著書,学術論文等の名称

単著,

共著の

発行又は発表の年月

発行所,発表雑誌又は

発表学会等の名称,刊号,ページ

 

概     要

 

(著書)

 

 

 

 

1 

『世界の女性史2 未開社会の女 母権制の謎』

共著

 

1975.12

評論社

女性の社会的位置と役割をめぐって世界大で比較するというシリーズ企画の1巻であり、人類学者がいわゆる「未開」社会における女性について論じたもの。内堀は巻頭の「座談・未開社会の女」(pp.17-52)および「妻と妹」pp.129-164(全252pp.)に参加・寄稿している。「妻と妹」は、家族・親族構造における女性の親族と姻族の双方に関わる二面的位置づけと、緊張の問題について論じ、婚姻の交換理論のなかで議論する必要性を主張している。

共著者:大林太良(編)、小野明子、内堀基光、綾部恒雄、クネヒト・ペトロ、(蒲生正男:座談会)

 

2

 

『もっと知りたいインドネシ

ア』

共著

1982.11

弘文堂

『もっと知りたい東南アジア』の1巻であるが、単なる紹介書ではなく、インドネシアの統一性と多様性を、地域研究の最新成果にもとづいてまとめている。内堀は「宗教と世界観」に寄稿し、民族宗教、世界宗教および宗教の混淆の状況、政治的意味について、ジャワのイスラムと前イスラム的基層世界観、イバンの例を引きながら整理し、改革派イスラムをのぞけば、インドネシアの宗教は多層共存であると論じている。pp.105-140(全288pp.

共著者:永積昭・綾部恒雄(編)、山下晋司、倉田勇、内堀基光、土屋健治、関本照夫、西村重夫、西原正、加納啓良

 

3  

『民族の世界史 第6巻 東南アジアの民族と歴史』

共著

1984.05

山川出版社

東南アジア史専門家とともに、人類学者が基層と先史、および周辺社会のエスノヒストリーを扱っている。内堀は「ある焼畑耕作民の歴史:サラワク・イバンの場合」pp.416-436 (全461pp.)を寄稿している。イバンの社会構造上の特性から、彼らの民族形成を探る可能性を示し、移住と拡大のメカニズムを概略的に論じた。さらに移住の歴史経験が、彼らの時間感覚に前進的な思考枠組みを与えていることを論じている。

共著者:大林太良(編)、高谷好一、尾本恵市、三谷恭之、今村啓爾、宇野公一郎、生田滋、永積昭、白石隆、梶原景昭、関本照夫、山下晋司、内堀基光、清水展

 

4

『文化人類学群像1』

共著

 

1985.05

アカデミア出版会 

文化人類学者の人となりと学問を紹介するシリーズの1巻で、ここでは斯学の創成期の学者を扱っている。内堀は英国社会人類学の確立期の第一人者を「エヴァンズ=プリチャード:文化と意味の翻訳者」pp.349-366(全448pp.)の章題のもとに語った。社会構造と生態変異に力点を置いた『ヌアー族』から『アザンデ』における呪術、『ヌアー族の宗教』における神の意味論へと展開していく学問過程を追い、これとの関連でこの学者のカソリック改宗の意味について触れた。

共著者:綾部恒雄(編)、笠原政治、小川正恭、佐々木宏幹、関一敏、益子待也、江守五夫、クネヒト・ペトロ、蔵持不三也、中島星子、小田亮、小野沢正喜、阿部年晴、綾部裕子、宮崎恒二、栗本慎一郎、青柳清孝、松園万亀雄、太田和子、内堀基光、宮坂啓造、田中真砂子、前山隆、梶原景昭

 

5

『生と死の人類学』

共著

 

1985.10

講談社

国立民族学博物館共同研究の成果論集であり、編者の1人岩田慶治の還暦記念論集でもある。内堀の「生と死の隠喩:サラワク・イバン族における「花」のイメージ」 pp.107-124(全368pp.)は、イバンの生命観念のイメージの中心にある「花」について、儀礼歌やシャーマンによるその釈義にもとづいて検討し、植物の隠喩が生命と霊魂の状態を表現するのにいかに効果的に使用されているかを例示した。

共著者:石川栄吉・岩田慶治・佐々木高明(編)、山野正彦、田辺繁治、内堀基光、井狩彌介、立川武蔵、関根康正、鈴木正崇、大塚和夫、杉本尚次、池野茂、飯島茂、松本博之、

 

6 

 

『日本の民族学1964−1983』

共著

 

1986.03

弘文堂

日本民族学会編による20年間の学界活動の回顧と展望。内堀は「東南アジア島嶼部(インドネシア・マレーシア)」の項を共著者とともに担当した。とくに当該期間のフィールドワークの成果の増大を跡付け、この地域の宗教および観念の研究が、今後より正確な実証にもとづく方向に向かうべきことを主張している。pp. 229-234(全534pp.

項共著者:内堀基光、前田成文、倉田勇

日本民族学会編(編集委員:綾部恒雄・小野沢正喜・佐々木宏幹・末成道男・松園万亀雄・宮田登)

 

7

『死の人類学』

共著

 

1986.03

弘文堂

山下晋司との共著。焼畑民であるイバンと水田耕作民であるトラジャのあいだに見られる「死」に関わる観念、儀礼、社会関係の比較研究。内堀は序論とイバンに関わる部分[pp.1-145(全300pp.)]を担当。序論では死の人類学的研究の射程を研究史に照らして論じ、死の文化的解決のしかたをもって、比較研究が可能になることを論じた。イバンの民族誌部分では、彼らの死の解決が儀礼よりも観念上での解決に向けられていることを論じ、儀礼により重点を置くトラジャとは対照的であることを中心に記述した。

 

8

『現代の社会人類学 第3巻 国家と文明への過程』

共著

 

1987.10

東京大学出版会

 

 

伊藤亜人・関本照夫・船曳建夫(編)

中根千枝教授退官記念論文集全3巻の1つで、複合社会、国家等、マクロな枠組みをもつ論文を集めている。内堀は、「国家と部族社会:サラワク・イバンの経験」pp.57-82(全236pp.)を寄稿。ボルネオ西部のイバン社会が英国出身のいわゆる「白人王」の統治下に組み入れられていく過程と、そのなかでの社会文化変容のあり方を、サラワクという特異な植民地国家および統治者との双方向的な交渉過程としてとらえた。

共著者:関本照夫(編)、富澤寿勇、内堀基光、田村克己、中村光男、宮治美江子、中村緋紗子、川崎有三

 

9 

Sociology of Developing Societies: Southeast Asia

共著

 

1988

Macmillan

学術論文にあげたTransformations of Iban Social Consciousnessのうち、記述部分をのぞいたほぼ半分がこの本に再録されている。pp.250-258(全258pp.

