哲学・思想研究におけるWWW利用の現状と課題について

『人文学と情報処理』第17号(1998年7月発行)掲載
永崎研宣
筑波大学大学院哲学・思想研究科
nagasaki@logos.tsukuba.ac.jp

1. はじめに

1.1 インターネット利用の現状について

 インターネットが広く関心を集めるようになったのは1994,5年くらいからだろうか。現在では、哲学・思想研究の分野においても多くの大学の学部・学科がインターネットに接続した端末を設置し、また、個人としても多くの研究者がインターネットを利用した情報収集・発信を行うようになってきている。筆者の所属する哲学・思想研究科においては、1997年4月より、哲学・思想系研究機関として独立したサブネットを運用するというところまで来ている。

 1997年にはクリフォード・ストール『インターネットはからっぽの洞窟』の邦訳出版が行われた。その中では、インターネットにおける情報の玉石混淆さが指摘され、効率的な情報収集の困難さが問題の一つとされていた。当然のごとく、邦訳出版後にはその点がインターネットの問題点の一つとして喧伝された。しかしながら、その問題意識は原書が出版された1994年におけるインターネットの状況を題材としたものであり、邦訳出版時の国内、或いは世界中のインターネットの状況はすでに少々異なるものであった。それは、インターネットのボーダーレス性を示すものであったと言うこともできるだろう。すなわち、アメリカで1994年に問題とされたことが日本でもその後すぐに問題とされたのであり、それらの中の一部の問題意識は、すでに解決の方法を模索し、邦訳出版が行われた1996年の時点ではそれなりの成果を示していたのである。邦訳出版された同書を目にしたときに我々が問題にすべきだったのは、インターネットがからっぽであることの確認にとどまるのみではなく、その中にどれだけ宝物を積み上げてこれたか、そして、どれだけの道標を立ててこれたか、ということではなかっただろうか。1996年にはYahoo等の情報のインデックス化を専門とする業種が既に一定の成果を見せ、日本語版すらかなりの充実を見せていたと言うことは、そのような問題意識に対する一つの端的な解であったと言えるだろう。

 人文学研究の分野においても同様のことが言える。それを早くから有益な形で体現していたのは、一例を挙げるなら、東北大学後藤斉氏による二つのWWWリンクリスト、「国内言語学関連研究機関WWWページリスト」と、「国内人文系研究機関WWWページリスト」 であろう。後藤氏のリンク集は、一方は言語学関連のWebページリンクリストとして言語学研究者やそれに関心を持つ多くの人々に有効なインデックスを提供してきた。そしてまた他方は人文科学系研究機関のリンクリストとして、さらに広い関心を持つ人々への網羅的なリストとして機能していたのである。

 筆者もまた、上記後藤氏のリンクリストに直接的な影響を受け、1996年2月末頃より、国内の哲学・思想系のWebページリンク集を作成すべく、「哲学倫理学宗教学関係国内リンク集(以下、哲倫宗リンク)」というリンク集の作成を開始していた。さらに、各専門分野についてもそれぞれに専門家が充実したリンク集を運営していた。ストール氏の上記の本が邦訳出版されたときには、すでにそのような状況だったのである。

1.2 哲学・思想研究におけるインターネット利用についてのこれまでの提言

 広く人文学研究における有用性という意味では、黒崎浩行[1997]、後藤斉[1997]をはじめ、多くの有益な提言がなされている。とりわけ後藤氏の提唱する「ゆるやかな分散型総合学術情報システム」は、WWWの原点を振り返るという意味も含めて非常に有意義なものだろう。さらに、1997年10月に出されたRFC(Request For Comments)2150は「Humanities and Arts」と題しており、広く人文学者、芸術家に対するインターネット利用の啓蒙を目的としている。RFC2150は、インターネットにおいて欠けている重要なものをもたらすことができるのは人文学者・芸術家をおいて他にないとしており、インターネットに対する知識に必ずしも恵まれない彼らのためのインターネット全般にわたるまたとないガイドブックとなっている。その内容は、インターネットの基本技術であるTCP/IPの解説からフォーラム、NetworkNews、さらには画像、動画、いわゆるストリーミングに至るまで、様々な技術について簡潔に紹介するというものになっている。哲学研究者ならずとも、人文学や芸術に携わる者なら一度は目を通しておきたい。

