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  マダガスカル社会には固有の文字が存在しなかった一方、東南部のアンテムル族(Antemoro)などの社会においてはアラビア文字を用いた表記法が、製紙技術と共に伝承されていた。しかしながらそれらのアラビア文字表記マダガスカル語文書スラベ(sorabe)に記されていた事柄とは、王族を中心とする集団の起源や歴史伝承もしくは呪術や占いの方法であり、民衆の識字教育はおろか文書に基づいた支配や統治に貢献する性格のものではなかった。この状況は、18世紀末から急速にその勢力範囲と支配地域とを拡大したイメリナ王国(Imerina)においても、同様であった。イメリナ国王は、18世紀後半にアンテムル族の中から、占い師や呪医と共にアラビア文字によってマダガスカル語を書き記すことのできる書記の人びとを招き、その技術の習得を図った。しかしながら、その識字能力は、王などのごく限られた人びとによって学び取られたにすぎなかった。

 そのような中、1820年にイメリナ王国の都アンタナナリヴ(Antananarivo)にロンドン宣教協会(The London Missionary Society)が派遣した宣教師ダヴィッド・ジョーンズ(David Jones)が到着し、1823年に当時のイメリナ国王ラダマ一世(Radama)および王の書記官兼補佐官を務めていたフランス軍伍長のロバン(Robin)と協議の上、マダガスカル語のアルファベット表記法を定めた。母音や二重母音の多いマダガスカル語をアラビア文字によって表記することには不都合が多かったのに対し、アルファベット表記の場合には、特殊な記号を用いずともマダガスカル語とりわけアンタナナリヴを中心とするメリナ方言を過不足無く記述することができた。さらにそれだけではなく、キリスト教宣教団が文字化と共に持ち込んだ学校教育および印刷技術は、識字を一部特権階級や特殊技能者に留まらない民衆層にも伝え普及させる強力な役割を果たすこととなった。

 無文字社会であったイメリナ王国において王国全体にかかわる法律や掟は、王や女王自身が集まった民衆の前で行う演説(kabary)によって、文字通り布告されていた。当然の事ながら、18世紀以前に文字表記された成文法は存在しなかった。しかしながら19世紀に入り、イメリナ王国がマダガスカル全土の三分の二ほどを支配もしくは占領し、対外的にマダガスカル王国ないしマダガスカル政府の立場や役割を果たすようになると共に、1820年以降途中ラナヴァルナ一世時代の紆余曲折があったもののイギリスやフランスなどとの間での外交・貿易関係や処理案件も増大していった。また、本人のみならずその家族などにも死刑や奴隷降格あるいは鉄の枷をはめるなどの厳しい連帯責任を科すイメリナ王国の旧来の刑罰に対しては、キリスト教宣教団から軽減を求める要求が強く出されていた。19世紀半ばにイメリナ王国の宰相の地位につき、その実権を握ったライニライアリヴニ(Rainilaiarivony)は、そのような国内外の情勢に鑑みながらイメリナ王国を「進歩した国」にするために、ラナヴァルナ二世が即位した1868年に『101条法典』を女王の名前で布告した。この法典は、女王による<演説>によって布告されたのみならず、アンタナナリヴのロンドン宣教協会の印刷所で印刷されて配布され、マダガスカルで最初の成文法典となった。この法典とそれまでの口頭による慣習法との相違点は、キリスト教団体の要求を受け入れて死刑に相当する違反行為の数を減らし、連帯責任もしくは累犯による本人以外の処罰の概念を廃止したことであった。

 ここに公開するのは、1881年に王宮内印刷所で印刷され配布された『305条法典』の全原文である。この原文は、1823年に制定されたアルファベット表記に基づくマダガスカル語によって記されている。公開された本資料は、イメリナ王国の法制史・政治史の分野のみならず、19世紀のメリナ方言や慣習分野の研究にも等しく寄与するものである。

 1901年、マダガスカルにおいて原住民司法制度(justice indigene)が施行された。これにより、マダガスカル島に住むマダガスカル人は、19世紀初頭以来ブルボン島(後のレユニオン)総督の権限下に置かれていたため帰化人(assimiles)として扱われたサント・マリー島民を除いて、フランス共和国市民(citoyen)ではなく臣民(sujet)として、共和国の法律によってではなく、マダガスカル現地の法律と裁判制度によって裁かれることとなった。この原住民司法制度の根幹を成したマダガスカル現地の法律が、イメリナ王国の下で1881年に公布された305条法典にほかならない。したがって、305条法典は、公布後も80年近くに渡ってマダガスカル人の社会生活に大きな影響を与えたことになる。植民地体制下マダガスカルにおける法制度を知る上でも、この法典を解読する意義は大きいと言えよう。    

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