共著者:J.Taylor and A.Turton (.)

Lim Mah HuiRichard Robinsonほか19

 

10 

『人類学的認識の冒険:イデオロギーとプラクティス』

共著

 

1989.10

同文館

民博共同研究の成果。本全体は実践理論と観念の連関への批判的検討である。内堀は「民族論メモランダム」                                                 pp.27-48(全410pp.)を寄稿し、そこで「民族」なるカテゴリーの社会存在論的な位置づけを試みた。中間カテゴリーとしての民族が実体化する過程を、他者による「名づけ」と自らの「名乗り」の連関過程として見ることを抽象度の高いレベルで論じ、民族の道具論と原初的紐帯論の二者択一的議論を排した。

共著者:田辺繁治(編)、内堀基光、清水昭俊、野田正彰、関本照夫、田辺繁治、今村仁司、山崎カヲル、高幣秀知、広松渉、大塚和夫、中村尚司、宮永國子、田中雅一、浜本満、松田素二、モーリス・ブロック

 

11 

『民族の世界史 第1巻 民族とは何か』

共著

1991.09

山川出版社

上記3の第1巻として「民族」にまつわる定義問題、その意味の歴史的変化を扱う巻。内堀は、人類学者による共同討議「民族学からみた民族」に参加しているpp.179-244(全372pp.)。そこでは、上記10での議論を紹介したほか、民族集団、部族などの関連用語との意味論的な異同の問題、国民国家の枠内での議論では尽くせないことなどを論じている。

討議参加者:井上紘一、内堀基光、川田順造、黒田悦子、松原正毅

上記以外の共著者:江上波夫、鈴木秀夫、大林太良、尾本恵市、西江雅之、後藤明、辛島昇、二宮宏之

 

12 

『講座東南アジア学 第5巻東南アジアの文化』

共著

 

1991.09

弘文堂

東南アジア学講座のうち文化を扱う本巻での内堀の論考「さかしまの世界:宇宙論・神話・儀礼」pp.170-191(全296pp.)は、アニミズムと概括される世界観の中核にある霊魂観念、そのイメージと隠喩的表現を紹介し、この地域に広く分布する吉凶=冷熱の相同について、霊魂イメージにもとづく新たな解釈を提出した。

共著者:前田成文(編)、田村克己、中村光男、寺田勇文、林行夫、川崎有三、五十嵐忠敬、内堀基光、中川敏、種瀬陽子、野口英雄

 

13

『アジア読本インドネシア』

共著

 

1993.10

河出書房新社

研究者の生活体験にもとづいたインドネシア社会の特徴をまとめた本書において、内堀は「カリマンタンの夜市から」pp.117-123(全300pp.)を寄稿し、地方都市バンジャルマシン市で毎夜開かれる市の空間配置とそこに集まる市民の消費行動を記述した。あわせて列車ないでの物売りなどとの類似性も指摘している。

共著者:宮崎恒二・山下晋司・伊藤眞(編)、石井和子、伊藤眞、内堀基光、内海涼子、押川典昭、鏡味治也、加藤剛、加納啓良、倉沢愛子、小池誠、佐久間徹、関本照夫、染谷臣道、土屋健治、鶴見良行、中川敏、中村光夫、西村重夫、福岡正太、福島真人、布野修司、前川健一、水野広祐、皆川厚一、宮崎恒二、村井吉敬、山下晋司

 

14

『民族の出会うかたち』

共著

 

1994.12

朝日新聞社

民博共同研究の成果。紛争を予期させる民族問題とは異なる多様な民族間関係のあり方をまとめる。内堀の「民族の消滅について:サラワク・ブキタンの状況をめぐって」 pp.133-152(全357pp.)は、狩猟採集民としてのブキタンの過去と現状を、隣接するイバンとの交渉という視点から論じている。この2集団の関係が共生と競争を同時にはらむものであったこと、言語・文化的に全体的イバン化が進んでいることを例示し、将来的に民族集団として存立しえなくなる段階での、地域社会における位置づけを論じた。

共著者:黒田悦子(編)、石塚道子、小泉潤二、中山和芳、春日直樹、内堀基光、田村克己、永渕康之、足羽與志子、瀬川昌久、王松興、佐々木史郎、伊東一郎、宮治美江子、田中克彦

 

15 

 

『講座地球に生きる 第3巻 資源への文化適応』

共著

 

1994.12

雄山閣

 

 

諸文化がどのように生活世界のなかで自然資源を位置づけているかをまとめた本書において、内堀は「森の資源の獲得戦略とその象徴化」pp.171194(全302pp.)を寄稿している。そこでは森林との関わりについて、イバンには、焼畑民としての側面と、狩猟採集活動をさかんに行なう人々としての側面があり、この両側面が森林に対して二価背反的な態度、価値づけをもたらしていることを論じ、また無主の森林の存在にもとづくイバンの移動のメカニズムの諸条件を示した。

共著者:福井勝義(総編集)・大塚柳太郎(編)、小林達雄、小長谷有紀、佐藤俊、掛谷誠、内堀基光、市川光雄、秋道智彌

 

16 

 

『もっと知りたいインドネシア第二版』

共著

 

1995.03

弘文堂

上記2の全面改訂版である本書でも、内堀は「宗教と世界観」を担当しているpp.116153(全283pp.)。第二班では、インドネシア政治における宗教の位置づけから論を起こし、改革派イスラムと伝統派イスラムの関係、ジャワの宗教的混淆性とその意義、周辺社会の民族宗教とその変容、の順で論じることにより、国家のなかでの宗教の現在性がより強く打ち出されている。

共著者:綾部恒雄・石井米雄(編)、深見純生、井上真、山下晋司、倉田勇、崎山理、内堀基光、土屋健治、関本照夫、西村重夫、白石隆、加納啓良、倉沢愛子

 

17

 

『森の食べ方』

 

単著

1996.12

東京大学出版会

伊谷純一郎、大塚柳太郎編による『熱帯林の世界』シリーズの第8冊。イバンの日常生活を森林農耕民の生活という観点からとらえ、できるだけ直接の見聞による生活の実態を記述することを試みている。聞こえる世界、見える世界からはじめ、生業のあり方、ロングハウスでの日々の人間関係を経て、段階的に不可視の領域に至るような全体構成をとっている。とくに動物の直喩と植物の隠喩の章は、生態と象徴の接面を描こうとするものである。全214pp.