 哲学・思想研究におけるインターネット利用の有用性についても既に山田[1995]や浜渦[1996]において言及されている。しかし、これらが書かれた時期に比して、ここ1年の間、この研究分野においては、WWWをはじめとするインターネットの活用の機運が飛躍的に高まっている。そうした現状を踏まえた時、哲学・思想研究におけるインターネット利用の現状と課題については様々な角度からの新たな検討が必要とされているだろう。本稿は、哲倫宗リンクを運営してきた2年数カ月の中で得た経験に基づいて、哲学・思想系研究におけるインターネット、とりわけWWWの利用の現状について検討した上で今後を展望していきたい。

2. 哲学・思想研究におけるインターネット利用の現状と課題について

2.1 概観

 筆者の行ってきた哲倫宗リンク作成は、哲学・思想研究におけるインターネット利用の促進に貢献することを第一の目的に開始された。そのため、開始当初より、哲学・思想研究に役立つと思われるページへの直接リンクという形態を一つの特色としており、哲学・思想系のWebページは以下のように分類・収集されてきた。括弧内は1998年5月8日現在の登録数である。

研究機関(107)
学会・研究会(25)
リンク集・資料集(45)
テキスト・データベース(47)
雑誌(9)
論文(半自動URL収集導入に伴い計数放棄)

 論文については既に半自動URL収集による全文検索システムを導入してしまっているため、正確な計数はできない。この全文検索システムについては、後に言及する。

2.2 研究機関 Webページの現状

 研究機関のWebページは、大学の計算機センターのコンピュータを利用したもの、学部や学科のサーバを利用して公開されているもの等、それぞれの事情に応じた様々な形態によって公開されている。データベースや研究発表等、哲学研究にあたって有益であると思われるもこの中に含まれている場合が多い。中には研究室単位でサーバを立てているところもあるが、そういうところは概してネットワーク上でも盛んに研究発表等のデータを公開している傾向がある。

 大阪大学の倫理学研究室、京都大学の倫理学研究室等はWWWを積極的に活用している典型的な例だろう。単に研究室の紹介のみならず、研究成果を積極的に発表する目的でWWWを利用しているのである。リアルタイムに情報発信できる、公開する文書のデータ容量に制限がない、といったWWWの利点が最大限生かされていると言えるだろう。

 一方で、大学の計算機センター等で公開されているページの場合には、学科の紹介程度にとどまっている例が多い。中には大学のパンフレットをそのまま掲載しただけのようなところも見受けられる。研究利用という観点からは少々残念ではあるが、大学のイメージを統一するという意味ではこれもまた一つのアプローチではあるだろう。

 具体的な個々のURLの紹介に関しては、既に100を上回っており、紙数の関係上、今回は割愛させていただく。簡単な紹介も付した上で哲倫宗リンクに掲載してあるのでそちらを参照されたい。

2.3 データベース等のWebページの現状と課題

 データベース、及びリンク集についての区別は、主に、どの程度直接に紹介されているデータにアクセスできるかという点と、掲載されているデータの内容等から便宜的に分類しているが、本質的にはほとんど変わらないので、ここでは同一に論じることにする。

 研究利用に資するWebページの構築・公開には、大別して二つのアプローチがある。一つは自分や自分の所属する機関が作成したデータベースをテキストとして、或いは検索システムを用いて公開するものである。もう一つのアプローチというのは、既に世界中に存在する様々なデータベースサイトを独自の視点から再構成し直すことで利用者の利便を図るというものである。

 前者の例として注目に値するものと言えば、まずは「フッサール・データベース」であろう。フッサール・データベース委員会で作成したものを浜渦氏が代表者として静岡大学のサーバ上で公開しているものである。版権の問題があるためにテキスト全文を載せることはできないようだが、提供されているインデックスだけでも極めて有益な研究資料を提供している。

 また、インド学仏教学論文データベースのCGI検索システム「印仏検」は、日本印度学仏教学会が作成した論文データベースを東北大学情報科学研究科の相場氏がWWW上から検索可能にしたものである。この検索システムは、研究機関が作成したものを個人の手でより使いやすいものとして公開するという、興味深い試みである。

 上記の二つの例は、研究機関の手になるデータベースを公開するという試みであるが、他方、個人的な研究の過程における一つの成果としての個人の手によるデータベースを公開するという試みも行われている。インド思想学においては研究の過程で入力した原典の電子テキストを公開しているサイトが幾つかみられる。中でも小野基氏による「Dharmakirti E-text」は個人としてはかなり大きなデータを公開している。また、「公開文献データベース」は制作者の安彦一恵氏による個人的な文献データベースだが、こういった形での文献紹介は新たな議論の展開を生み出すことになるかもしれない。

