「タナーン岩の棺桶」 (『通信』2000年 第100号)
 
    〈タナーン岩の洞窟の中にト・ナーンの像〉
 
 今回の短い滞在(2000年5月)では金曜日は1回しかない。だからその日は朝からM村(南タイのサトウーン県)の神、ト・ナーンの前に居座って、願かけのお礼参りに来る人をビデオで撮影しようと思っていた。ト・ナーンは村の入り口に位置する大きな岩山、タナーン岩の洞窟の中にある。ト・ナーンへのお礼参りは、ト・ナーンはムスリムなのでムスリムの集団礼拝日である金曜日のみということになっている。たまたまその日は、新築儀礼もあるというので、そちらを先にして終わったらすぐかけつけることにした。午前11時すぎ、新築儀礼もおわり、ト・ナーンの方へ足早に歩いていたとき、ト・ナーンの方からパンパンと爆竹の響く音がした。しまった、間に合わなかったとあわてて駆け出したが、あとの祭り、もう誰もいなかった。願のお礼参りをする人は、たいてい最後に爆竹をならすのだ。がっかりして、もう今日は一日中ここにいようと誓った。
 しかし、昼はト・ナーンはモスクへ礼拝に出かけてしまうので、願のお礼参りは午前でなければあとは夕方だと村人はいう。夕方、夕立のような大雨になった。タナーン岩から100メートルくらい離れたところにある友人の家で、もう今日は誰もこないよね、と話ながらあきらめかけていた。タナーン岩のまわりは水田やエビの養殖池がひろがっているので、その友人の家が、ト・ナーンから一番近い。そのとき、ト・ナーンの方から爆竹の音が響いた。私はどうしてト・ナーンの前で待ってなかったんだろうと、後悔にさいなまされながら一生懸命走った。バイクで走り去る人の後ろ姿が見えた。自分でかってにこんな雨だから誰もこないと思いこんでいたことが悔しくて、もう暗くなるまでト・ナーンの前から動かないぞと、こんどこそそこに座り込んだ。
 かれこれ2時間、一人でずーっと座っていても誰もこない。あんまり暇なので、写真はすでにたくさん撮ってはいたが、ノートにペンでト・ナーンの像の周りの写生をはじめた。そのとき、ふと気づいた。「あれ、もしかしてこの木の長細い箱は棺桶かな」と。ト・ナーンの像のある洞窟の角にそれはおいてあった。今まで何度もここには来たけれど気づかなかった。でもなぜ棺桶があるのだろう。しげしげと観察してみたけれど、特に何かに使用している様子はない。中には風で吹きこんだ落ち葉がたまっている。あたりに蓋は見あたらなかった。
 その棺桶の謎が判明したのは、その翌週の仏教徒の儀礼が寺で行われる仏日の日だった。寺に集まった人々も儀礼が終わり三々五々帰りかけた時、ちょうどその棺桶の前にたって話をしていた村人に尋ねてみた。「それは、サラブリー(中部タイ)で18百万バーツ(約5000万円)を強盗しようとして撃ち殺された強盗の死体を入れた棺桶だ」という。その強盗犯は近くの別の村の出身の若者で、サラブリーからはるか1000キロ以上の道のりを、その棺桶に遺体を入れて運んできたのだという。遺体は火葬に付す前に別の棺桶に移し替えられたため、その棺桶は焼かれないまま残った。では、なぜその棺桶がここにあるのかというと、それは2ヶ月ほど前に行われた村のある老人の葬式にまでさかのぼる。その老人の親族は、近くの町の寺へ近頃使われはじめた遺体を冷蔵できる棺桶(rong yaen 冷たい棺桶という)を借りに出かけた。その棺桶はちょうど冷蔵庫のように電気で中を冷たくするのであるが、上はガラスになっていて遺体の顔が見えるようになっている。棺桶に遺体を入れるときには、普通の棺桶にまず遺体を入れ、蓋をとってその冷蔵棺桶に差し入れるのである。寺の住職は、「一式もっていくか」と訊ねた。それでその親族は「それでは一式貸してくれ」といい、外の冷蔵棺桶と共に、中に入れる蓋のない木の棺桶も借りてきたのだという。しかし、家にもって帰ってみると、その棺桶には血が付着し、臭いがあった。そこで親族はその棺桶を使わず、結局手作りで作ったという。では、なぜその棺桶が寺に放置してあるのだろうか。それは、葬式も終わり、その棺桶を返そうというときになって、M村の寺の僧が寺においておけと言ったためだという。村人は、僧は頭がおかしい、あれは自分を入れるためにとっておいたのだともっぱら噂してる。しかし、僧自身は貧しくて棺桶を買うことができない人のためにとっておいたのだいう。
 その棺桶がタナーン岩に置かれて以来、夕方にはよく涼みに行っていた村人は誰も怖がって行かなくなったのである。私はそんな事情は何も知らず、暗くなるまで棺桶の側に一人で座っていたのだ。そういえば、夕方暗くなりかけた頃、2−3人の男の子達が通りかかり「一人で怖くはないのか」と呼びかけたけれど、その言葉には「暗くなったら女性が一人で外出すべきではない」という単なる一般的警告以上に、そういう背景があったわけだ。
 しかし、村人がこれほどその棺桶を怖れるにはさらに理由がある。それは、その撃ち殺された強盗犯の若者・ヘ、以前にタナーン岩でツバメの巣の見張り番をしており、その棺桶が置かれているまさにその場所に泊まり込んでいたということである。その時、彼は村人をタナーン岩に立ち入らせないようにしたため、怒った村人に追い出されたという。その同じ若者が今度は撃ち殺され、その遺体を入れた棺桶が、またタナーン岩にもどってきたというのでみんな怖がっていたのだ。
 棺桶の側に一人で座っているときに、私は棺桶に血痕があることには気づかなかったし、時間がたっていたせいか臭いも感じなかった。でも、ふと、棺桶の存在に気づいたのは、やはり何かあったのだろうか。そのときは、その木の箱にそんな物語があるとは思いもしなかったのだけれど。