星と月と太陽
『マダガスカル研究懇談会会報誌 Serasera』第18号
2007年 pp.3-11. 所収
 30年近くもマダガスカルの研究を続けていますと、よく人から「どうして最初にマダガスカルを調査地として選んだのですか?」との質問を受けます。マダガスカル島にしか見られない動物や植物あるいは化石や岩石などを研究対象としているのであれば、その答えは誰をも納得させるものでしょう。しかしながら、私が専攻している研究領域の文化人類学/社会人類学は人間を対象とするものであり、その上地球上の全ての人間はその形質的・文化的・社会的な差異にかかわらず同じ人間として絶対に等価であるとの学問的な前提を共有していますので、調査は地球上の何処の地域で行っても良いことになっています。そのため文化人類学研究者/社会人類学研究者の調査地選びは、「まだその人々についての調査研究がなされていない」あるいは「ジャングルや砂漠や極北などの地で生活してみたい」との探検ロマンの好奇心、逆に「食べ物が口にあい生活が楽そう」や「言葉を簡単に覚えることができそう」と言った実利的ではあるものの調査を行う上で大切な計算、「その地域や国なら調査費や研究費が支給された」や「指導教員や先輩研究者の薦めがあった」などのあたりまえすぎる研究環境をめぐる条件、あるいは「その国やその地方から来た人とたまたま知り合った」など、すなわち個人をめぐるさまざまな事情と心情によって決定されることになります。

 私自身の調査地の選択もその例外ではなく、幾つかの事情と心情が錯綜していましたが、その中でも「日本から遠い南の島で調査をしたい」とのロマンが強かったと思います。その時の「南の島」の言葉の中には、日本本土から見て南の方角に位置する熱帯気候の島であると言うだけではなく、中学から高校にかけ太陽観測部と言う名の天文クラブに所属していた人間にとっての「南半球」との意味合いも込められていました。今日は、天文好きの人間にとってマダガスカルに行くと言うことが、いかに魅力的かつ貴重な体験であるかを一人でも多くのみなさまにお伝えするために、この場をお借りしたいと思います。

 ちなみに、私のマダガスカル調査の際にはいつも、自分の調査そのものにはほとんど不要な8倍×30mmのニコン製双眼鏡の愛機を、星図およびその年の天文現象が記された誠文堂新光社の『天文年鑑』と共にトランクに詰めて行きます。自然観察を目的にマダガスカルに行かれる人の中には双眼鏡を装備される方も少なくはないはずですから、せっかくマダガスカルの地まで双眼鏡を持って行かれたのならば、それを夜空にも向けないとは何ともったいない事と、天文好きの人間ならば誰しもが思うことでしょう。ちなみに天体の観望に用いる双眼鏡は、倍率は10倍以下、口径は30mmから40mmが適当です。これ以上の倍率になると三脚に固定しない限り手ぶれがひどく眼が疲れますし、口径が大きいほど集光力が高まり暗い天体を見ることができますが、今度は重くなり双眼鏡を支える腕が疲れます。また、レンズに収差があるとせっかくのマダガスカルの星空と個々の天体の淡い美しさを損なってしまいますので、有名光学メーカーのものを用意してください。もちろん、双眼鏡を使わなくともマダガスカルの星空の美しさを堪能することに、何の問題もありません。その一方、星が空に瞬き始める頃から、マラリアを媒介するハマダラカの活動もまた始まります。長ズボンに長袖の衣服の着用、肌の露出部への防虫薬の塗布、蚊取り線香の使用など防蚊対策をしっかりとった上で、さあ空の開けた場所に出てみましょう!