 また、後者の例として注目されるのは、涌井氏による「哲学関係テキストリンク」であろう。このリンク集は、英訳中心ではあるが、世界中の様々なサイトに散らばっている哲学関係の電子テキストを網羅的にまとめたものである。本来、WWW上に公開されている電子テキストはそれぞれのサーバに散在しているものであり、必要なテキストを探し当てるのにはかなりの労力が必要とされる。それらの電子テキストをリンクという形で一カ所にまとめてアクセスの便をはかっているというところにこのリンク集の特徴がある。このようにして、独自の視点で(この場合は網羅的ということだが)WWW上のコンテンツを再構成することで貢献していくというのは、非常にWWW的な営みであると言えるだろう。

 筆者の運営している哲倫宗リンクにおいては、5月初頭より哲学・思想系論文の全文検索システムの運用を開始した。WWW上に公開されている関連論文を半自動的に収集しインデックス化してWWW上からの検索を可能にしたものである。

 システムそのものは愛知大学の高林哲氏が公開しているフリーの検索プログラムNamazuである。分かち書きプログラムとURL収集プログラムを組み合わせることによってWWW全文検索エンジンとして利用することが可能となっており、現在は、わかち書きにkakasi、URL収集にhttpdownというプログラムを用いている。

 このシステムの導入は、HDDの容量等の関係上サーバを比較的自由に使える環境が必要なのだが、このプログラムを置いているのは筆者の所属する哲学・思想研究科で運用しているサーバであり、こういったことは比較的容易な状況にある。

 また、導入に際しては多少のUNIXやネットワークの知識が必要であり、検索対象となるWebページのURLについての情報も必要なのだが、筆者はUNIXネットワーク管理の経験があり、URLに関しても既に哲学・思想系論文のリンク集を作っていたために特に新たに収集する必要がなく、比較的容易に導入することが可能であった。

2.4 今後の展望

 以上見てきたように、哲学・思想系研究において、WWWは、研究機関の紹介として、研究内容の発表の場として、さらにはデータベースや電子テキスト等の有用なツールとして一定の地位を確保しつつあると言えるだろう。

 研究機関の紹介としての利用は、紙媒体と両立しつつも、より豊富な情報の提供を可能にするものとして今後より有益なものとなるだろう。

 研究内容の発表の場としては、版権との兼ね合いの問題はあるものの、研究機関の紹介と同様、紙媒体と両立し、補完し合うものとしての地位を得ていくだろう。これには、Web出版物の正当な扱いが必要とされ、また、Web出版物の側でも、正当な扱いに耐え得るようなものとなる必要がある。すなわち、松本功[1997]が指摘するように、技術的的にも倫理的にも新たな電子的なリテラシーの確立が必要とされているのである。

 データベース、電子テキスト等の研究に資するツールについては、個人と機関との両方での発展が望まれる。

 個人においては、個人レベルで可能なデータの蓄積の公開、さらには独自の視点によるWWW上のデータの再構成といったことが今後の課題として挙げられる。世界中に点在する哲学・思想系の多種多様な有益な情報源も、アクセスされなければその有用性を発揮できない。情報源を生み出す作業と同時に、それらの情報源をより多様な形でアクセスできるようにする作業、すなわち、インデックス作りというものが必要である。商用サイトも含め、網羅的なリンク集はいくつか見られ、独自の視点からのリンクリストというものも最近は徐々に増加しつつある。こういったものがより多く作られていくことはWWW上の情報のより有効な活用につながっていくことだろう。

 また、機関としては、研究用のデータベースとして蓄積しているものをWWWに公開することによってさらに可用性を高めていき、さらには横断的なデータベースの構築を行っていくといったことも徐々に進んでいくことだろう。

 ここにおいて求められるのは、研究者個々人がそれぞれに前向きにネットワークに向かっていくという意識である。一般に哲学・思想系研究者にとってコンピュータやネットワークは多少縁遠いものと思われがちだが、ことWWWに関して言えば、WWWブラウザの操作やHTMLエディタによるホームページ作成はさほど難しいものではない。WWWブラウザの操作の容易さはもはや言うまでもないが、近年リリースされた幾つかの商用HTMLエディタの中には使い勝手も機能も充実したものも見受けられるようになっている。ワープロソフトそのものにもHTML形式での保存機能を付加したものが増えてきている。今や、多少の手順を習得するだけで容易にWWWによる情報の共有に参与していくことが可能となっているのである。

3. インターネットへの積極的参与における問題点

 インターネットの有用性についてはこれまでに一通り述べてきたが、インターネットは利点ばかりではない。ここでは、インターネットを利用するにあたっての問題点について述べてみたい。

