民話研究のあらまし

(このページは工事中につき完成稿ではありません)

<民話とは>

そもそも 民話 folktale(英) conte populaire(仏) とはどういうものでしょうか? あるいは民話と伝承神話などはどうやって区別されているのでしょうか? この問題はいわゆるジャンル問題と呼ばれるもので,かなり以前から多くの研究者によって論議されてきましたが,ここでその詳細に立ち入ることはしません。一見いい加減な(実はかなり本質を突いている)言い方をすれば,

民話=民話研究が扱うテクスト

ということになります。この例証と言うか,某民話研究者が自戒を込めてふと漏らした企業秘密があります。それは民話の宝庫と呼ばれる地域には唯一の共通点があると言うものですが,その共通点とは民話研究者が長く滞在したことなのです。
こういうトートロジーが嫌ならば

民話=民衆の間で語り伝えられている話

と簡単に済ませることもできます。取り敢えず民俗学で通常用いられている定義は

民話=フィクションの物語で口承によって伝えられるもの

となっています。
これらに対して筆者としては大まかに次のような立場を取っています。

1)民話や神話,伝説,説話などは物語というジャンルの下位分類である。

2)物語の定義(例えばロラン・バルトのもの)はかなり広範である。

これは扱うジャンルをあまり限定しないことを意味するもので,この姿勢は少なくとも中立的であると言えます。何故ならばダサい教条主義に陥らないからです。

逆に民話と対立するものを挙げてみたらわかりやすいかも知れません。例えば,心理描写がだらだら続く強迫神経症的な小説(最近多いです)はテクスト表層においては民話とは言えないでしょう。但し,その場合もテクスト深層に存在するプロット構造のようなものは民話のそれと近い場合もあるようです。
つまり,民話において重要な要素単位は

登場人物(必ずしも人間だけとは限りません)の行為やそれに関わる様々な事物

であると言えます。これらは一般に物語内容と呼ばれているものでソシュールの記号内容概念から借用されたものです。

ところで,民話研究の親分筋に当たる物語学では, 語られた内容(物語内容)よりも語り方(物語表現)を重視する(というよりもそちらしか扱わない)方向がどうやら優勢のようであることを付け加えておきます。
いずれにせよ,民話というジャンルの限定そのものも民話研究の中に含まれていたことは確かです。あまり生産的ではありませんが。

<民話研究とは>

最近「童話には実は元々残酷な話が多く,子供向けに書き直されている」といった類の書籍がよく売れているようです。童話が民話ジャンルかどうかということはさて置き(多くの童話が民話をもとに書かれたことは確かですが), 本当は××な△△という売れ筋本によくあるタイトルは奇しくも,民話研究の内容をうまい具合に表しています。

例えば,本当は××なという表現は,元々は××であったのに××的要素が取り除かれてしまったということを意味しますが,これは民話研究のうち

物語要素の欠失(あるいは挿入)という範列レヴェルにおける変形の研究

を指すと言えます。ペローの『昔話集』などはこの変形操作が意図的に行われた好例でしょう。
次に本当はという語ですが,これは民話研究のうち

物語の母型あるいは原形(元型)【要するにオリジナル】を限定する研究

を指すと言えるでしょう。 もちろん,特定の書き直された民話集と,それが依拠した民話集との対照だけで本当は××なと簡単に言いきるのは厳密には不可能です。何故ならば,依拠された民話集がどこから来たのか言及しない限り,またその過程を極限まで遡及しなければ本当はと言えないからです。ラファティーはこれに似た過程を題材にしたお洒落な小説を書いています。

民話研究ではこれらの変形論(これと不可分なのが統辞レヴェルの形態論です)や起源の研究に加え,精神分析的研究というのもあります。これについてはフロイト派の名を挙げるだけに留めます。

結局のところ,民話研究はかなり広い範囲を扱うものだと言えます。口承(語り伝えられたもの)にせよ書承(書き伝えられたもの)にせよテクストを取り上げて,それを要素単位に切り刻み,その構造について専ら要素間の関係に関する考察を行ったり,あるいはテクストに様々な解釈を与えることによって,無自覚的な弁証法的論理体系として捉えることすらできます。ただ,意味レヴェルの研究の科学性は未だに保留されますが。

民話とは,森羅万象を語ると同時に,生死に代表される不条理や人智を超えた事象を民族固有の思考様式によって解釈=再現前させる装置なのです。

それでは神話と同じではないかと思われるかも知れませんが,前述したようにそのようなジャンルの局限そのものが教条主義にはまり込む第一歩だとも言えます。 このような民話の様態が,研究者の様々な理論を例証するための展性の高いデータとしての利用を可能にしているというのが事実でしょう。 因みに筆者が主に行っている研究は,形態論/変形論を情報生物学的に扱うものですが,これについては別のページで述べます。

<民話研究の応用>

ここで応用と言うのは民話研究の方法を他の人文科学分野に適用するということではなく,もっと生臭い実益を生み出すであろう応用のことです。

一時大流行した(今でも流行していますが)RPG(ロールプレイングゲーム)は何故受けるのでしょうか。ストーリーは押し並べて,様々な試練を経ていく主人公の成長譚であり,時に何かを探索する物語であり,そのために仲間がいたりあるいは多種多様の小物を駆使することもあります。これらはすべて民話の物語要素群ですが,実はかなり乏しいレパートリーの中からの選択に過ぎません(例えば,民話ではお馴染みの近親相姦や過剰な暴力はRPGにはほとんど出てきません)。しかし矮小な画面内での模倣的再現であれ,無限の類話を自ら語る(あるいは語らせられる)というRPGは,生々しい創造=想像性が馴化されてしまった現代における代償行為にも似た異形の語りのパフォーマンスであると言えるでしょう。となると,本物の民話において語り伝えられるに足る価値を持ち得た物語要素のある組み合わせは,さらに多様な(あるいは豊穣=過激な)ストーリーを提供できる膨大なレパートリーとなるのです。

RPGほど消耗される類話数が多くはありませんが,骨格となるプロットはほぼ同じで付加的要素だけが変化する大量消費型小説というものが存在します。これは物語要素の連鎖軸上のマクロ文法を変えずに範列軸上の要素の操作だけで類話を生成するという仕掛けですが,信頼できる筋によると有名な○○シリーズでは既にコンピュータが応用されているようです。この種のジャンルに対しても民話研究はさらに多様な素材,さらには,仕掛けそのものに作用できるアルゴリズムも提供し得るのです。

これらの他にも,プロットの選択によって物語を生成することによる,言わばある種の箱庭療法,あるいは民話の世界観にスクリプト概念を組み込むことによる,知識ベースに基づいた物語の系のモデル化等々,民話研究の応用はかなり広いと言えます。

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