A.G.Haudricourtと声調の起源・分岐について 新谷忠彦  声調の起源と分岐について画期的な理論を提出し、現在の声調の起原・進化に関する研究 の基礎になっているのは、他ならぬA.G.Haudricourtの研究である。しかし、彼の本質的な 研究対象は声調の問題ではない。彼にとって最大の関心事は、音韻変化の条件を探ることで ある。これによってヨーロッパ型とは違った変化をした言語のように見えるアジアやオセア ニアやその他の言語の音韻変化に普遍性を見出し、ヨーロッパの言語の研究からあみだされ た音韻法則に、より広範な適応性を付与することである。中でも、有用な対立が別の形で保 存される変化、即ち、transphonologisationという現象の分析にその研究の多くが費やされ ている。  声調の起源についての最初の論文となった、「ベトナム語の声調の起源について」を発表 するきっかけとなったのはH.Masperoの論文である。その当時はベトナム語の系統に関し、 二つの主張があった。一つはモン・クメール語に結び付けるものであり、もう一つはタイ語 に結び付けるものである。後者の代表はH.MASPEROであり、その主張の根拠は、声調システ ムは借用されない、との考えにあった。HaudricourtはMasperoの挙げているモン・クメール 語とベトナム語の関係する語彙を検討・分析した結果、モン・クメール語の音節末子音とベ トナム語の声調の間に次のような対応関係があることを発見した。  モン・クメール語  ベトナム語の声調 の音節末子音    (現地語名)  (1) ゼロ ngan/huyen  (2) -h hoi/nga  (3) -glotal stop sac/nang  一方、漢語とベトナム語の声調の対応関係を見ると、(1)のngan/huyenは中古音の平声に 対応し、(2)のhoi/ngaは中古音の去声に対応し、(3)のsac/nangは中古音の上声に対応して いる。このことから、(1)の声調は平行調、(2)の声調は下降調、(3)の声調は上昇調であっ たものと考えられる。一方、音節末子昔が-hの場合は生理的に下降調をとり、-g1ottal stopの場合は生理的に上昇調をとる。そこで、この両言語の対応を考えた場合、もともと phoneticな違いであったものが、後に音節末子音が脱落したことにより、phonemicな対立に 変わったと考えることができる。つまり、無声調言語から声語言語へ変化したわけである。 従って、声調システムの存在/不存在は言語の系統関係を証明する証拠とはならない。更 に、ベトナム語のngan/huyenの対立はもともとの音節初頭音の無声/有声の対立であり、 hoi/ngaの対立及びsac/nangの対立も同様である。従って、無声/有声という対立に付随する phoneticな違いてあった音調の高低が有声音の無声化という変化の結果、phonemicな対立に なったと考えることができる。結果的に、もともとの三声調がそれぞれ二つの声調に分岐し たことになる。これがすなわち声調の二分化である。  Haudricourtはこうした声調の分岐現象の研究を他の東南アジアの言語に広げ、無声/有声 という二項対立から声調の二分化が起った現象の他に、無声無気/無声有気/有声という三 項対立から声調の三分化が起った現象も発見した。更に進んで、ベトナム語の音節末子音の 対立から起った三つの声調の発生やモン語で起った二つのレジスターの発生なども含め、 「極東諸言語における声調システムの二分化及び三分化」という論文でこうした transphonologisationの現象を一般理論化した。また、ニューカレドニアの言語における声 調発生も、初頭子音の強/弱の対立がtansphonologisationしたものであるとの仮説を出して いる。  現代における声調の発生・進化に関する議論は、全てHaudricourtの研究に端を発してお り、具体的な言語の細部について小さな問題はあっても、彼の理論の本質を覆すような研究 は現われていない。