 

18

 

岩波講座『文化人類学 第3巻 「「もの」の人間世界」』

共編著

1997.02

岩波書店

 

 

講座全体の共編著者:青木保、内堀基光、梶原景昭、小松和彦、清水昭俊、中林伸浩、福井勝義、船曳建夫、山下晋司

岩波講座『文化人類学』全13巻の1巻。内堀は本巻編集とともに、「序論・ものと人から成る世界」pp.122(全281pp.)を担当している。本巻は、古タイプの物質文化研究ではなく、人と人とを媒介する「もの」の動きを探るという視点から、商品化、文明指標、交換、身体など、多面的な論を一つにまとめていこうとする意図のもとに編まれている。「序論」では、生活に要する「もの」からフェティシュに至る諸相、多義解釈性などを、実例を挙げつつ論じている。

共著者:内堀基光(巻編担当)、野村雅一、菅原和孝、長谷川博子、伊藤眞、中川敏、小長谷有紀、井関和子、加藤泰建、大貫良夫

 

19

 

岩波講座『文化人類学 第5巻 民族の生成と論理』

共編著

1997.06

岩波書店

同上の1巻で、民族について、他の社会科学のように直接的に民族問題として扱うのではなく、より長期的な時間軸での民族生成、人種の認識の問題、また民族間の諸関係について生成面に焦点を当てつつ論じる論考をまとめた。内堀による「序論・民族の意味論」pp.128(全302pp.)は、民族なる概念の使われ方を整理しつつ、分類としての民族カテゴリーから、国民国家における国民の相似形としての民族観念の成立を論理的に探ろうとしている。

共著者:内堀基光(担当)、渡辺公三、庄司博史、足羽與志子、石川登、横山廣子、斉藤晃、井上紘一

 

20

 

岩波講座『文化人類学 第9巻 儀礼とパフォーマンス』  

共編著

1997.08

岩波書店

同上の1巻で、儀礼の構造、実行、過程について論じる論考がまとめられている。内堀の寄稿「死にゆくものへの儀礼」pp.71104(全314pp.)は、パフォーマティヴな観点よりも、儀礼の意図性について論を向け、死者儀礼がとりわけ意図性の高い儀礼であり、またその意図性のゆえに、社会的行為者によってさまざまな操作が加えられ得るものであること、さらには死への対処という点では、儀礼の効果には明らかな限界があることを論じる。

共著者:青木保(巻編担当)、松岡悦子、武井秀夫、内堀基光、真島一郎、船曳建夫、田辺明生、山下晋司、杉島敬志、宮坂敬造

 

21

 

岩波講座『開発と文化 第3巻 反開発の思想』

共著

 

1997.12

岩波書店

川田順造他編による開発における文化問題を論じた講座の1巻であり、開発に反対する言説等を論じる論考がまとめられている。内堀の「文化相対主義の論理と開発の言説」pp.4160(全250pp.)では、認識と価値に関わる文化相対主義の論理が、開発側反開発側双方にとっての論拠になりうることを例証し、両者の言説のあり方を例示することにより、政治的な利用においては文化相対主義は両刃の剣であることを論じた。

共著者:川田順造(編)、大塚和夫

開、内堀基光、小田亮、里深文彦、ジョティンドラ・ジャイン、山下晋司、井上順孝、赤坂憲雄、杉本淑彦、綿貫礼子、能登路雅子、谷口佳子

 

22

『世界の民族』

共著

 

1998.03

放送大学教育振興会

原尻英樹編による放送大学印刷教材である本書は、民族カテゴリーの不定性、民族間関係のダイナミクスの諸例に向けられている。内堀は「東南アジアにおける人の移動と民族:ボルネオ島を中心として」pp.164172(全282pp.)を寄稿し、イバンの移動のメカニズムを紹介するとともに、ボルネオ北部において、さまざまな民族集団が国境の存在を利用することにより生活を支えていること、こうした地理的動きの面から民族を見ていく必要があることを論じている。

共著者:原尻英樹(編)、冨山一郎、河野本道、笠井正弘、落合一泰、梶田孝道、瀬川昌久、内堀基光、スチュアート・ヘンリ、棚橋訓、大塚和夫、松田素二

 

23 

『シリーズ建築人類学2、住まいにつどう』

共著

 

 

1999.09

学芸出版社

家屋構造を見ることにより社会の特徴に迫ろうとする「建築人類学」の試みとして編まれたシリーズで、本書は集住的村落および家屋に焦点を当てている。内堀の「長い家に人はどうあつまるか」pp.47- 64(全252pp.)は、生活の諸局面、人間関係の展開の場として、イバンのロングハウスの構造を記述した。また、ここで扱われているロングハウスは建築構造的には簡素で古いタイプのロングハウスであり、近年は、社会経済変化を反映して、より大きく、構造も複雑なものが増えていることを指摘した。

共著者:佐藤浩司(編)、林勲、津上誠、内堀基光、瀬川昌久、加藤剛、八木祐子、中山紀子、佐藤寛、大塚和夫、増田研、三島禎子、行木敬、武井秀夫

 

24 

『海のアジア2、モンスーン文化圏』

共著

 

2000.12

岩波書店

本書は主としてインド洋をめぐる文化交流の歴史と現状を扱っている。内堀による「ボルネオとマダガスカルのあいだ」pp.153-180(全301pp.)は、インド洋をはさんでインドネシア群島からマダガスカルに移動した人々の経路の推定を、言語の比較、焼畑・水田などの生業の比較、死者をめぐる儀礼の異同などにもとづき試み、さらに移動を促した要因について推定を行なっている。経路はインド洋沿岸であり、要因はインドネシア群島内の状況と交易にあったと推測している。

共著者:家島彦一(編)、松山優治、深町得三、蔀勇造、川床睦夫、鳥井裕美子、内堀基光、飯田卓、内藤雅雄、新井和広、大村次郷、花渕馨也

 

25

『近親性交とタブー』

共著

 

2001.12

 

藤原書店

近親性交の問題を、生物学、霊長類学、文化人類学を横断して議論した進化人類学シンポジウムの成果。内堀は「インセストとその象徴」pp.147-167(全233pp.)を寄せ、近親性交のなかで、異世代間近親性交と同世代間近親性交はまったく異なる意味合いをもつことを論じた。このことの延長として、レヴィ=ストロース流の交換理論を人類の近親性交忌避と直接的に結びつけて論じることには難点があることを指摘した。また人類における近親性交を考察するためには、その象徴性に注意する必要を喚起している。

共著者:川田順造(編)、青木健一、山極寿一、出口顕、渡辺公三、西田利貞、内堀基光、小馬徹、古橋信孝、高橋睦郎

 

26 

 

Encyclopaedia of Iban Studies, 4 vols.