 マダガスカスカルの地の利を活かした天体の観望は、何も6等星や天の川を見ることのできる時間まで待つ必要はありません。太陽が地平線に没する瞬間から、その楽しみは始まっているのです。もしマダガスカルで海など水平線の開けた場所に居る時は、太陽が没した後の数十秒に注目していてください。突然、緑色の閃光が太陽の没した辺りに煌めくことがあります。これを「緑閃光」と呼びます。私自身まだ観察に成功したことはありませんが、空気の透明度が高く地平線が開けた場所に居る人は、この珍しい自然現象にチャレンジしてみる価値があります。地球の大気によって屈折された太陽光の中でも、緑色が最もその影響を受けるために起こる現象と言われています。砂漠や極地の日没において観察された例が多いようですが、マダガスカルでも実見できる可能性は十分にあります。また日没後や日の出前の空では、太陽に近づいた巨大彗星を目撃できるかもしれません。残念ながら日本からの観望には適しませんでしたが、この2007年1月にもマックノート彗星がマダガスカルを含む南天の夕空で、長い尾をひいた雄大な姿を見せてくれました。

 水星の名前は誰もが知っていても、その姿を実際に見たことのある人は少ないのではないでしょうか?水星の等級そのものは一番明るい時には−1等から−2等に達しますので、光度だけで言えば日本の都会でも十分に見ることができる天体です。しかしながら、太陽系の中では最も太陽に近い惑星のため、一番太陽から離れた場合でも、日没後2時間、日の出前2時間くらいの時間帯でしか見ることができません。ですから、あのコペルニクスさえ、水星を見たことがなかったとも伝えられています。地平線からあまり離れることのない水星を見るためには、地平線が開け、ある程度空気が清浄な環境が必要です。それだけではなく、日本のような中緯度地帯では、季節によって太陽が天球上を移動する経路である黄道の地平線に対する傾きが異なり、黄道(天球上に投影された太陽の通り道)が地平線に対して成す角度の小さい時期ですと、たとえ水星が太陽から離れていても、地平線上の高度が低く、見ることが難しくなります。その点低緯度のマダガスカルでは、一年を通じて地平線に対する黄道の傾きに大きな変化がありませんので、水星が太陽から離れている時は、何時でも観望の好機と言えます。ただし、太陽に近い水星は動きが早いため、見るためには今水星が何処に居るかを確認する必要があり、『天文年鑑』や『理科年表』を参考にするのが良いでしょう。

 6等星や天の川がはっきりと見えるようになってきたら、まずは人工衛星を捜してみましょう。現在地球の周りには、3000以上の人工衛星がその軌道上を周回しています。人工衛星は、自分自身で光を発しているのではなく、太陽光を反射することによって光って見えますので、地表は陰に入っていても数百キロ上空では陽光が輝いている日没後や日の出前がその観望の好機となります。人工衛星本体の大きさと軌道はさまざまですので、その明るさや速度もさまざまです。日没1時間後くらいに、マダガスカルで空を見上げていますと、必ず一定の速度で空を動いてゆく光の点を幾つか発見することができます。うまくすると1時間くらいの間に20個近い人工衛星と遭遇することもあります。明るいものでも2等星くらいですから、人工衛星を見つけるには、やはり夜空の暗いところが有利です。天文現象に慣れない人にとっては、流星や飛行機をそれと見間違えるかもしれませんが、人工衛星は流星に比べれば速度がずっと遅く、また明るさが変わったり途中で消滅したりすることもありません。飛行機と比べると、太陽光を反射している人工衛星に赤色や緑色はありませんし、点滅することもありません。本当に夜空の星の一つが、一定の速度で天空を横切ってゆくようです。もちろん、空が暗く透明度の高いマダガスカルでは、流れ星もよく見えます。とりわけ12日を極大日に8月上旬には、有名なペルセウス座流星群が活発に活動します。8月はペルセウス流星群に限らず、流星と出会うことのできる機会の多い月にあたりますので、日本で流れ星に願いをこめるチャンスに恵まれない人は、マダガスカルで挑戦してみてはいかがでしょうか。

 人工衛星捜しに疲れたら、今度はもう一度太陽が沈んだ辺りの西の空に眼を向けてみましょう。月のないよく晴れた夜空ですと、地平線から円錐状の淡い光が立ち上っている様に気がつくことでしょう。この光の帯を、「黄道光」と言います。正体は、太陽の周囲の宇宙空間に黄道面に沿って散らばった細かい塵によって、太陽光が散乱されたものです。その名のごとく、黄道に沿ってこの光の帯が見えます。黄道光は、日本の夏に見える射手座付近の天の川よりも淡いため、それが見えないような土地ではもちろん見ることができませんし、地平線から立ち上っていますので、とりわけ地平線付近が暗くかつ空気が清澄なことが必要です。日本の都会では、もはや全く見ることのできない天文現象です。さらに、黄道に沿って見えますので、先に述べたように、日本では季節によって黄道が地平線となす角度が大きく変わってくるため、日没後の黄道光は秋に、夜明け前の黄道光は春に見やすく、夏と冬は見にくくなります。その点、マダガスカルでは、年間を通して黄道が地平線となす角度があまり変わりませんので、一年中夕方と明け方に黄道光を見ることが可能です。

