森山工著『墓を生きる人々
マダガスカル、シハナカにおける社会的実践』
東京大学出版会 1996年
初出:松田素二・川田牧人編著『エスノグラフィー・ガイドブック
現代世界を複眼でみる』 嵯峨野書院 2002年 pp.34−38
  『墓を生きる人々』と言う生と死とを接合した題名に、そこはかとないエクゾティスムの匂いを嗅ぎ本文を紐といた読者の多くは、その「わたしは誰について語るのか」と名づけられた序論部分ですでに繰り返される「民族誌がそれについて語る対象とは、まず初めに厳密な限定を施されたうえで、それについての記述がなされるような対象ではない。それはむしろ、解釈を施されることによって1つの対象として開示される何ものなのかなのである。民族誌の主題が民族誌家の解釈によって総合的に構成されたのと同様に、その対象も解釈によって総合的に仮構され創り出されているのだ。民族誌が解釈の所産であり、それゆえ不可避的な循環のうちにあるということは、こうして記述以前に即自的に自存する対象であると捉えることの根本的な誤謬を示唆している」(同書 14頁)との悪文ではないが読みやすいとも言い難い文体の特異性と理解したと思った瞬間に突き放されるような問題の展開構成に、あるいはとまどいあるいはそれから先を読み進むことをためらうだろう。この民族誌の中に、民族誌家と読者の双方が共有し安住することのできるエクゾティスムの「旅物語」を期待するならば、それは果たされないことを冒頭から運命づけられている。試みに、この民族誌の調査と記述の対象が<シハナカ>なるマダガスカル中央高地に居住する「民族」であると読者が、不用意に思ったこと一つを取りあげてもよい。「彼らが困惑に出口をみいだせない以上、民族誌家としても、ともに困惑せざるをえないように思われる。だが、ここで着目すべきは、この問題を論ずる際、それに解決を与えうると否とにかかわらず、彼らが一様に困惑にとらわるということ、そのことである。それはあたかも、民族誌家の存在とその問いかけに触発されるまで、彼ら自身のあいだでは、シハナカなる民族範疇の根拠について自覚的に議論する機会も必要も、まったくなかったということである。・・・・だが、そうであるならば、これまで論じてきたすべての状況にもかかわらず、何故に「シハナカ」という民族範疇が、彼ら自身の日常的・反省以前的意識のなかで固有の実体性を指示するものとして受け取られているのか、このことこそが問われなければならないことになる」(同書 44頁)と入れ子構造のようにたたみかける執拗な著者の問いかけを前に、それが「あること」において一瞬なりとも対象に対する問いを発することを怠った自己の不用意さに茫然とたたずむような思いにとらわれることのない読者が、どれだけいるであろうか。
   がしかし、エクゾティスムをもってこの民族誌に手を出した「その場にいたことのない」読者の軽率さをあざ笑い、マダガスカルなる「あちらにいたこと」の特権の杖を手にした神たる民族誌家が、そこにいるわけでは断じてない。森山がこの本の全編において繰り返し示すこと、それは民族誌家と被調査者たる人びととの間で交わされる会話の中からさらには被調査者同士の間で交わされる会話の中から周到に紡ぎだされる自己と他者の双方が対象化され新たな了解を獲得し創りあげてゆく微細な過程に、読者もまた参加してゆくことの要請にほかならない。民族誌を書くことが森山自身も主張するように小説を書くことと通底する点があるのは、「自分もそこにいること」の地点へと読者を誘うべく、読者が民族誌を成立させるために初めから要請されてあることのゆえである。そこにおいて民族誌家と被調査者と読者の三者は相互置換的であり、そうであるならば発せられる問いを共有しないでその場にいることを許される超越的で特権的な立場の人間のありうるはずがない。ひとたびこの民族誌家の要請を読者が受け入れるならば、この民族誌はその読解に時としていらだちをさえ覚えるかもしれない自己省察と自己言及に満ちた文体の向こうに、新しい民族誌の形をさえ見せてくれるであろう。その時この民族誌は、民族誌のみならず民族誌家自身さえもが「そこから」立ち上がってくる過程の一瞬一瞬を、参加を要請された読者の眼前に愚直かつ真摯に提示する新たな「旅物語」へと変貌する。すなわち『墓を生きる人々』の読者は、血にまみれた赤ん坊の生誕にも似た民族誌と民族誌家の双方が生まれ出る瞬間の困惑と希望を、森山とわかち合うことになるのである。
   森山の対象へと至ろうとするこの意思の愚直と真摯は、民族誌全体にみなぎるモーリス・ブロックの1971年の民族誌『死者を置く:マダガスカルにおける墓・祖先の村と親族組織』の徹底した読みこみ、註に多くが囲い込まれている<シハナカ>関連歴史資料の広範な渉猟跡、そして何よりも叙述の中心が墓への被埋葬権と実際の埋葬とのずれをめぐるいわば<シハナカ>の人びとの親族論であることに、あますところなく示されている。先行研究の乏しい<シハナカ>であるがゆえに隣接し同じ方言系統に属するメリナの人びとについてのブロックの著作に導かれたとしても、またメリナの人びと同様正統キリスト教と呼ぶことのできる<シハナカ>の人びとが実践する「伝統」的な儀礼や祭りが墓をめぐるもの以外にほとんど無いという現実に導かれたとしても、機能主義人類学が崩壊して久しい1990年代に親族論に属する民族誌を書くことは、対象を描くことへの禁欲的なまでの意思が無ければ到底なしえないことであろう。