オーストロネシア語族における声調の発生

崎山 理



 オーストロネシア(AN)祖語形は原則的に二音節 (*CV[C]CVC) からなる。この形がさらに単音節要素に分析できるかについては、その切れ方が CV-CVC か、CVC-CV かという基本的なことすらよく分かっていない。現代のAN諸語のうち、フィリピン諸語は弁別的な強弱アクセントをもつことで知られるが、このアクセントはフィリピン諸語内はもとより、台湾諸語とも規則的な対応を示さない。AN祖語におけるアクセントないし声調の再構は不可能で各言語で二次的に発生させたのである。フィリピン諸語では接辞がアクセントをおび文法的機能を発揮することもあるが、アフリカのニジェル・コンゴ諸語も複音節でありながら接辞とステムの結合によって声調が現れる点が注目される。AN語族の声調言語としてニューギニア島フオン湾のヤブム語があり、AN祖語の無声閉鎖・摩擦音を含む音節は高平調、有声音は低平調に変化する。声調発生の直接的契機には先住のパプア諸語と言語接触した可能性もある。

 東南アジア大陸部ではチャム語がオーストロアジア諸語と接触の結果、高域・低域と上昇調を区別する声域をもつ。西暦10世紀頃から始まったチャム人の移動先、海南島では単音節声調言語の漢語、黎語などとの接触により、現在、回語と呼ばれる単音節言語( 多くはAN祖語の *-CVC を維持) に変化し、それに伴い三種の声域(二種の声調)が発生した。AN語族の周縁部ではカム・タイ諸語がAN祖語の *-CVC(final)、 ヴェト・ムオン諸語が *CVC-(penult) と対応する形を残すが、これもAN祖語でアクセントが固定的でなかったことを物語る。古代日本語にもAN祖語から

  1. *CV- (例: *ta-ngan「手」 > ta-(付属形)/ta-i(=AN限定詞) > t@e > テエ)
  2. *-CV (語末 *-C が脱落するのはAN語族の周縁部に現れる共通の傾向。例: ba-buy「豚」 > bui > w@i > イ)
  3. *CVCV(例: *nangis「泣く」 > nagi/naki)
の三類が区別され、古代日本語で二次的に発生したアクセントの位置(3.は平板調)に関係すると推定される。弥生時代、渡来人が中国語と語源的に無関係の語に四声をつけ、それから京阪式の長母音(東京の一音節語)が生じたという小泉保説(1998)は理論的、語史的に信じがたい。

(N.B. 文中2つの @ はシュワの音です。)