 日本人が熱帯地方に行った時に見たい天体の人気ナンバーワンは、なんと言っても南十字星でしょう。日本でも沖縄の波照間島ないし小笠原諸島までゆくと、南十字星が南中した時に、かろうじて水平線上にその全容を認めることができます。その点、南緯14度から25度に位置するマダガスカルでは、南十字星本来の勇姿を堪能することができます。南十字星は日本の季節で言うと春の星座にあたり、そのため8月の夏休みにマダガスカルに行って眼にする南十字星は、西の空で横になりかけたいささか期待はずれの姿となります。その見つけ方は、からす座を真南にくだってゆくことですが、日本で既にからす座の形と場所を知っていることが前提となります。からす座、2等星を中心に構成され派手な星座ではありませんが、よくまとまった台形の四つの星の並びは、明るい星の少ない春の星座の中では目立つものです。あるいは少し遠回りになりますが、さそり座から射手座付近のひときわ鮮やかな天の川に沿って南にくだってゆくと、再び天の川が明るく輝いている場所と遭遇します。その天の川の中に十字状の星の配列を見つけたら、それが目指す南十字星です。南十字は全天で88ある星座の中で最も小さな星座ですが、1等星が三つ2等星一つがコンパクトに十字を成していますので、一度覚えてしまえば、オリオン座と並んで一生忘れることのない星座となることでしょう。もし双眼鏡を持っている場合は、ぜひ南十字星とその付近の星野に向けてみてください。南十字星のすぐ横に黒々した空間が広がっていることがわかるでしょう。これは、銀河系内部にある星の光を通さないガス状の物質が分布している空間で、「暗黒星雲」と呼ばれます。射手座からさそり座付近と南十字星近辺の天の川はひときわ明るい上、その天の川に沿ってこのような暗黒星雲やプレアデスと同じ散開星団あるいは星を取り巻くガスが光って見える散光星雲が点々と見られますので、双眼鏡の絶好の観望対象となります。

 南十字星はたいへんに有名ですが、実は日本のような北半球からもよく見ることのできる北十字星があることを御存知でしょうか?北十字星、別名を白鳥座と言います。南十字星、確かに豪華な星座ですが、十字の交点に目立つ星はありません。それに対して白鳥座は、1等星こそお尻にあたるデネブ一つだけですが、くちばしや羽根をつくる星三つは2等星ですし、さらに、十字の交点にもちゃんと2等星が位置しており、十字形として見れば、南十字星に勝るとも劣らない勇壮な姿をしています。さらに、翼を広げた白鳥が、天の川の中を飛んでいるような姿も優美です。9月頃のマダガスカルの夕暮れ後の空では、西に南十字星、北東に北十字星こと白鳥座、二つの十字を同時に観望することができます。

 天の川と言うと、日本でも見ることのできるとりたてて珍しくもない天体と思われることでしょう。銀河系の中心方向を見ていることになる射手座からさそり座近辺の天の川は確かに明るく、日本でも大都会を離れれば容易に見ることができます。マダガスカルですと、半月近い月が照っていても、まだその広がりが認められますから、いかに日本の都会の空が人工照明によって明るいかがわかります。しかしながら、銀河系の中心方向と逆の縁を見ることになる天の川、すなわち(日本の)冬の天の川はたいへんに淡く、日本では離島や2000m級以上の山岳地などの空が暗くまた空気の透明度の高い場所に行かないと見ることの難しい代物です。ちょうど、オリオン座からシリウスのあるおおいぬ座の東側の辺りです。マダガスカルでも、アンタナナリヴやタマタヴ、マジュンガのような街灯などの明るい都市部では既にほとんど見ることができませんが、灯火の全くない地域に行きますと、月の無い晴れ渡った夜には、微かではありますが、天の川が確かに夏と同じように天頂よりも北にあるオリオン座の近辺から全天に渡り帯状に流れている様を眺めることができます。