共編著

2001.

Tun Jugah Foundation

全4巻、2783ppにおよぶイバンの文化・社会・歴史研究の集大成ともいえる百科事典である。総編集はBorneo Research Council代表のV.Sutliveが務め、内堀はcontributing editorのひとりとして、数項目の寄稿、および巻末の日本語による研究目録の作成を行なった。寄稿項目は、「花(霊魂イメージ)」、「死者儀礼」などに関わる項目である。その内容は、博士論文、既発表論文からの引用である。

共編者:V.Sutlive(代表)、G.AppellV.King(主任編集)ほか48名。

 

27

 

『民族の運動と指導者たち』

 

共著

 

2002.04

山川出版社

上記14の後継共同研究の成果で、指導者と目される個人に焦点を当てた諸論文よりなる。内堀の「民族の運動態における平凡の意味:サラワク・イバン社会とジュガのケースから」、pp.136-154.(全271pp.)は、顕著な民族運動が不在のように思われる現代イバンの社会のなかで、伝統的指導者の装いをもって活躍し、民族アイデンティティの振興に寄与した個人の履歴を追い、特異な植民地状況のなかで培われたイバン民族意識のなかでは、平凡さと鋭敏さを兼ねそなえた人物が最適であったことを指摘している。

共著者:黒田悦子(編)、森山工、春日直樹、石塚道子、田中克彦、佐々木史郎、石川登、内堀基光、永渕康之、足羽與志子、土佐桂子、棚橋訓、小泉潤二

 

28

『資源の分配と共有をめぐる人類学的統合領域の構築:中間成果論集』

共編著

2004.08

東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所

同名の文科省科研費特定領域研究の中間論集であり、この領域に参加している研究者の全員が寄稿している。内容的には研究計画案に近いものから小論文までさまざまであるが、多くは「資源」の語で何が議論できるかという研究の核になる部分を論じている。内堀は、序説的な「資源という現象へ向けて」(pp.9-11)と、小生産物(小商品)班の部で「ものはどのように小商品となるか」(pp.110-114)を寄稿している。前者では、生態資源と象徴資源の両者を包む資源が人類学的課題となりうること、後者ではサブシステンスと商品化の接点について理論的見通しを試みている。(全379pp.

共編者:内堀基光(総編集)、山下晋司、C・ダニエルス、小川了、春日直樹、松井健、印東道子、秋道智彌、菅原和孝、共著者:上記ほか約60名。

 

29

『文化人類学入門:古典と現代をつなぐ20のモデル』

共著

2005.04

弘文堂

文化人類学の古典を紹介しつつ、それが現在の理論的課題と社会的問題に対して、いかに関わりうるかを焦点にすえた教科書。内堀の担当は「環境と進化:文化=生態系という統合領域へ」pp.27-39(全270pp.)。J・スチュワードの文化=社会統合レベルの議論を紹介・検討し、社会進化の理論が環境適応の視点から発すること、また今日の生態人類学の原点がそこにあることを論じた。あわせて社会と文化の進化を生物学的進化ぬきに語ることの限界を指摘した。

.共著者:山下晋司(編)、内堀基光、大塚和夫、大森康宏、木村秀雄、窪田幸子、桑山敬己、小泉潤二、鈴木正崇、竹沢泰子、田中雅一、田辺繁治、田村克己、中川敏、中村淳、波平恵美子、船曳建夫、松田素二、箕浦康子、山本真鳥、渡辺公三

 

 

(学術論文)  

 

 

 

 

1

「ダヤク諸族の死者祭宴」

単著

1973.01

東京大学大学院社会学研究科文化人類学専攻修士課程修士論文

ボルネオ島の非ムスリム先住民の総称であるダヤクの死者儀礼に関して、その最終段階である「祭宴」の時期、規模、主催者、釈義(意味づけ)を中心に比較検討した。理論的な枠組みとしてはR・エルツに従っているが、主としてオランダ語文献を用いて、細かい記述間の異同を論じた点に実証的意義があり、また死者祭宴が死者儀礼にとどまることなく、社会の位階関係などと相互連動の機能を果たすことを論じ、より社会学的な観点を導入した。

 

2

「洪水・石・近親相姦」

単著

1973.05

『現代思想』1巻5号、pp.163-169.

マラヤ半島、ボルネオ島に見られる習俗として、ある種の動物を笑いものにしてはならないという禁忌がある。この禁忌の文脈を近親相姦禁忌の文脈と相同のものと捉え、どちらも自然と人間(文化)の境界秩序の侵犯であると結論づけた。これをとおして、レヴィ=ストロースの神話分析より表層の分析が適合する場合があることを主張した。

 

3

「共同体と異人」

単著

1974.10

『現代思想』2巻9号、pp.127-131.

柳田国男の遠野物語で語られる異人譚を材料として、共同体の外から介入してくる異人の類型化を試み、進んで共同体を均質のものと捉えるのではなく、異人との関係で共同体内での分化が生じる可能性に言及し、これとの関連でニューギニアとボルネオ首狩習俗の世界観的意義と社会的機能を論じた。

 

4

The Leaving of this Transient World: A Study on Iban Eschatology and Mortuary Practices

単著

1978.12

オーストラリア国立大学高等研究院太平洋研究所

博士論文 (A4 double spacing, 309pp.

19753月から24ヵ月のイバン社会におけるフィールドワークにもとづく民族誌的研究であり、その記述と議論は、死に関する観念と習俗の複合に絞ってある。イバンの単純土葬という埋葬形態が、最終の死者祭宴における準備された死者への対処と対照的であること、死は累進的な別離として語られ、その各段階で儀礼的表現をもつこと、儀礼の客体は不可視の霊魂であることがイバンの移動的社会に適合的であること、などを実証した。

 

5

「イバン族の民話」

上:民族英雄の世界

中:異郷を訪れる英雄

下:英雄の実相

単著

 

1979.10

1979.11

1979.12

『月刊言語』第8巻

10pp.82-94

11pp.86-95

12pp.88-97

大修館

イバンのあいだで語られる英雄譚の背景を語り、現地の民俗研究者により収集され、イバン語で出版されているものをダイジェスト的に翻訳、紹介し、それをとおしてイバンにとっての理念型としてのイバン社会の特質を描き出した。これらの英雄は半神的位置づけをもつが、首狩の勲功、男女関係の理想的あり方がそこに語られることを指摘し、同時に現実の社会と語られる英雄譚との乖離を論じた。

 

