大統領とコーラ
初出:『外交フォーラム』No.183
2003年10月 p.9 を一部改稿
 マダガスカル共和国では、半年間以上にわたる政争の末2002年に大統領が、ラツィラカからラヴァルマナナへと交代した。赤地に野戦服に身を固め険しい視線を彼方へと向ける社会主義時代の選挙ポスターから背広に七三に分けた髪型のいでたちのポスターへとラツィラカがイメージチェンジを図っても、優男ラヴァルマナナの前ではマダガスカルには珍しい悪人面の醜男にいくらの変わりもない。目に見えない政治の新風を、人はまず目に見える大統領自身の容貌の変化に託した。醜男から優男へ、目も次第に見えなくなり老いが確実にその身に刻まれてゆく1936年生まれの人間から実年齢よりもさらに5歳以上若く見える1949年生まれの人間へ。1975年にラツィラカが最初に大統領に選出された当時人々は、「マダガスカルは世界で一番若い国家元首を持った!」と喜んだと言うから、時とは残酷なものである。
 ラヴァルマナナは、TIKO企業の社長である。2002年の政争時、水色と緑色のTIKO社の旗はラヴァルマナナ支持派のトレードマークでもあった。そして、TIKO社のロゴと見間違えるようなTIAKO I MADASIKARA 「私はマダガスカルを愛する」は、選挙から紛争時のラヴァルマナナ支持派の標語であり、現在は大統領傘下の与党名となっている。TIKO社 、最近ではセメントなども造り、ゆくゆくはマダガスカル初のメーター制タクシーを走らせるなど多角経営化が進んでいると聞くが、もともとはデンマークで酪農経営を学んだラヴァルマナナが起業した、牛乳・バター・チーズ・ヨーグルト・アイスクリームなどを造る民間乳製品会社から出発した。
 社会主義を標榜したラツィラカ政権が成立して数年後の1980年前後から経済政策の失敗が噴出、商店の店先からは一時見事なくらいに商品が消え失せた。その当時人々が捜し求めた商品の多くが、今TIKO 社が造る製品であることは歴史の偶然かはたまた皮肉か。そして乳製品会社TIKO社から総合企業への第一歩を記した製品が、Classiko と名付けられたコーラなどの清涼飲料に他ならない。それまでビールと清涼飲料の製造は、国営企業STARの独占。そしてそこで造られるコーラは、1953年以来ライセンス生産されている正真正銘のコカ・コーラ。対するTIKO社のコーラのお味は、目隠しテストをされたら誰もわからないくらい堂々たるコカ・コーラのパクリ。違うのは、コカ・コーラの瓶詰めとClassikoのペットボトル、容器の差。しかし最近マダガスカル人の家庭、とりわけ首都アンタナナリヴの家庭で出されるコーラは、Classikoが多い。ラヴァルマナナ新大統領就任には、世界のコカ・コーラを相手に<ガイジンに負けないマダガスカル人であること>の誇りを回復してくれたTIKO社製コーラの味が、そこはかとなくする。
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