 同じようにマダガスカルの夜の空の暗さと清澄さを実感させる天文現象として、金星の光によって地上にできる陰があります。地上に陰を作るのは、太陽と月の光だけだと思っている人が大多数でしょうが、天文に興味のある人たちの間では、金星によっても地上に陰ができることが、以前から知られていました。しかしながら、実際にその現象を眼にしたことがある人は、天文ファンの中でも少数にすぎません。金星は地球よりも太陽に近い軌道を回っており、そのため地球から見て満ちかけをするだけではなく、最も明るい時には−4・6等くらいで輝き、白昼の空の中でも見つけることができます。最も明るく輝く頃の金星が、西空か東空にあると、確かにその光によって月のない夜の地上に物の陰ができるのです。周囲に全く灯火の無い海上では比較的見分けやすいのですが、地上でこの陰を見るためには、マダガスカルの山野のような場所を必要とします。

 天文ファンにとって南十字星の次ぎに南方や熱帯で見てみたい天体は、マゼラン雲ではないでしょうか。世界一周航海を初めて試みた16世紀のポルトガルの航海者マゼランに因んで名づけられていますが、マゼラン自身が初めてヨーロッパ人としてこの天体と遭遇したわけではなく、15世紀のスペインやポルトガルの航海者たちが既に航海の途中で眼にしています。南十字星よりも天の南極に近いマゼラン雲は、日本からは全く見ることができません。ですから、南十字星以上にマダガスカルに行ったことの地の利を活かし見ておくべき天体かもしれません。マゼラン雲には、テーブル山座からかじき座の間に広がる大マゼラン雲と巨嘴鳥座にある小マゼラン雲の二つがあります。前者が0・9等、後者が2・7等ですが、恒星と異なり広がりのある天体のためその等級よりは淡く見え、そのため天文ファンの人でさえ夜空に浮かぶちぎれ雲と実際に見間違えてしまうこともあるくらいです。天の南極近くに位置する天体のため、マダガスカルの大半の地域では月明かりの無い夜ならばほぼ一年中何時でも見えていますが、小マゼラン雲は日本の秋にあたる9月から10月頃、大マゼラン雲は日本の冬にあたる12月から2月頃の方が地平線からの高度が高いため、より簡単に見つけることができるでしょう。マゼラン雲は、地球から17万光年の所にある隣りの銀河であり、銀河系と共に局部銀河群を形成しています。

 天体にさほど関心の無い人でも、アンドロメダ星雲の名前をどこかで耳にしたことがあるでしょう。また、その雄大な姿を写真で見たことのある人も大勢いることでしょう。このアンドロメダ星雲、天の北半球にあるだけではなく、等級は4・4等ですから、日本でも肉眼で見ることができます。しかしながらそれはあくまでも紙の上のことで、夜空が人口灯火によって明るく、空気の清澄度の低い日本でアンドロメダ星雲を肉眼で見るには、冬の銀河と同じく今では離島や冬季の山岳地帯にまで出かけてゆく必要があります。しかしマダガスカルでは、灯火のある都市部を離れれば、何処でも見ることができます。ただし、「肉眼で見ることができる」と言ってもぼーっとした光の広がりのため、その場所を知らないとプレアデス(すばる)のように誰にでも簡単に見ることができると言うものではありません。その名のごとくアンドロメダ座に位置しますが、天体好きの人間でもない限り1等星が一つもないすこし地味なアンドロメダ座を天空上に識別することは難しいでしょう。マダガスカルから北極星そのものを見ることはできませんが、一般の人にも馴染みの深いおおぐま座の北斗七星とカシオペア座の特徴的なW字型の星の配列は、それらの星が最も高く昇った時、北の地平線上に姿を現します。アンドロメダ星雲は、11月から12月頃北の空でカシオペア座のW字がひっくり返って見えている時に、そのWの字の右もしくは東側の先端の星からほぼ一直線に上方に伸ばした先にあります。双眼鏡を用いるとはっきりと見ることができますので、それで位置を確認してから再度肉眼での視認を試みると良いでしょう。肉眼や双眼鏡からは、写真で見るような壮大な光の渦巻きの再現を望むべくもありませんが、このアンドロメダ星雲が230万光年の彼方に位置する、私たちが居る太陽系を含む銀河系とほぼ同じ大きさのお隣りの銀河であると共に、肉眼で見ることのできる地球から最も遠い天体であり、今見ている光がはるか230万年前に発せられたものであることを思うと、宇宙の深遠さに引き込まれて行く自分を感じずにはいられません。