6

「イバン族の葬歌:紹介的記事」

単著

1980.05

『社会人類学年報』、第8巻 東京都立大学社会人類学会pp.189-212

イバンの葬儀、とりわけ遺体を見守る「通夜」で唱われる儀礼歌である葬歌(「哭き歌」)を紹介し、そこに現れる死および他界の表象について論じた。紹介した儀礼歌は臨地調査中に自身が採録したものである。あわせて死者儀礼の別の機会に唱われる儀礼歌との異同を論じた。

 

7

「サラワク・イバン族の献立表」

単著

1981.01

『岐阜大学教養部研究報告』第16号、pp. 119-135

1980年の補充調査において記録したある家族=世帯の55日間の食事内容の全記録をまとめ、その特徴を分析したものだが、ここでは定量的な処理は行なっていない。あわせてイバンの食事作法を彼らの家族=世帯の特質と関連づけて論じ、また食物タブーの存在についても、彼らの見る食物分類のなかで触れた。

 

8

「神霊化する死者:サラワク・イバン族の死生観の一側面」

単著

1981.03

『東洋文化研究所紀要』 第85冊、東京大学東洋文化研究所 pp.1-35

イバンの死者のうち、死後「神霊」となったとされる特殊な死者の生成のあり方、意味づけ、分類を行なった。一般の死者が「死者の国」に旅立ち、聖者とは最終的に分離されるのと異なり、これらの神霊は生者の世界にとどまり、生者を保護する存在になるとされる。首狩の武勲をもつもの、社会の指導者のほか、死後の兆候によって、こうした地位を認められる死者がいる。こうした偶然事まで含めて、死者の神霊化を見るとき、イバンと世界との関わりの根幹がかいまみえ、またこうした地位の付与は一般終末論の限界を超える企図であると結論づけた。

 

9

'The Ghosts Invited: The Festival for the Dead among the Iban of  Sarawak' 

単著

1983.03

East Asian Cultural Studies 22, nos.1-4, pp.93-128

イバンの死者祭宴の儀礼過程の細密な記述とその社会的文脈の分析を行なう。本論文で対象としたイバンの地域では、死者祭宴が首狩儀礼の一部を取り入れるかたちで遂行されていること、またこれは歴史的に跡づけうる起源をもつものであることを論じる。イバン全体としては、これは特殊な形態であり、変異体全体の比較によってイバン社会の下位の地域性を語ることができるとした。

 

10

‘Transformation of Iban Social Consciousness’

単著

1984

Turton, A. and S. Tanabe (eds.), “History and Peasant Consciousness in South East Asia",  Senri Ethnological Studies 13, National Museum of Ethnology, Osaka.

pp.211-234

 

イバンが自らの社会をどのようなものと認識しているか、民族意識のあり方はいかなるものかを、「白人王」統治に組み入れられたこと、およびそれ以降の商品経済の進展のなかでの変化の相から論じた。民族意識は過去即時的なものにとどまったが、それとても外来のものであること、また商品経済の浸透は地域によって大きな変異があり、場合によっては逆流ともいえる現象が見られることを論じる。

 

11

‘The Enshrinement of the Dead among the Iban’

単著

1984

Sarawak Museum Journal, vol.23 no.54 pp.15-32

 

上記論文7の英語版にあたるが、博士論文の一部を加筆修正したもので、一部背景説明的なことは論文7と異なっている。その他、必要な写真資料を付け加えた。

 

12

「スキャンダル以後:フリーマンのミード批判をめぐって」

単著

1985.07

『現代思想』13巻8号pp.255-263

1983年に出版されたデレク・フリーマンによる、M・ミードのサモア研究およびそれを生み出した米国文化人類学の反生物学主義的な文化決定論の批判を紹介し、この批判がアメリカにおいて学問的スキャンダルになった背景に触れた。フリーマンの議論が弁証過程を通じてさらに深化されるべきであったことを主張している。

 

13

'The Ritual Lament of the Iban of Sarawak',

単著

1986

Grijns,C.D.and .O.Robson  (eds.) ,

 "Cultural Context and Textual Iterpretation", Verhandelingen van het Koninklijk Intituut voor Taal-,Land- en Volkenkunde 115, pp.315-328 

 

上記論文5のうち、葬歌の地域的変異と儀礼機会の違いによる変異に焦点を当てて論じたもの。今世紀初頭に宣教師によって採集記録された異版が、文化的細部を異にするイバンの下位集団からのものであり、これを比較検討することにより、死者儀礼の全過程の変化の研究に資するところがあることを指摘する。

14

"Japanese Studies on Anthropology and Ethnology 1973-1983"

単著

1987

Asian Studies in Japan, 1973-1983, PartII-2,

The Centre for East Asian Cultural Studies, Tokyo.

pp.1-15

 

アジア・北アフリカ研究(旧東洋学)の領野における日本文化人類学(民族学)の10年間の成果を総括的に回顧した。この間の全体の特徴として、前の10年間に比してフィールドわーくにもとづく成果が飛躍的に増えたこと、および生態学的なアプローチが目立って進捗したことを指摘した。およそ100の文献リストを付す。

 

15

‘Motorcycles and Markets: A Preliminary Report on the City of Banjarmasin'

単著

1988.03

East Asian Cultural Studies, vol.27, nos1-4.

pp.81-92

 

インドネシア・南カリマンタン州の州都バンジャルマシンでの都市人類学調査にもとづき、都市の常設市を記述するとともに、地方の週市との関係を論じ、常設市の商人の出身地と商品の種類が連動することを指摘した。あわせて中規模都市としてのバンジャルマシンの交通における客乗せオートバイの役割に触れた。

 

16

「儀礼の変質:内旋とイベン化」

単著

1989.02

『一橋論叢』1012pp.16-31

上記論文8の死者祭宴を範例として、儀礼の意図性と儀礼過程のズレ(乖離)の意味するところを、儀礼の劣化として見ることの可能性を主張し、こうした劣化=変質には、内旋的巧緻化とイベント化という方向が考えられることを論じた。この両者が同時に進行している事態が、現在のイバンの一部に見られる死者祭宴であると見る。

 

17

「閉じこめられた死:文化人類学から見た病院での死」

単著

1994.12

『病院』vol.53. no.12,

医学書院

pp.18-21

病院での死が一般的である今日、本来近親者に囲まれた社会的事象で会った死が隔離され、抽象化されたものになっていることを指摘し、このために死の定義の問題が社会的認知の舞台から切り離されて、医学的にのみ論じられることになったことに注意を喚起する。

 

18 

「死の意味領域:文化、変化、進化」

単著

2001.04

『進化人類学ニュースレター』2号

pp.9-16

日本人類学会進化人類学分科会でのシンポジウムでの講演記録をもとに、加筆修正のうえ、文章化したもの。死に関わる人間の態度を、他者の死と自己の死の二方向から見通し、死の意味領域のなかでの自己の死の肥大化が、人類史のなかでは特殊のものである可能性を指摘した。

 

19

‘In the Two States: Cultural Citizenship of the Iban in Sarawak and Brunei’

単著

2002

“Cultural Adaptation in Borneo”, Sabah Museum Monograph Volume 7, Department of Sabah Museum, Kota Kinabalu, pp.111-127.

