●ヲダ・マサノリ「建築のはらわた/太郎のうらがわ:静かな震災はつねに作動している」
五十嵐太郎『終わりの建築/始まりの建築:ポスト・ラディカリズムの建築と言説』を読む


      

 序論のない本書の冒頭に置かれた68年のパリの5月革命に関する章は、建築家・磯崎新へのオマージュであると同時に、革命前夜のパリで生まれたこの批評家の出生届けのようなものだ。磯崎の『建築の解体』をひきつぐ格好で68年から00年までの建築の動向を追ったこの「同時代ドキュメント」はまた、67年生まれのこの建築史家の自伝的なテクストとしても読める。磯崎の盟友であるデリダがどこかで言っていたように、そもそも自伝的でないテクストというものがあるだろうか。もとより建築/史を専門としているわけではない私は、本書を建築についての評論集としてではなく、そうしたテクストとして読み、同世代者としての私の生い立ちや著者に宛てた私信をその襞に畳みこみながら、ドキュメント風にこの書評をしたためてみようと思う。
                                                     

 本紙に書評を依頼されてこのテクストを手にとったのは「太陽のうらがわ/太郎のはらわた」と題した個展の初日だった。「太郎のはらわた」の太郎とは岡本太郎のことだが、それは著者五十嵐太郎の名前でもある。そしてそのインスタレーションは、磯崎新も参加していた70年の万博を廃虚に仕立てなおしたもので、いわゆるダーティー・リアリズムの手法でもって万博を脱構築することを狙ったものだったが、「奇妙な符牒」は必ずしもそれだけではなかった。イガラシタロウという名前を耳にしたのは初めてだったが、帰りの電車の中で読み始めたその文章には覚えがあった。それもそのはずで『10+1』に発表された幾つかの論考は、同じ時期に同誌に連載されていた上野俊哉の「アーバン・トライバル・スタディーズ」と並んでその当時、最も刺激を受けていた連載記事で、それこそルフェーブルのダーティー・リアリズムやフランプトンの批判的地域主義の建築界での反響や消息を識ったのは他ならぬその評論を通じてであった。「転回点としての1968年」という副題を持つ冒頭の章はその連載の第一回目にあたるもので、建築における「斜め」についての論を、ル・コルビュジエことジャンヌレの美術論から説き起こしたりせず、一気にヴィリリオから開始したことが、この評論に同時代の時制と速度を与えている、と感じたのを記憶している。
                                                

 続く章では68年から00年までの建築界のニュースがあたかもネットサーフィンのごとき手つきでめまぐるしくザッピングされ(著者自身「ほとんど暴走するかのように執筆してきた」と書いている)ほぼリアルタイムで建築界における重要な事件や出来事がレポートされる(中でもチャールズ・ジェンクスとチャールズ皇太子、この二人のチャールズの建築への「介入」を対位法的に論じた「チャールズ、チャールズ」は痛快ですらある)。『スタジオ・ボイス』の書評はこの五十嵐のテクストを「ほとんど透明と呼んでも差し支えないほどの明晰さに到達しているが、それによって提示してみせられる同時代の風景は、透明が不透明と同義になっているかような(原文ママ)事態を迎えているような印象を受ける」(01年4月号)と評している。確かにその批評のまなざしは明察に富み、そこで配信される世界の風景は、白痴と無垢が同義で、堕落と怠惰が等価、狂気と精神衰弱が同列で、粗大と崇高の見分けさえつかない始末で、すべてがディズニーランド化し、マクドナルド化してゆくポストモダン社会の惨状。世界同時多発的なスーパーフラット化現象が日増しに深刻化する一方、建築の肥大化が進み、恐竜化が始まってしまった世紀末の地球のありさまである。
                                       

 五十嵐は本書の中盤あたりでやや唐突に「スーパーフラット的な並列化への志向は、歴史感覚の喪失と関係するのではないか」(223頁)と書き、同書の最後をこんなふうに結んでいる。「2000年に注目されたスーパーフラットは、弛緩した千年王国の世界的な幕開けを告げるが、永遠に続くとは思えない」(407頁)。この論評からも知れるように五十嵐は、スーパーフラットの建築に対して同世代的な共感を示しつつも、それに一定の批評的距離を措いており、むしろ自らが所属する歴史の地勢を冷静に測量しようとするそのテクストに耳を澄ましてみると、そのうらがわに何やら不穏な微動がうごめいているのを感じる(それは連載時にはまるで気づかなかったものだ)。そして、その不吉なノイズはやがて「低い声」となってテクストの表面を食い破り、その亀裂の奥からこんなつぶやきの声をあげ始める。
                                            

 そう・・・それは作動している・・・ここでもまた、そして、いたるところで・・・それは・・・作動している・・・ときならぬ時に、それは息をし、熱を出し、食べちらかす・・・ところかまわず、糞をまきちらし、性を貪り、肉の関係を結ぶ・・・そう、それは作動している、いたるところで・・・時に流れるように、時に硬直しながら、それは・・・・作動・・・している...(174-203頁)。

                