 ご紹介したい天体は数々ありますが、南十字星と同じように日本では見ることが難しく、それが高く輝く南天を思わずにはいられない天体二つを挙げておきましょう。その一つが、カノープス星です。全天で一番明るい恒星が、冬の星空の中で一際輝いているおおいぬ座のシリウス−1・46等であることは、みなさんよく御存知のことでしょう。では、シリウスの次ぎに明るい恒星はと言うことになると、知名度はぐっと下がりますが、実は竜骨座にある−0・72等のこのカノープスなのです。この星がなぜ天文ファンにとって馴染みが深くまた南天を思い起こさせるかと言うと、その輝度もさることながら日本の本州からぎりぎり見ることのできる南限の星であるためです。岩手県付近から北の地域では、もう見ることができません。そして面白いことに、シリウスのほぼ真下に位置し、そのためカノープスを見つけるには、シリウスが南の空に一番高く昇った冬の寒いよく晴れた日に、南の地平線に目を凝らすことになります。東京でも観望できますが、地平線近くの空気が清澄であることが何よりも求められますので、冬型の気圧配置が強まり季節風が雲と塵を全て吹き飛ばしてくれたようなごく限られた日にしか見ることができません。このように南の地平線上にわずかに顔を出すカノープスを見ることは北半球の高緯度地域では難しく、そのため中国ではこの星を見ることができたら長生きができ縁起が良いと言われていたそうです。先ほどの大マゼラン雲を南天に捜しだし、その近くで一際明るく輝く星を見出したならば、それが目指すカノープスです。日本で言うと冬の星座に入りますので、12月から2月頃に南天で輝いており、8月頃は深夜すぎてから昇ってくることになります。

 カノープスよりは南中高度が4度ほど高くまだ見やすいのですが、それでも春の宵の地平線上にわずかに顔をのぞかせるだけであり、気温が上昇して大気中の水蒸気が増えた春の地平線の透明度は冬よりも下がるため、日本の本州では肉眼での確認に困難が伴うものの、その華麗さで有名な天体が、ケンタウルス座の通称ω星団(オメガ星団)です。望遠鏡などが発達していない時代、この星団は恒星と見間違われていましたが、正体は私たちの銀河系を取り囲むように分布している1・6万光年の彼方にある球状星団です。球状星団とは、その名のごとく、数十万から百万もの星が球状にぎっしりと集まった天体です。銀河系に属する球状星団だけでも50以上の数がありますが、それら全ての球状星団の中でこのω星団は最も美しいと言われており、天文ファンにとっては、南方に行った際にぜひ見てみたい天体の一つです。南十字星の左肩の斜め上を、南十字星の縦の長さと同じくらい伸ばした先に見つかります。等級は3・0等ですが、肉眼では6等星くらいの恒星のようにしか見えません。しかしマダガスカルで月の無い夜にω星団に双眼鏡を向けると、黒い背景の中に円盤状の光の塊が浮き上がり、その幾何学的な美しさの片鱗を見せてくれます。南十字星を探し当てたならば、同時にこのω星団にも眼をむけてみてください。



 空の開けた私の調査地の村では、月の無いよく晴れた風の穏やかな夜は夕食後、空を見上げたり、双眼鏡を向けたりして、至福の時を味わっています。そう言う時に行き会った村人は、必ずと言って良いほど「一人で、何を見ているんだい?」と訊いてきます。「星だよ」と答えると、「ふ〜ん、それであんた運命(vintana)でも占っているのかい?」とか「星が珍しいのかい?」とか質問を重ねてきます。「見ているだけさ」とさらにこちらも答えを重ねると、たいていの村人は「ただ星空を目的もなく見て楽しむ」なる私の行動を、「やっぱりガイジンはおれたちにはわからない変わったことをするもんだ」と言う感じで去ってゆきます。「人は失ってはじめてそのものの大切さを知る」とよく言われますが、星空に関してこの言葉はぴたりとマダガスカルの人たちに対し当てはまるようです。夜になれば星が空を埋め尽くすのがあたりまえ、それが見えたことにことさら何の意味があるのかと言うところです。それだけではなく、マダガスカル人の祖先はインド洋を渡ってやって来た海洋民であったにもかかわらず、その末裔であるはずの現代のマダガスカル人は、星や天体に対して驚くほど関心を示しません。国立民族学博物館の飯田さんのお話でも、アウトリガー型カヌーを巧みに操り漁を行う南西部のヴェズの人びとでさえ、星などを用いた夜間航行や遠洋航海の技法を持たないと言います。

