第1回研究会(平成12年4月21日金曜日) 1.西井凉子(AA研)「『共生の実践』論にむけて−宗教の人類学的考察−」 2.田辺繁治(国立民族学博物館・AA研共同研究員)「社会空間から実践空間へ−人類学的実践ノート」 1.「『共生の実践』論にむけて−宗教の人類学的考察」西井凉子  本報告は,ムスリムと仏教徒が混住し,通婚を繰り返して共存している南タイのフィールドにおいて, 他者とともに生きるということを,特にこの場合は宗教の差異に焦点をおいて,関係論から読み解くため の予備的考察である。まず,そのために本報告での分析視点の移行について,実践論から関係論への理論 的考察を行った。実践論においては,構造対個人の対立図式を,日常的な慣習行為であるプラクティスに 注目して理論化することで乗り越えようとしたブルデューから,参加を重要な概念として認知と実践の問 題を扱った正統的周辺参加論を提唱したレイヴとウェンガーの実践コミュニティ論を概観した。そこから 関係論として,一人の人間を関係の起動点として関係のモデルを考えるストラサーンのパースペクティヴ ィズムともいえる概念に注目した。  次に,人類学における宗教の定義をめぐる議論を概観し,そこから宗教を「社会的,あるいは文化的な 現象を説明しうる何らかの分析的な概念としてとらえることをしりぞけ,むしろ人間社会に一面では共通 し,または文化的にも変異する現実そものもの」としてみるという田辺繁治氏の考えを採用するとした。 そこで,本報告では宗教現象を関係論の視点から考察するにあたって,「社会関係が人と人の政治的な関 係を内包しているとすると,宗教はこうした関係の一つのextremeとしてみる」ことができるとした。つま り従来の定義のように,世俗対宗教,日常対非日常といった二項対立を全体として宗教を特定の領域をし て捉えず,人間の社会関係の一面と捉える立場をとる。  南タイのフィールドでは,ムスリムと仏教徒の関係はサーサナーとパサーという二つの宗教と翻訳する ことのできる言葉によって異なっている。サーサナーにおいては,人間ならば誰でももっているものとし て人間的資質の共通性が強調される。その一方でパサーではパサー・タイ(仏教徒のやり方),パサー・ ケーク(ムスリムのやり方)と慣習や行為の違いが強調されている。ムスリムと仏徒の婚にあたっては必 ず「夫婦の宗教は同じでなければならない」とされているので,パサーの違いは夫婦間の関係の差異化に 関わるが,サーサナーとしての共通の宗教的動機を共有することで互いに相手の立場にたちうる関係とも なる。宗教をイスラームと仏教という枠によって固定的に捉えることなく,人間の営みとして柔軟に捉え 直す契機が,こうした柔軟に相手の立場に変換しうる関係から読みとることができよう。(西井凉子) 2.「社会空間から実践空間へ−人類学的実践論ノート」田辺繁治  本報告では,ルフェーブルの空間概念にはじまりフーコーのエテロトピア,ジンメルの近代性の空間の 社会学,セルトーの空間的実践へと,実践空間までの過程が,まずレビューされた。そして実践空間の概 念は,おもにウェンガーの実践コミュニティ論を批判的に検討することによって,報告者のめざすところ が明らかにされた。それを次の3点についてだけまとめてみる(報告者自身はこの他さまざまな点について 目配りを示しているがここでは省略する)。  まず実践空間とは,従来の社会学等が扱ってきた制度によって枠づけられた内部と外部をへだてるハード な境界をもったものではないということに言及された。実践空間における境界とは,空間的実践への参与 (engagement)から見た場合,つねに折衝可能な(negotiable)な周辺として現れる。そこでの実践とは 実践コミュニティという場を媒介としながら,その土俵のなかでの相互行為を通して協働として行われる のである。そして実践の行われ方は,実践コミュニティの歴史のなかで蓄積され活用されてきた言語,モノ, 慣習などのさまざまな資源に支えられている。こうした資源は固定的ではなく,物象化されることなく, 協働の過程でつねに相互行為のなかでアクティヴに新たな意味を共有していく。  ここで報告者がもう一つ強調しているのは実践空間におけるアイデンティティに関連した問題である。 ここでのアイデンティティとは,根本的に同一化(identification)と折衝の双方によって構成される。 コミュニティで作用する権力は,アイデンティティに根ざし,それは帰属に由来するとともに,帰属をう ながす権力の行使に由来する。このときの権力関係とは,国家のような「形態」をもって制度的に支配を 確立するものではなく,日常的な空間的実践のなかで複合的な作用する力の諸関係であり,アイデンティ ティはその関係性のなかで生まれるという。つまり,実践空間における日常的権力による関係への注目が その第二の特徴であるように思える。  そして第三点としては,主体のアイデンティティをめぐる「ズレ」への注目である。主体のアイデンテ ィティはコミュニティのなかで同質的に形成されることはありえず,折衝の過程は実践への参与(相互行為) を可能にしていくが,他方個々人のあいだの差異をあらわにする。主体の同一化はつねに権力関係が生み 出す差異化とともに進行し,すべての社会的アイデンティティは権力関係が生み出す「ズレ」によって構 成されるという。そこで報告者が課題とするのは,個々人が参加するなかで,「自らを自己に結びつけ」 ながら自己の内なる他者と関係を結び,またその他の個人と差異化しながら生きる技法のなかに不断に生 成する主体化(subjectivation),あるいは主体の不断の創造的な構成=再構成の過程を見いだすことで あるという。(西井凉子)