とは言え、日常生活における世帯以外にとりたてて親族集団と規定することのできる社会的集合体を持たない<シハナカ>の人びとにとり唯一と言ってよい共通の関心事項である墓に埋葬されることの権利が、祖先を起点とする出自はもとより父親か母親のいずれかとの親子関係を選択する択一的親子関係に基づいてではなく、双方的や双側的ないし双係的とさまざまな訳語が案出されてきたバイラテラル(bilateral)すなわち自己から祖先へと父親と母親の双方を等しくたどる親子関係の連鎖に基づいて継承されることを中心に据えて描きながらも、そのことを論証することが森山の主眼ではないことこそが、より一層この民族誌の「今日」を際だたせている。もしそのことが主眼であったならば、故人の墓への埋葬に先立ち故人が被埋葬権を持ちながらも結局埋葬されることのなかった墓に対し赦しを乞う<入らざる墓への禁忌祓い>の手続きを見出した時点で全ての叙述は終わったはずであり、実際にもこの民族誌全体の結論部分と呼ぶべき第7章「情緒・ことば・実践」の章の最後においてこの手続きが入念に読者の前に提示されている。もちろんこの<入らざる墓への禁忌祓い>が、<シハナカ>社会の親族関係から発する論理そのものを体現する行為や実践であることにいささかの疑問もない。
   けれども、この章で森山が執拗に分け入ろうとするもの、それが「こうした語りの形式が示唆することは、唯一の墓の特定が、具体的な諸個人それぞれの個別性を抜きにしては語られえないということである。出自の論理が「同等の重み」をもつものとして規定する複数の墓のなかから唯一特定の墓が選好されるのは、個人に独自な生活史の実践において、その当人が具体化したとみずからみなす、あるいはそう周囲から付度される、特個的な関係のあり方にかんがみてなのだ。墓のこの選別が、特定の親族なり特定の場所なりに対する当人の情緒的な価値づけに言及する語りによって理由づけられることの意義はここにある。・・・・情緒を語ることばは、当人がその過去の人生において、特定の他者なり特定の場所なりと、政治的・経済的な関係をも含めて、何らかの社会的なかかわりをもちあってきたことこそを示すものなのだ。唯一の墓の選択を理由づけるべく当人の情緒的なあり方に言及する語りは、特個的で他に代替不能な生活史を担う特定の個人の、その個別性をそれとして示唆する、包括度の高い語り」(同書 p.254)であることは、いくら強調してもよい。森山があえて漢字の語感を頼りにしばしば使用する「特個」なる単語、それは<入らざる墓への禁忌祓い>なる親族のバイラテラルな論理の現出行為によって全てからめ取られるように見えながらも、どうしようもなくその網からこぼれ落ちてゆかざるをえない極私的であるもの、しかし<シハナカ>なる人びとの口から執拗に語られたもの全てを言葉にしようとする想いが求めた語彙そのものであろう。そしてさらに、ほとんど読む人もいないであろう170頁の註に書きこまれた<シハナカ>の人びとの話者自身や対話相手が単数でありながらも複数形によって言及することによって丁寧さを表す語法を分析した「「わたくしの」という単数形による限定の仕方はやや強い自己主張であるように思える。つまり、それほどまでに所有主体が個人としての「わたくし」であることを主張しているわけである」とのさりげない一文が垣間見せる<シハナカ>の人びとの言葉と習慣に対する森山の豊かな実践を背負った厚い洞察、そして「わたしはこの青年の母親と、今度は周囲に同席する者がいない状況で話を交わしている。このとき彼女は、それまで大まかな形でわたしに伝えられていた彼女の生い立ちを詳しく語ってきかせてくれた。話の中心は、父親を早くに亡くした彼女とその幼い弟の2人に対して、父親のキョウダイたち、とりわけ父方のオバや、その子供たちがいかにつらく当たったかということにあった。だから、わたしが死んだとしても父方の墓には葬られたくない、と彼女はいったのだった」(同書 222頁)と叙述されたラスアという一<シハナカ>女性の物語を墓への埋葬の具体的選択の事例として提示しながらも、それをしも名をまとった一人の人間の語りとして聞き入る森山の禁欲的であらんとする調査者を押しとどめようもなく踏み越えていってしまう共感、それらをしてよくこの民族誌を成立させたとするならば、民族誌を書くことのポスト・モダンが何処にあるのかを読者に考えることを求めて、『墓を生きる人々』は今読まれるために静かにそこにあるにちがいない。
参考文献
 
Maurice Bloch , Placing the Dead:Tombs,Ancestral Villages,and Kinship
Organization in Madagascar , 1971, London:Seminar Press.
レーナルト、M.(坂井信三訳)
『ド・カモ−メラネシア世界の人格と神話』せりか書房
1990年
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