国民国家としてのマレーシア、およびその構成州であるサラワク州におけるイバンの民族状況的位置づけを、隣国ブルネイのおけるイバンの状況と対比させつつ論じる。民族状況的位置づけを、その政治領域における当該集団の文化の承認のあり方として見る。サラワク州のイバンは、国家的枠組みにおける少数派的位置と州内における多数派という二面的な位置づけにある。対して、ブルネイにおけるイバンは圧倒的な文化的少数者として位置づけられることを示す。

 

20 

「サラワク・イバン社会における小家族の編成と機略的行為」

単著

2003.03

『アジア・アフリカ言語文化研究』65

pp.1-18.

人類学の教科書にしばしば取りあげられるイバンの小家族(ビレック家族)が現実にどのように形成、継承されていくか、その成員はどのように補充されるかについて、構造的な特性ではなく、動作主としての個人の意図、生存戦術を軸にして、再考を試みる。個々人の通時的な動きを追うことによって、結果的に構造的規範の枠内に収まっているように見える家族編成が、その経過においては、種々の交渉の場となっていることを例証する。

 

21

「減退する森と人:ザフィマニリ社会について」

単著

2003.07

Sera Sera:マダガスカル研究懇談会ニュースレター』9号

pp.1-4.

マダガスカル中央高地の縁辺部に住むザフィマニリの民族意識の出現、村落形態、生業のあり方を、この地域における森林の状態との関連で描く試み。彼らはかつて焼畑によるタロイモ栽培に頼り、森林資源を多く利用していたが、急速に減退する森林をまえにして、現在は水田耕作、木材伐採手としての出稼ぎが生活の中心となっている。これとともに木工製品作りも特産的な位置を得ているが、このことが森の民としての民族意識生成の契機となっていることを指摘する。

 

22

‘Tracing Ourselves Back to “Ethnologie”: Ethnographic Works of Japanese Anthropologists on the Periphery of Insular Southeast Asia’

 

単著

2004.03

Japanese Review of Cultural Anthropology, Vol.4, 日本文化人類学会、

pp.45-74.

東南アジア島嶼部のうちの縁辺部、すなわちムスリム社会のほとんどをのぞく諸社会に関する日本人研究者による民族誌の業績の全体像をレヴューし、その意義、特質を論じる。戦前の民族学にこれらの研究の淵源を求め、文化・社会人類学の潮流との出会いと融合のなかに、日本人による研究の特性を見る。日本文化源流論との関連、世界観と宗教的事象への関心、などがその具体的な現れである。同時に理論的洗練化を追究していく必要性を今後の課題として指摘した。

 

23

‘Rivers and Ridges: Changes in Perception of Natural Environment among the Iban of the Upper Skrang’

単著

2004.03

Local Perception of Environment and Landscapes in Sarawak” (科学研究費基盤研究A(1)『サラワク先住諸民族社会における自然環境認識の比較研究』(代表者:内堀基光)成果報告書)

pp1-29

左記科研費研究の報告書であるが、研究分担者全員の報告を英文で書き、現地の研究者等に配布した。内堀は本論文のほか、緒言を執筆している。この論文では、内堀が27年間にわたって断続的に調査してきたイバン村落をとりまく自然環境、社会環境の変化を取りあげ、これらの変化を住民がどのように認識しているか、また日常の生活にどのような影響が現れているかを考察した。林道の延長により、住民の日常的移動の動線が川から山稜に変わったこと、食事に市販品が増え、食用油の使用が増えたことなどを指摘している。

報告書寄稿者:内堀基光、Peter Kedit

石川登、津上誠、増田美砂、奥野克己。

 

24

「死者とは誰か:記憶と表象」

単著

2004.07

『歴博』125号 国立歴史民俗博物館

pp.19-23.

物理的に実在しない「死者」なるものの存在の形成をめぐって、個体にとっての記憶のあり方と、それが記録と表象をとおして集合的に認知される回路について考察した。物理的存在としての遺体、遺骨などと、純粋表象としての霊魂、記録と表象の属性を兼ね備える位牌、両墓制における表象の問題などを取りあげつつ、記憶としての死者と、表象としての死者が存在論的に異なることを論じた。

 

25

‘How Brunei Borders Are Crossed: or the Stateless as a Human Border Area’

単著

2004.11

K. Miyazaki (ed.) “Dynamics of Border Societies in Southeast Asia",

東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)

pp.82-98.

 

200312月に開催された「東南アジアにおける境域社会の動態」に関するシンポジウムの成果。経済的に豊かなブルネイへの移入労働者の種別に言及したあと、首都、およびサラワク国境に近い地区に住むイバン住民を代表に取りあげる。境界には地理的境界とともに内的ともいえる社会文化的・政治的境界があり、後者を乗り越えていくための手立てとして、イバン住民が採る選択のあり方を例示した。

 

 

(その他:翻訳、短論、エッセイ、主要事典大項目、等)

 

 

 

 

1

『アスディワル武勲詩』

共訳

1974.06

青土社

レヴィ=ストロースの初期の神話分析論文の仏語からの全訳に、内堀による巻末解説論文「レヴィ=ストロースと神話の構造分析」(pp.89-133)(全133pp.)を付した。解説論文では、アスディワル神話に先立つレヴィ=ストロースの論考を紹介し、彼の神話研究の歩みにおけるこの論文の位置づけと、若干の異なる分析の可能性を示唆した。

共訳者:西沢文昭、内堀基光

 

2

 

『神話:その意味と機能』

 

単訳

1976.10

社会思想社

G. S. Kirk, Myth: Its Meaning and Functions in Ancient and Other Cultures.の全訳(402pp.)。この本は、レヴィ=ストロースの神話の構造分析に大きな共感をよせつつも、自然と文化の対立という具体的な二項対立が中東・ギリシアの古典神話、および南米などの諸神話の軸にあることを主張し、レヴィ=ストロース流の形式的操作抜きでも構造的解釈が可能であることを例証している。

 

3

 

「河とイバン語」

 