 このためマダガスカル人が識別する天体と天文現象の数こそ多くはありませんが、その中にはインドネシアなどの故地を偲ばせる語彙も散見します。マダガスカル語で<星>を表す語彙は、中央部から北部のキンタナ(kintana)と南西部から南部のバシア/ヴァシア(basia/vasia)の二系統に別れます。後者のバシア/ヴァシアがオーストロネシア語系の<星>(bat'iagn)に由来するのではないかと推定される一方、前者のキンタナは先ほど<運命>と訳したヴィンタナ(vintana)と共に、オーストロネシア語系の<星形>(bintang)に由来すると言われます。それゆえヴィンタナも古くは<星>を意味したのではないかと推測されていますが、現在では占い(sikidy)や占い歴(alimanaka)における<運命>の意味でしか用いられません。月については、ヴーラナ(volana)系統の名称が全島で広く使われており、これもオーストロネシア語系統の語彙(bulan)に由来します。この系統ではないちょっと面白い月の呼び方には、北部地方やサカラヴァ(Sakalava)の人々の一部で用いられているファンザヴァ(fanjava)があります。意味は<明るくするもの>、<輝くもの>で、暗い夜に光る月に対する感謝と愛着が伺えます。太陽を広くマスアンジュ(masoandro)と呼びますが、これは<眼>マス(maso)と<日>アンジュ(andro)が複合した名詞です。<日の中心>の意味ですが、オーストロネシア語系統にも(mateanrau)のように同様な言い方と語彙があります。月の名称と同じく北部地方やサカラヴァの一部の人々は、太陽のことをマソーヴァ(masova)と呼びますが、こちらは「明るさの中心」の意味になります。

 この他にマダガスカルの人たちが天空上で名前をつけて識別している天体には、プレアデス(すばる)、オリオンの三ツ星、金星(明けの明星と宵の明星)、天の川などがあります。昔話やことわざにも登場し、マダガスカル人にとって一番親しまれている天体が、プレアデスとオリオンの三ツ星ではないでしょうか。プレアデスの名称は、地域と民族によって異なりますが、その名称の意味はほぼ<臼のようなもの>に集約される点が面白いところです。例えばメリナ(Merina)の人々は、プレアデスを、クトゥケーリミアディラゥナ(kotokelimiadilaona)といささか長ったらしい名称で読んでいます。クトゥケーリ(kotokely)は弟たちないし子供たちを、ラゥナ(laona)は臼を、指します。一方ミアディ(miady)は、「戦う」や「争う」の意味でよく用いられますが、この脈絡では「〜のようである」あるいは「〜にふさわしい」の意味となります。ですから、単語全体は、<臼のような形に集まった男の子たち>あるいは<臼のような形に集まった兄弟たち>の意味となります。プレアデスの星星が成す台形を、臼に見立てているところが、いかにも稲作民であるマダガスカル人らしい着眼点です。フィアナランツア州(Fianarantsoa)の東部の山岳地帯に居住するタナラ(Tanala)の人々は、ヴァシア・ミアディ・アンダゥナ(vasia miady an-daona)と名づけていますが、意味は同じように<臼のような形に集まった星>です。プレアデスに比べると、オリオン座のベルトにあたる三ツ星に対するマダガスカル語の名称は、多様です。メリナの人々は、テル・ヌフ・レフィ(telo noho refy)と名づけています。テルは、「三つ」、ヌフは「〜よりも」、「〜のせいで」を意味する前置詞、レフィは昔の長さの単位で、両腕を広げた時の手の先から手の先までを示します。すなわち<両手を広げたような(直線上の)三つ(の星)>が、その意味です。西部から北部では、テル・アンダカナ(telo an-dakana)系の名称が広く用いられています。テルは同じく「三つ」、アンは「〜属する」を表す前置詞、そしてラカナは「舟」を指しますから、<舟の中の三つ(の星)>の意味となります。いささか海洋民らしい名付けです。一方南部のタンドゥルイ(Tandroy)の人々は、フェヘ・ヴァザヴ(fehe vazavo)と呼び、こちらの直訳は<ヒョウタンの結び目>、すなわちヒョウタンを入れて持ち運ぶための網を指しています。オリオン座全体を、三ツ星のところでくびれたヒョウタンあるいは網に入ったヒョウタンに見立てたのでしょうか。

