移動・流通する宗教実践の拡散的位相 という 理念型が提起された。(報告者自身による要旨) 2 「北タイ・キリスト教徒ラフ族における「ラフの国」の語り:少数民族という経験の形成」西本陽一  本報告は北タイのキリスト教徒ラフ族における「ラフの国」をめぐる語りを取り上げ,それが少数民族の 社会的経験の形成にどのように関わっているかを検討した。またキリスト教へ改宗したラフ族が,この外来 宗教に大きく影響されながら,それを民族間関係の中で自らの地歩を維持し高めようとする適応戦略として どのように受容・利用してきたかが考察された。 現在北タイに暮らすキリスト教徒ラフ族は中国雲南地方からビルマ・シャン州をへて北タイへと移住してき た。この移住は,かつての朝貢関係において享受できた自立性が,他民族による直接統治の拡大や民族紛争 によって侵食されてきたためである。ラフ族の周縁化は「前近代的な」社会空間の「近代的な」それへの変 容によりもたらされたものである。 北タイのキリスト教徒ラフ族は,かつて「ラフの国」があったが平地民族による奸計と攻撃によって滅ぼさ れたと語る。また「ラフの国」は,キリストの再臨という宗教的信念やビルマにおけるラフ軍の戦いに関わ り,将来に再興されるべきものとして語られる。さらに「ラフの国」は,原初における民族の栄光,栄光か らの失墜,離散と流浪,真の神を探す旅,預言者の出現,預言の実現としてのキリスト教との出会い,キリ スト教会の発展という神話・歴史の物語の一部をなし,もしラフ族が知恵を求め団結できるならば,いつの 日か民族は繁栄し「ラフの国」を再興できるだろうと語られる。 歴史的事実の問題を離れて見れば,このような物語は人間主体が描きあげる歴史表象であり,キリスト教徒 ラフ族の約百年にも及ぶ長いキリスト教徒としての経験の中で,再解釈・再構成されてきたものである。実 際に「ラフの国」や「預言者」は,非キリスト教徒ラフ族によっては殆ど語られることはない。機能的に見 れば「預言者」の物語はキリスト教徒ラフ族の改宗前とその後をつなぐ橋渡し役であり,真の神に出会った 故に自分たちが「異教徒」のラフ族よりも発展しているという正当づけになっている。 キリスト教徒ラフ族が提示する自らについての神話・歴史物語は,過去から現在をへて未来へと到る段階的 な発展のスキームを提示し,非キリスト教徒グループのそれとは異なった構造を示している。彼らの長年の キリスト教徒としての経験はその神話世界に大きな変容をもたらし,同時に彼らの時間意識,千年王国主義, 歴史・世界認識も大きく変容することになった。過去における栄光と未来における繁栄として語られる「ラ フの国」は,他民族の抑圧や支配から自由な自立性の象徴である。キリスト教によって「遠未来‐受動的」 なものへと変容された彼らの千年王国主義は「ラフの国」の実現を不確定な未来へと先延ばしにし,実現が 最終的に否定されてしまうことを回避する。キリスト教徒ラフ族による「ラフの国」の語りに見られるのは, 現在における自らの弱小さへの意識および未来における栄光への希望,未来の民族繁栄への期待とその最終 的否定への怖れとから構成される彼らの両義的な意識である。