単著

1980.09

『月刊言語』第9巻9号、

pp.48-49

川を交通路として用いる住民としてのイバンは、異なる川の流れの速さと河川流域ごとの方言の特徴を関連づけて語ることを紹介し、また川の右左岸の呼び名が川を遡行する人の移動によることを語ったもの。

 

4

「人類学的理解とは何か」

共同討議

1982.06

『現代思想』第10巻6号、

pp.196-219

人類学のフィールドワークのもつ意味と限界について、人類学の研究対象とされる社会あるいは文化の単位の取り方、文化を実体化することの危うさ、などについての共同討議の記録。

座談会参加者:関本照夫、小松和彦、船曳建夫、内堀基光

 

5

『日本のシャマニズムとその周辺』

討議参加

1984.06

日本放送出版協会

1981年1月民博における「日本民族文化の源流の比較研究・シャマニズム」シンポジウムへの討議参加者として、岩田慶治「シャマニズムの座標」への発言。

 

6

「チェンマイのエスキモー」

 

単著

1985.08

『現代思想』第13巻9号、p.278

半年をアラスカで鯨獲りに、半年をタイで暮らすというエスキモーとの出会いをつづるエッセイ。

 

7

「フィールドワークの退屈さ」

単著

1985.09

『ヘルメス』第4号

岩波書店、pp.159-160

 

文化人類学のフィールドワークの実態、フィールドにおける人類学者の心理状態などをつづったエッセイ。

 

8

「ブルネイ石油王国滞在記」

 

単著

1986.05

『中日新聞(夕刊)』

在ブルネイ日本大使館専門調査員として滞在初期に見たブルネイ印象記で20回の連載。

 

9

「異文化フィールドワーク」

インタヴュー記事

1987.01

『アジアフォーラム』冬の号、pp.32-36

ブルネイやサラワクの住民の現状から、東南アジアにおける国家の成り立ちそのものを再考する談義。

 

10

『文化人類学事典』

項目執筆

1987.02

弘文堂

「イバン」「ダヤク」「長大家屋」「葬制」「死」などの項目執筆。

 

11

『言語学大事典』

項目執筆

1988.03

三省堂

「イバン語」「ダヤック諸語」の項目執筆。

 

12

「異文化理解と人類学」

単著

1990.03

『亜細亜大学教養部言語・文化研究所所報』10号、

pp.2-3

 

文化相対主義的異文化理解が、文化を実体視する危険性をはらむことを指摘。

 

13

 

 

「カゲのこと」

 

単著

1992.09

『アセアン文化祭カタログ』、国際交流基金、pp.54-55

 

ブルネイ滞在の印象にもとづき、町中の日蔭の少なさを指摘したエッセイ。

14

 

「異文化理解問答」

単著

1992.11

『研修のひろば』68, 特別区職員研修所、pp.6-11

 

異文化を理解するとはどういくことかについて、問答調で語ったもの。

15

「東南アジアの先住民族」

記事分担執筆

1993.10

『時事年鑑1994』、p.13

東南アジア各国において「先住民」カテゴリーが政治的、社会的に存在するか、する場合、どう扱われているかについての概説。巻頭ファイル「世界の先住民族の歴史と現在」(pp.9-16

の1項。

 

16

 

「死者との共食」

 

単著

1994.11

『九州歴史』第5巻3号、九州歴史大学講座、

pp.15-17

 

死者へものを供えること、死者をこの世に招くことについて、イバンの死者祭宴の例を引きながら語る。

17

『知られざる神秘の世界』

台本翻訳監修

1994.11

同朋舎出版

「神々の島バリ」、「地上最後の森の遊動民プナン」、「西太平洋の呪術の島」など英豪放送局制作ドキュメンタリーヴィデオシリーズ全6巻の日本語吹き替えの監修。

 

18

 

「日本的人類学はありうるか」

単著

1995.06

『文化人類学 第2号』民族学振興会、pp.14-15 

 

日本民族学会研究大会での同名シンポジウムの討議内容を司会者として総括した。

19

「死の人類学」

単著

1995.06

『アエラムック8人類学がわかる』pp.12-13

死についての研究が、文化をもつ生物としてのヒトの根幹に関わる研究であることを語る。

 

20

A・リンクレーター著(香西史子訳)

『サラワク精霊の森』巻末解説「サラワクのイバン族」

 

単著

1996.03

凱風社

英国人旅行者によるサラワク奥地探訪の旅行記の翻訳書の巻末に解説をほどこしたもの。旅行記に現れる人物などに説明を加える。pp.304-313(全313pp.

 

21

「民族と国家」

シンポジウム記録

1996.10

『比較文化』

東京女子大学比較文化研究所、pp.1-14

左記研究所主催のシンポジウムで、内堀は民族学の立場から、インドネシア、ブルネイ、マレーシアにおける国家と民族集団について語った。参加者:百瀬宏、梶田孝道、内堀基光

 

22

「マダガスカル学ことはじめ」

単著

1997.03

『創文』386

創文社、pp.11-15

ボルネオ研究からマダガスカル研究へと目を転じた個人的および学問的契機についてのエッセイ。

 

23

『熱帯雨林と先住民社会』

単著(講演記録)

1997.11

如水会

如水会主催第35期一橋フォーラム21、H)において熱帯林の商業伐採と、それによって先住民社会が受ける利得と損失について語った講演記録を起こしたブックレット。全40pp.

 

24

高校『地理A

共著

1998.02

東京書籍

高校教科書。主たる執筆分担は「生活舞台としての文化」、「タイの生活文化と日本」、「マレーシアの熱帯林保全への取り組みと日本」。

共著者:矢沢俊文ほか11

 

25

高校『地理B

共著

1998.02

東京書籍

高校教科書。主たる執筆分担は「人種・民族と国家」、「国際社会のなかでの日本の役割」

共著者:矢沢俊文ほか10

 

26

『事典東南アジア』

項目執筆

1998.03

弘文堂

京都大学東南アジア研究センター編。

「カミガミと風土:アニミズム」(250-251)、「焼き畑の世界:サラワクのイバン」(324-325)(全617pp.)を執筆。

 

27

「ヒトと文化を見つめる」

インタヴュー記事

1998.11

『選択法然』第1号、

浄土宗報恩明照会、pp.58-61

 

イバンの生活世界におけるコメの意味とエコロジーについての談義。

 

28

「言語ジャーナル47/ブルネイと東マレーシア」

 

単著

1998.11

『月刊言語』2711

pp.110-111

 

ブルネイとマレーシアのサバ、サラワク両州におけるマレー語および現地語の使用状況について。

29 

「島の名をめぐって:ボルネオとカリマンタン」

 

単著

1998.11

『歴史と地理』518号、山川出版社pp.36-37

カリマンタンという名称はインドネシア側から見たものであり、島全体としてはボルネオ島と呼ぶべきであることを主張。

 

30

「呼んではいけない名前」

 

単著

2000.10

『月刊言語』2910

pp.60-61

死者の名、配偶者の父母の名など、ボルネオの住民に見られる人名を口にすることの忌避について。

 

31

「ブルネイの光と陰:黄金のモスク」

単著

2000.11

『きゅうぷらす』 vol.5  河出書房新社pp.4-5

 

ブルネイの新旧ふたつの国立モスクについての印象。

32

『森林の百科』

項目執筆

2003.12

朝倉書店pp.559-563(全739pp.