 金星については、北西部や南西部の人々のように単に<大きな星>(kintabe, basia-be)とだけの名称を与えている例もあれば、宵の明星と明けの明星それぞれに対し異なる名称を与えている人々も居ます。メリナの人々は、宵の明星をフィタリキャーリナ(fitarik'alina)すなわち<夜を導くもの>、明けの明星をフィタリキアンジュ(fitarik'andro)すなわち<昼間を導くもの>と、言われてみれば納得のなかなか巧みな名前の付け方をしています。サカラヴァやバラ(Bara)の人々は、宵の明星を<月の伴侶>(vadim-bola, valim-boara, valy fanjava)と呼んでおり、これも西の空で地球照(地球からの光を受けて、太陽光が当たっていない月面の側がうっすらと見えること)を抱いた細い月が金星と接近する情景をよく捉えた名称です。天の川も、地域と民族によって幾つかの呼び方があります。メリナの人々は、<空の蔦>(vahindanitra)と呼び、蔦が絡まりあっている様を念頭にマダガスカルの空いっぱいに広がる天の川を目の前にすると、その比喩の妙味さに感心します。全島を通じて一番多い名称が、<空の仕切り>(fanefidanitse, efi-danitse)もしくは<一年の仕切り>(efi-taona)です。天の川がちょうど天空を二分しているように見立ててのことによるものでしょう。夜空の大きなマダガスカルならではの名前の付け方ではないでしょうか。流星の名付けはわかりやすいものが多く、<動く星>・<移動する星>系の名称(kintanan'anfindra, vasia mifindra, vasia mitsaka, kintana mandeha)、南部サカラヴァの人々が使う<夜に墜ちる星>(basia raraka alina)、タンドゥルィ(Tandroy)の人々の<死んだ星>(vasia mate)、南西部の人々の間で用いられる<空の火>(afon-danitra)などです。彗星はマダガスカル人の観察にあまり見られないようですが、その姿形ずばりの名称が多く、メリナの人々は<尾を持つ星>(kintana manandrambo)、タンドゥルィの人々は<火をふく星>(vasia tiok'afo)と呼んでいたことが記録されています。

 では、さきほどご紹介した南天に特有な天体についてはどうでしょうか。南十字星は、フランス語をそのまま用いてクロワ・ドゥ・スュドゥ(croix du sud)と呼び、マダガスカル人が古来マダガスカル語を用いて識別していたか否かについては、議論があるようです。全天で一二の明るさを争うシリウスとカノープスについては、南部のタンドゥルィの人々の間で、シリウスを<牛泥棒の星>(vasian-dahalo)、カノープスを<独身女性の星>(vasia ampelatovo)と呼んでいる他は、特別の名称を与えてはいないようです。さらにタンドゥルィの人々のこれらの星に対する名付けの由来は、わかっていません。これに対し大小マゼラン雲については、天の川とは異なる名称を与えてその存在を認識している地域がやや広く分布しているようです。サカラヴァの人々やバラの人々は、大マゼラン雲を<雨季>ないし<雨季を告げるもの>(asara, famataran'asara)、小マゼラン雲を<乾季>ないし<乾季を告げるもの>(asotry, famataran'asotry)と呼んでいます。大マゼラン雲は、日本で言うと冬の星座、すなわちオリオン座のはるか南に位置しますから、それが南の空に高く見える12月から2月頃、南半球のマダガスカルでは<雨季>ないし<夏>に当たります。一方、小マゼラン雲は、日本で言うと秋の星座、マダガスカルでは9月から10月頃に日暮れてから後の南の空に見えます。マダガスカルの中で雨季と乾季の区別のある地域では、9月から10月はまだ乾季にあたりますから、その名称に齟齬はありませんが、大マゼラン雲を<雨季を告げるもの>と言う呼び方の方が、季節感をよく表現しています。

