第4回研究会 (平成12年12月1日金曜日) 1.田中雅一(京都大学人文科学研究所・AA研共同研究員)「在日米軍の宗教生活」 2.名和克郎(東京大学東洋文化研究所)「ネパール,ビャンスにおける『宗教』を巡る語りと実践の変遷」 1.「在日米軍の宗教生活」田中雅一  近代の軍隊組織をどのようにとらえたらいいのだろうか。軍隊は基地や戦場で兵士たちがともに生活をす るという点で,ほかの自発的集団,たとえば企業などとおおきく異なっている。それだけではない。軍隊は 企業と異なり,そのメンバーの死亡率がきわだって高い集団である,といえる。共同生活と死亡率の高さ, この二つは軍隊を単純に自発的集団とみなすわけにはいかないことを示唆している。徴兵制度がある場合は なおさら自発的要素は低くなる。それはいわば自発的集団と非自発的集団との中間に位置するといえよう。 言い換えれば,軍隊には伝統的共同体にしばしば認められるような,メンバーの死を集団の再生,持続の契 機とするような儀式が想定されるということである(Maurice Bloch and Jonathan Parry (eds.) 1982. Death and the Regeneration of Life)。  本報告では戦場で死者を看取る従軍牧師chaplainの役割とゆくえ不明者らを追悼する陸軍創設記念パーテ ィについて論じた。  米陸軍創設記念パーティU.S.Army Birthday Ballは毎年6月に行われる。実施日は基地によって異なるが, 行われる式次第は同じである。まず行方不明の戦友たちへの追悼が真ん中に配置された白いテーブルに対し て行われる。そのテーブルの小ささや,白いテーブルクロス,キャンドルの光,バラの花とリボン,塩とレ モン,伏せられたグラスワインなどの意味が説明される。このテーブルは行方不明の兵士たちに捧げられ, また類似のテーブルが会場のあちこちに配置されている。参加者は白いテーブルの側にある大きめの食卓で フルコースのディナーを味わう。そのうち,陸軍旗が運ばれる。過去の戦闘に参加した陸軍兵士の制服を着 た兵士が一人一人現れて,軍旗に長旗を取り付けていく。ナレーションは,各戦闘(独立戦争から湾岸戦争 までの15の戦闘)を手短に要約する。陸軍の楽隊が奏でる音楽も雰囲気を盛り上げる。この後,バースディ ケーキが運ばれ,軍のなかで一番若い兵士と一番年輩の兵士とが一緒になって,ケーキにナイフを入れる。 最後に参加者が踊る。  この記念パーティは,特定の宗教に基づいたものではないにしても,明らかにそこに宗教的要素を認める ことが可能である。それは特定の神に関わるわけではない。しかし,死や行方不明の成員が,軍隊の歴史を 再現し,バースディケーキをカットする場面と結びつくことで,軍の永続性に寄与するという,伝統的共同 体に認められるような儀礼の効果がそこに認められるのである。(報告者自身による要旨) 2.「ネパール,ビャンスにおける『宗教』を巡る語りと実践の変遷」名和克郎 発表は,人類学者が「宗教」 と見なしうる諸現象,人々自身の持つ「宗教」概念(及びそれと競合しうる諸概念),及び人々自身が「宗教」 の領域に属するものと見なす様々な現象や行為の間の関係を,その歴史的変遷をも含め,極西部ネパール山地 部の事例について概観したものである。  Byansには,南北双方からの影響のもとに,神やそれに対する儀礼,シャーマニズム,葬送儀礼といった 「宗教」として記述可能な諸現象が存在する。しかしそれらは単一の「宗教」体系を構成しているとは言えず, 「宗教」という領域の設定においても,Byansという対象範囲の限定においても,その境界は曖昧である。 一方西洋起源の「宗教」概念の翻訳語たるdharmaは,恐らく過去100年以上にわたり,Byansの人々によって 基本的に南アジア世界との関係で用いられてきた。  とりわけ今世紀半ば以降のネパール領Byansでは,ヒンドゥー王国ネパールの存在を背景として,この語は 人々の意識に大きな影響を与え,今世紀中葉には一部の儀礼の全面的差し替えが行われるに至った。だが, そうした影響がByansの宗教的営為全体に及ぶことはなかった。人々は,外部者に対してはヒンドゥーたるこ とを主張し,時に自らの宗教的営為について問い返しつつも,実際の行為の場においては,基本的に従来の宗 教的な慣習を,dharmaすなわち宗教という枠組よりは,伝統或いはしきたりの総体を含意する語thumcharuで 総称されるなかば対自化された伝統との関係で,様々な変更を加えつつ維持してきたのである。ただし,ネパ ール政府の少数民族に対する扱いの変化と,宗教に関する語りと実践の乖離とが相俟って,近い将来Byansの 宗教的現象に何らかの変化が生じる可能性は小さくない。  自分たちの宗教的帰属を語ることと,宗教的行為を行うこととの間にはしばしば乖離がある。両者は独立し て存在している訳ではなく,しばしば互いに影響を与え,その内実を変化させていく。加えて,人々が宗教的 だと語る現象は,必ずしも実際の場において宗教という参照枠との関係で行為されている訳ではない。 例えば,語りと行為の関係が何らかの理由で問題にされる時,両者を近づけようとする運動が起こることがあ るが,行為の全てが意識化されてはおらず,また行為を行う参照枠が複数存在するために,改革は思わぬ方向 に動いていくかもしれない。そして,人々の語る宗教の内実や宗教的行為の枠組は,必ずしも研究者を含む外 部者の持つ当該の人々の「宗教」に関する見方と一致するわけではないが,人々が語る「宗教」の概念は, 人々自身によって,日本語の「宗教」という語に翻訳可能な普遍的なものとして想定されていることがある。 本発表が確認したのは以上の基本的な事実であり,また特定の事例におけるその具体的なあり方であった。