ラチ語のトーンサンディについて

小坂隆一


 ラチ語は、ベトナム北部及び中国南部にわずかに話されるカダイ系(=タイ・ カダイ系)の言語である。この言語は、カダイ系言語のご多分にもれず、曲斜型の 声調を有する声調言語(contour-tone language)であるが、この語族の代表格 として知られるタイ語(Thai)やラオ語とは異なり、原則的には二音節以上の語 を主体とする複音節言語である。因みに、ラチ語では、形態素間において、母 音、子音を問わず、同化、異化といった音変化が(例えばタイ語などと比べて)比 較的頻繁に見られるが、このことは、弁別のための機能負荷が各音節に分配され 受け持たれているという意味で、この言語の複音節性と無関係ではない。

 ラチ語には43、23、45、22、21の5声調(軽声を含めれば6声調) が認められる。ラチ語のトーンサンディとは、基本的にはそのうち上昇調の23 と45の2声調が、名詞句や動詞句内、時には主述間において、間に休止(/#/ )が存在しない場合、後続の音節の声調を45へと上昇させる(もともと45の 場合はそのまま)機能を持つというものである。しかし、休止が存在しない場合 であっても、注意深くなされた発話や同音衝突をもたらす可能性のある発話で は、トーンサンディが適用されないことがある(例えば、“来年”は/phji23 m23/で、決して/ phji2(3) m45/(=“犬年”)とはならない)。軽声が当該音 節間に介在する場合には、それを飛び越える(あるいは無視する)形でトーンサ ンディの適用が行われる。以上、23と45に関するサンディは、音声学的に見 れば声調の順行同化的なものと捉えることもできる。23、45以外のサンディ については、声調22が後続音節の声調の低下機能(23(あるいは22)へ) または上昇機能(45へ)を有する場合がある(そのうちいずれの機能を有する かについては場合による)が、この声調22に関するサンディの実態の詳細及び 起源についてはいまひとつ判然とせず、今後の課題である。

 通時的な観点からは、現在では接頭辞付加の複音節語として分析されるいくつ かの語(“鶏”、“生姜”、“木”など)が見せる不規則声調は、歴史的にトー ンサンディを被ったためであると考えればうまく説明がつく。