3.1 一般的な問題

 大山敬三[1995]が指摘するように、インターネットによる情報の流通には幾つかの根本的な問題が存在する。とりわけ、個人運営のリソースに関しては、制作者の個人的事情によりいつネット上から消滅してもおかしくないという状況であり、このことは、情報の持続性・信頼性という意味では決して望ましいものではない。

3.2 コストの問題

 また、哲学・思想系研究者に限って言えば、環境の導入・維持に関する人的・金銭的・時間的コストの問題がある。本来コンピュータやネットワークを研究の必要条件としない分野の研究者にとっては、それらを導入し維持していくためにはこれまで予定していなかったコストを支払わねばならないことになる。

 個人で利用する場合にもパソコンを購入した上にISPに使用料を支払わねばならない。また、これまでパソコンを利用していなかったという場合、パソコンそのものの使い方から習得し始めなければならない。そこから、ネットワークを利用するための知識や情報共有にあたっての知識の習得に至るには相応の犠牲を払わねばならないだろう。

 また、組織として利用する場合にはLANの維持といったことにまで何らかの形で関わっていく必要が出てくることがある。組織としてインターネットを利用することやLANを利用することには非常に多くのメリットがあるが、それに伴うコストも決して看過できる程度のものではない。

 筆者の属する機関では学内の事情により独自のサブネットを構築しDNSの管理から行っているという状況である。これは、サーバの利用方法に対して哲学・思想系研究者の論理を反映させることができることやユーザ教育の容易さなど、様々なメリットがあり得るが、それに伴うコストもかなり大きい。この問題については、永崎研宣[1998]において既に詳しく論じたが、組織全体でのネットワークの必要性への理解とそれに対する積極的な参与の姿勢が必要となってくる。

3.3 評価の問題

 また、WWW上での情報公開等の活動を展開したとしても、それが必ずしも評価に結びつくとは限らないという現状もある。これは、インターネットの研究利用が大勢に認知されていない哲学・思想系研究の現状での過渡的な現象としてやむを得ない部分があるが、なんにせよ、評価に結びつくという見通しの立たない現状においてこういった活動に注力することは決して容易なことではない。

 上に挙げたもののうちには、自らの研究成果へと結びついている例もある。「Dharmakirti E-text」において公開されている電子テキストは、既にインデックスとして出版されたものの基になったテキストを利用している。また、「印仏検」は、検索システムの中で利用されている「述語間の関係の大きさ」が情報処理学会での研究発表(相場徹[1998])につながっている。このように、稀に研究成果として評価される例もあるが、研究成果にするということはそれ自体多大な労力を要するものであり、あくまで現状では可能性があるというにとどめておくしかない。

4. 終わりに

 全文検索システム導入後、哲倫宗リンクへのアクセスは急増しており、扉のページへのアクセスだけで一日100件を超えることが珍しくなくなった。このことからも、インターネット上における哲学・思想系リソースへの需要は決して低いというわけではないということがうかがえる。しかしながら、哲学・思想研究におけるネットワーク利用のための環境整備というものは、まだまだ発展途上の段階に過ぎない。環境が整わないうちは有用性を高めることも難しい。

 単なる利用者にとどまるだけでなく、提供者にも常になりうるのだという意識でWWWに接することによって、哲学・思想研究にとってのWWWはより有益なものとなることだろう。そうした意識が一つ一つ積み重なっていくことによって、やがて「洞窟」は我々が皆で分かちあえる宝物に満ちていくことだろう。

  参考文献:

山田友幸[1995] : 「研究環境としてのインターネット -- 哲学の場合 --」『情況』1995年4月。

大山敬三[1995] : 「インターネット時代における学術情報センターの役割」『人文学と情報処理』8、1995年8月。

浜渦辰二[1996] : 「インターネットによるフッサール・データベースの公開」『現象学年報11』1996年1月。

黒崎浩行[1997] : 「人文科学研究におけるインターネット利用の現状と課題」國學院大學日本文化研究所 所内研究会

後藤斉[1997] : 「人文学研究とインターネット ―ゆるやかな分散型総合学術情報システムの構築へ―」『人文学と情報処理』第15号。

相場徹[1998] : 「インド学仏教学論文データベースINBUDSを用いた述語間関係の大きさの推定について」『情報処理学会研究報告』98-CH-37。

永崎研宣[1998] : 「文科系研究者にとってのネットワーク管理」『電子情報通信学会技術研究報告』FACE98-78。