 

井上真ほか5名(編)による森林に関する包括的事典。「東南アジア島嶼部の森林文化」の項目。

33

『からだの百科事典』

項目執筆

2004.10

朝倉書店pp.515-525(全565pp.

 

坂井建雄ほか3名(編)による身体と医学の事典。1章相当の大項目「からだとの別離:死、死体、葬儀」。

34

「インドゥ・ウタイのこと:昆虫知らずの記」

単著

2004.11

『エコソフィア』14号、民族自然誌研究会、昭和堂、pp.44-45

 

 イバンが昆虫をどう呼ぶか、昆虫をどのような目で見ているか、についての体験を語る。

35

『文化人類学文献事典』

項目執筆

2004.12

弘文堂

小松和彦ほか5名(編)による斯学文献解題・批評の事典。「アスディワル武勲詩」、「カミの人類学」、「森の食べ方」、「死」の項目。

 

(学術誌上の書評)

 

 

 

 

1

岩田慶治

『カミの人類学』、1979

単著

1979.12

『民族学研究』443号、pp.325-327

 

日本語による書評

2

市川光雄

『森の狩猟民』、1982

 

単著

1983.06

『民族学研究』481号、pp.101-102

 

日本語による書評

3

Peter Metcalf, “Borneo Journey into Death:Berawan Eschatology from its Rituals”, 1982

 

単著

1984

Asian Folklore Studies,43-2,

pp.324-326

英語による書評

4 

Peter Metcalf. “Where are You, Spirits?: Style and Theme in Berawan Prayer”,

1989

 

単著

1992

Asian Folklore Studies,51-1,

pp.156-158

英語による書評

5

Robert L. Winzeler (ed.), “Indigenous Peoples and the State: Pollitics, Land and Ethnicity in the Malayan Peninsula and Borneo”, 1997

 

単著

1999.03

『アジア経済』403号、pp.68-71

日本語による書評

6 

James Fox and Clifford Sather (eds.), “Origin, Ancestry and Alliance”,

1996

 

単著

2001

Asian Folklore Studies,60-1,

pp.180-183

 

英語による書評

7

菅原和孝

『感情の猿=人』、2002

 

単著

2003.06

『民族学研究』681号、pp.98-101

 

日本語による書評

8

Clifford Sather, “Seeds of Play, Words of Power: An Ethnographic Study of Iban Shamanic Chants,” 2001

 

単著

2003

Asian Folklore Studies, 62-2,

347-349

英語による書評

9

William D. Wilder (ed.), “Journey of the Soul: Anthropological Studies of Death, Burial and Reburial Practices in Borneo”, 2003

 

単著

2005

Asian Folklore Studies,

64-2,(印刷中)

英語による書評

(学会発表等)

 

 

 

 

1

'The Ritual Lament of the Iban of Sarawak',

 

1983.06

The 4th European Colloquium of Indonesian and Malaysian Studies. (in Leiden)

 

上記「論文13」のもととなった学会での発表。

2

「子どもをもつとはどういうことか」

 

1992.11

日本人類学会・日本民族学会連合大会、東京大学

次世代リプロダクションの社会文化的意味と生物学的な意味についての対比的な討議。人類学会・民族学会「連合シンポジウム」として企画され、内堀は組織と司会を務めた。

発表者は菅原和孝、高畑由起夫、清水昭俊、和田正平。

 

3

「日本的人類学はありうるか」

 

1994.05

日本民族学会研究大会、東北大学

左記名の分科会。「人類」という普遍的な指示対象を標榜する文化人類学に「日本的」という国民的意味の限定修飾語を冠して語りうるか否かについて、語りうるとすればその文脈はなにか、についての討議。内堀は組織と司会を務めた。発表者は山下晋司、田中雅一、船曳建夫、清水昭俊、青木保。

 

4

社会のなかで道具を作る/使う:進化と文化の接面での討議」

 

 

2004.06

日本文化人類学会研究大会、東京外国語大学

日本文化人類学会と日本人類学会の協働による第7回人類科学連合シンポジウムで、内堀は組織と司会を務めた。発表者は中務真人、窪田幸子、山越言、湖中真哉。コメンテータに北村光二、印東道子。

 

5

「民族集団の生成・境界・消滅:民族学(人類学)からのアプローチ」

 

 

2004.11

大学附置研究所所長会議主催シンポジウム、学士会館

大学附置研所長会議第三(人文社会科学)部会によって組織されたもの。内堀は民族形成(エスノジェネシス)の全過程を論理形式にそって整理しようとする試みを発表。

組織・司会は山田勝芳。

 

6

「ものはどのように「資源」になるのか:人類学の考え方」

 

2005.03

特定領域『資源人類学』総括班主催公開シンポジウム、東京厚生年金会館

 

特定領域『資源人類学』の領域代表者として組織した一般向け公開シンポジウム。内堀は冒頭の趣旨説明と、司会を務めた。発表者は森山工、出口顯、富沢寿勇、小長谷有紀、阿部健一。

 

7

「変貌するアフリカ・変貌する諸学との対話:生態人類学、47年後の意味」

 

2005.06

日本アフリカ学会学術集会、東京外国語大学

日本におけるアフリカ研究の一つの核である生態人類学的調査研究と現代アフリカ学との関係についてのシンポジウム。アフリカ外の社会人類学専門家としてコメンテータのひとりの役割を果たす。組織・司会は、河合香吏、真島一郎。

 

8

「アジアにおける民族学と人類学:東南アジア島嶼部を中心として」

 

2005.09

日本学術会議・東洋学研究連絡会議シンポジウム『アジアの人間科学』、東京大学

東南アジア島嶼部の文化人類学が斯学のなかではさほど影響力をもってこなかったことの背景説明をし、かつ文化人類学と自然人類学が連携しうる接点が認知、進化研究にあることを示唆した。組織・司会は、桜井由躬雄ほか。