第7回共同研究(平成13年9月29日土曜日) 川並宏子(英国ランカスター大学宗教学学部) 当発表は尼僧院という出家者特有の社会空間で生活するビルマ仏教の尼僧に焦点を当て、実践生活にみられる 所有形態と生活共同体のあり方を考察することによって、その宗教的立場を明らかにしようとする試みである。 また、宗教の変容という観点からは尼僧院の変遷を継承問題と親族との関係から取り上げてみた。 当研究は上 ビルマにあるサガイン丘陵に広がる仏教共同体の尼僧院で、1986年から2000年まで断続的に行なわれ た調査データに基づいた考察である。 問題の背景として、ここでは便宜的に尼僧と呼ぶビルマ上座部仏教の女性出家者のおかれたアンビバレントな宗 教的立場が挙げられる。 このような尼僧は比丘尼サンガの消滅以来、サンガ組織の法的枠組みに守られた僧侶 とは異なり、法的には俗人としての権利がそのまま保有され、血縁のしがらみを引きずりながら出家者としての 生活することを余儀なくされてきた。このように「不完全」な出家者という立場にあって、尼僧の生活はともす れば俗界の影響をうけやすく、それが顕著に問題化するのが尼僧院の継承時である。その一方で、ビルマの尼僧 は現在、約25000人と数が多いだけではなく、教学の学習が盛んで、高い仏教教育の水準を確立してきたこ とでも知られている。このように女性出家者が従来の不利な立場を乗り越え、20年から30年という長期間、 厳しい教学の勉強に勤しむことを可能にしたのは役割分担に支えられた相補的なパートナーシップと「同じ釜の めし」を食べる「オウ」という生活共同体の存在だった。このような自然発生的な生活の知恵によってビルマの尼 僧は個々の適性や能力を効果的に引き出すことに成功し、僧侶や在家との関係をも損なうことなく、この100 年あまりで尼僧全体の教育の向上に貢献し、その宗教的存在理由を社会的に認識させてきたのである。 しかし、ようやくダンマの教授資格を取得し、教育者として自らの尼僧院学校を設立しても、それは次第に親族 や血縁の利害という俗界の思惑に脅かされていく傾向があった。その背景にはビルマの尼僧院学校では日本の教 団におけるのと同じように伝統的に血族相続が好まれてきた。そのため、一代限りの関係ではヨコのパートナー シップが血縁というタテの関係を取り込んで安定した関係で存在することが可能だが、そこへ次代の継承問題が 関わったとき、血縁関係が友人との相互補完関係を脅かすようになるのである。換言すれば、ビルマの尼僧院学 校には学業を重んじる実力主義と近代的合理性がみられる反面、血縁や親族のしがらみという伝統的要素も根強 く存在し、この双方の微妙なバランスによって教育機関としての運営がなされてきたともいえる。その結果、 恩 師から弟子へというタテの系譜は伝えられても、宗教的資産の象徴ともいうべき尼僧院学校が血縁のない弟子へ と引き継がれていくということは稀で、それまでの実績が次世代へうまく受け渡されていかないという弱点があ った。縁故による後継者選びはそれまで師弟関係を基幹として成り立っていた尼僧院を根底から揺るがし、その 結果、優秀な弟子は離反し、独立して尼僧院学校を立ち上げていくのである。一方、尼僧院学校内では世代交代を 経るたびに血縁の影響が強くなり、それにともなって教育機関としての機能は低下し、一般の檀家からの寄進も 少なくなる。つまり、血縁の濃度が濃くなればなるほど、それは出家者共同体というよりも親族集団としての性 格を強め、閉塞的になることで一般の信者にとってはお布施をする意味を持たないものになっていくのである。 そのため、尼僧院は究極的には親戚縁者が集まる老人ホーム、または親戚が巡礼に訪れた際の宿屋のようなとこ ろになってしまうのである。このように血縁という伝統社会のしがらみから完全に離脱できないため、ビルマの 尼僧院は約40年から50年という歳月を経ると教育機関としても尼僧院としても機能を失い、没落してしまう 傾向にあるといえよう。このような問題を抱えるため、単発的には高名な学者や優秀な教育者を輩出しても尼僧 院に過去の実績が蓄積されていくことが難しい。 従って、尼僧たちは毎回一からはじめなければならないとい う大きな労力の無駄がみられるのである。 当研究はこのような女性出家者のおかれた宗教的立場の難しさをあらためて認識するとともに、様々な困難を克 服し、ひたすら向上することを目指して努力する尼僧たちの実生活のなかから、そこにおける問題を取り上げた 研究である。(報告者自身による要旨)