 この他にマダガスカルの人々の間においても黄道十二宮の星座が伝承されていますが、天球上の星星を結んだ姿としてではなく、アラビアから伝わった占い(sikidy)や占い歴(alimanaka)の中でのみ用いられるものですので、いずれ機会がありましたら稿を改めて説明したいと思います。ただ現在は日本と同じように、生まれた月日に基づいた星座占いの「今日のあなたの運勢」がマダガスカルにおいてもしっかりと定着しており、多くの新聞にその欄がありますし、FM局では朝の定番となっています。

 最後に、天の岩戸伝説など世界各地で古来より人々の注目を集めてきた日食について、マダガスカルの人々はどのように表現してきたのでしょうか。まだ記憶されている方も多い事でしょうが、2001年6月21日の午後にムルンヴェ(Morombe)一帯からヴァンガインドゥラヌ(Vangaindrano)一帯にかけて皆既日食が見られました。当日の「皆既日食騒動」とでも呼ぶべき上は国から下は各地方の人々までの反応については、当時南東部のヴヒペヌ(Vohipeno)の町で社会人類学の調査を行っていた堀内志保さんが、「太陽と月の結婚−マダガスカル南東部ヴヒペヌにおける日蝕をめぐる出来事−」『自然と文化そしてことば 2号 インド洋の十字路マダガスカル』 2006 葫蘆舎 pp.118-125 において巧みな筆致をもって描いていますので、是非ご一読ください。この時日食は、新聞やテレビ、ラジオでは、フランス語をそのまま用いた<エクリプス>(eclipse)の名称でもっぱら呼ばれ、マダガスカル語の名称としては tako masoandro、すなわち<太陽が蓋われる>が充てられましたが、人口にはあまり膾炙しませんでした。では、マダガスカル語で日食を表す単語は無いのでしょうか?タンドゥルィの人々は、日食をアリンベ(alimbe)すなわち<大きな夜>と呼んでいたとの記録があります。北部サカラヴァの人々は、日食と月食の双方を<虫に喰われた>(lanin-kaka)と表現していたそうです。月食については、ロ(lo)と言う単語を用いる地域が多く、ロとは、「腐った」を意味します。サカラヴァとツィミヘティ(Tsimihety)の人々は、月食があると「王が死ぬ」と言い伝えています。とりわけサカラヴァの人々は月食を不吉なものあるいは魔の物が月を犯しているとして嫌い、月食が起こるとマジュンガの市内においてさえそれが終わるまで鍋などを各家庭で打ち鳴らし、寝ないようにする習慣が現在でもなお見られます。また、毎年7月にマジュンガの町のサカラヴァの王家の墓で行われる歴代王の遺骨を風にあてる例大祭ファヌンプアンベ(fanompoambe)は、7月の満月直後の月曜日から金曜日まで開催されますが、月食のあった年は、それから一ヶ月後に延期されます。ですから、月食よりもはるかに希有な出来事であった皆既日食をめぐり、「見ると目がつぶれる」とか「不吉な事が起こるから、家から外に出るな」など人々が大騒ぎをしたことは、決してゆえのないことではありません。

 天空に煌めく星星、マダガスカルの人々の巧みな自然観察眼の活かされた天体の名付け、 マダガスカルに居る時は昼も夜も、退屈している暇なんてありません!

参考文献
1) 村山定男『キャプテン・クックと南の星』2003 河出書房新社
2) Jean-Claude HEBERT, “la cosomographie malgache suivie de l'énumération des points cardinaux et l'importance de nord-est”, 1965, Annales de L'Univérsite de Madagascar Série Lettrres et Sciences Humaines TALOHA 1-Archéologie, pp.83-195.
3) Otto Chr.Dahl, Malgache et Maanjan une comparaison linguistique, 1951, Oslo:Egede-Instituttet. 
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