COE非常勤研究員自己紹介 「雑種と分裂」 小田昌教


ピカソとデュシャンに出自するいわゆる大文字のモダンアートが、そのはじまりにおいて民族学とけして浅からぬ因縁の間柄にあった事は、その方面に多少とも明るい方なら、すでに御承知の事と思いますが(その縁をとりもったのが博物館であり、さらに加えてもうひとつ、両者を結びつける別の重要な契機があった事は今はさて措くも)民族学と現代美術、私はこの両方の分野を専門としています。

まず民族学の方では、1989年から1996年にかけて東アフリカ・ケニア海岸部のディゴ社会でフィールドワークを行い、同地のシャーマニズムカルトの儀礼を美学的な観点から考察する研究にとりくんできました。かたや現代美術の方では、電子機器や日用品の廃材などをある空間の中に配置して、そこを異質な空間にしたてあげる、彫刻とも建築とも舞台装置ともつかない、云わばその雑種のようなインスタレーション作品を主に手がけています。

思い返せば、そもそもアフリカの文化への興味は、大学時代に読んだミシェル・レリスの旅行記『幻のアフリカ』やレーモン・ルーセルの実験小説『アフリカの印象』、加えてピーター・ビアードがケニアで編んだコラージュ日記や、アフリカ音楽と電子音楽をミックスしたブライアン・イーノの音楽などにふれ、もっぱらそうした文芸作品を媒介とし、またそれに強く触発されたものでしたので、いまこうやって民族学と芸術のふたつのジャンルに身を置いているのは、ある意味で、そうした原点への回帰ではないかという気がしています。

もっとも、ここしばらくは現代美術の方に活動の重心が傾いてきており、昨年の春に都内のギャラリーで開いた「日本・現代・美術・沈没」展の続編として、この春には、日本の民族学博物館の設立に多大な貢献をした岡本太郎(彼自身パリ留学時代にマルセル・モースのもとで民族学を学び、沖縄や東北でフィールドワークを行っています)と1970年の大阪万博をテーマした企画展「太陽のうらがわ/太郎のはらわた〜日本・現代・呪術・甦来」を開く予定です。また秋には国際交流基金が主催する日本で最初の現代美術の国際展「横浜トリエンナーレ2001」に日本代表の一人として参加する事になっています。さらに海外での展示の話もありますが、それはさておき、先年、ちょっと気になる記事を眼にしました。

先述のように私は、あちこちから拾い集めてきた廃材や廃品の類をリサイクルして作品をこしらえるのですが、その中には他人の眼からすれば、どう見てもゴミとしか思えないようなシロモノも多く、天井ギリギリのところまでそうしたガラクタがぎっしり満載された木造アパートの六畳一間の自室は、さながらうち棄てられた廃屋の如き荒びたるたたずまいで、拙宅を訪れた知人の美術批評家は「家に帰ってから改めて自分の記憶を疑ってしまった」と、そう感想をもらしていたほどです。そんな中、ある文芸誌に掲載された精神科医の対談記事の中で、こんなやりとりを眼にしました。

 「ゴミを集めるのは分裂病ですか?」

 「分裂病もなれの果ての方ですね。あとは痴呆が多い。それで「なんでこんなに集めたんだ」と尋ねると必ずリサイクルと言う」

「うまい、なるほど反論できませんね、それは」。

 これを読んで、痴呆はともかくも、民族学と美術の両方をまたにかけて、モノ集めに夢中になっているのだから、たしかに分裂症の気はあるかもしれない、と 妙に納得させられ、「なるほど反論できないな」と思うと同時に、民族学と現代美術、アフリカ文化と日本文化、そのいずれにとっても<雑種>とならざるを得な い、その<分裂>状態の中からこそ生まれ落ちてくるやもしれぬものの行末を、いわば自分を実験台にして見届けてみたいという気持ちがむくむくと沸いてきま した。「美は乱調にあり」と云ったのは北一輝でしたが、言語も文化も破格と乱調が美しい、美は変調にあり、乱調は快調なり、雑種ゆえに我あり、と、いまはそん な心境で研究と制作にとりくんでいます。