 この声はいったいどこから響いてくるのか。それはこの声が書きこまれた「住宅の廃虚に」の章の一番奥の頁の隅にそっと置かれた写真(203頁)の現場の方から、一九九五年一月一七日未明の震災の刻から、その余震を響かせてきているように思える(66年生まれの私はその日に29回目の誕生日を迎えた)。
                                       

 磯崎新が68年という年を自らが地籍する歴史の切断面に見立て、そこを転回点として解体以後の建築の現場担当者としてその最前線での仕事を開始していったのに対し、五十嵐は95年を切断と転回の年として見据えているように思える(ただし五十嵐は68年と95年の「崩壊」が決定的に異なる事を正しく指摘している)。全世界でWindows95が発売されたその年は「ネット元年」であったが、それは震災(そして地下鉄サリン事件)の年でもある。とはいえ五十嵐が飯島論文への応答の中で注意を促しているように、あの震災やテロをむやみに象徴化したり過度に物語化してしまうことは他の歴史や出来事を忘却し圧殺する危険性を孕んでいるし、それにまた、心的外傷のドラマや倒壊のスペクタクルを伴わない静かな震災なら我々の日常のいたるところで起こっている。だが、95年のそれは(少なくとも私にとっては)他の事件や出来事と等価なものとして安易にフラット化し得ないという厄介さも孕んでいて、五十嵐もそのテクストの中で繰り返し95年という年に喚び戻されている。そのたびにテクストの軸線はねじれ、そこからまたあの低い声がうめきをあげる。
                  

 ところで、そもそも終わりの建築とは何なのか。それは「一九六〇年代の解体により一度終わってしまった後の世紀末の建築である」。では、はじまりの建築とは。それは「スーパーフラットの彼方に向かう、(主に若手)建築家の新しい息吹だろう」(409-10頁)。ならば建築がその息をひきとり、新たに息を吹き返してくる地点とはどこなのか。さしあたり本書ではまだその場所は明示されてこそないが、その位置は本書のタイトルの中に暗号化されマークされているように読める。それは「終わりの建築/始まりの建築」という題字の隙間に「斜め」の亀裂を走らせているそれ、終わりと始まりの間に割り込んできて建築にゆさぶりをかけるそれ。/ という記号で刻印された切断の線がそれだ。それは建築の終わりを絶えず延長しつつ建築の始まりにおいてすでに棲みついていたものであり、建築の手間と彼方の裂け目で作動し、作動することをやめない脱構築/脱建築の運動の痕跡だ。終わりもなければ始まりもない静かな震災は常に起こり続けているし、清潔で快適で衛生的な建築を汚染し、疵や錆やひびわれやほころびをもたらしにやってくるそれは、ときならぬ時に思いがけない場所で建築を待ち伏せている。平坦な戦場の最前線は常に静かな震災状態である。
                                                     

 二〇〇一年、60年代生まれのこの批評家は出生届を提出し、現場担当者となった。深い亀裂に眼を凝らし、あの低い声のつぶやきを聴き取らねばならない。象徴化したり物語化するためにではなく、新たな配置に位相転換するため、フラット化できない歴史の断層を繰り返しパトロールしなければならない。いずれにせよ「スーパーフラットは端緒にすぎず、安住の地ではない」(『スタジオ・ボイス』107頁)のだから。そこではあの低い声に混じってこんな歌も聞こえてこないだろうか。もしも/わたしが/いえを/たてたなら/ちいさな/いえを/たてた/でしょ/う(五十嵐が言及しているこの曲を偶然にも私はインスタレーションのバックトラックに使っている)。明るい未来への夢と建築への意志を歌ったこの詩には70年の万博の残響を聴きとる事ができるが、95年の解体以後の現在にあってはむしろ建築の物語の終わりを悼むレクイエムのように聞こえる。死産した未来を悼む歌とその声。未来はいつも懐かしく、過去はつねに新しい。もはやこうした喪の気配とねじれた時間の中にしか希望は見出せないし、またリアリティもそこにしかない。建築のはらわたから漏れてくる軋みやつぶやきの声を聞きとる耳を持ったこの同世代の批評家の誕生を私は頼もしく思い、そのさらなる暴発を強く期待する。
                                         

 そしてこの書評をしたため終え、応答の責任を果たした私は自分がギャラリーに建てた見張り台に再びたてこもって現場作業を再開しようと思う。「奪われたくない輩は近寄るべからず、奪われてもなくならない方求む」の表札を掲げ、未だ甦来していない未来の建築と美術を待ちながら。viens.

                  ヲダ・マサノリ(非常勤作家/現代美術・民族学)

                                       



【関連企画の御案内】



「太陽のうらがわ/太郎のはらわた〜日本・現代・呪術・甦来」
日時:平成十三年三月十五日ヨリ四月二十二日マデ
場所:東京・表参道ナディッフ・ギャラリー

■展示の案内(NADIFFギャラリー広報室編)
http://www.nadiff.com/gallery/mainpage.html
□展示の記録(3月15日の現場風景 撮影:kamata motoko)
http://www.jotomo.com/wisp/mal/insta_315/315.html
■展示の記録(3月22日の作家会談 撮影:kamata motoko)
http://www.jotomo.com/wisp/mal/_322/2.html
□展示の記録(2月27日の予行展示 撮影:kamata motoko)
http://www.jotomo.com/wisp/mal/insta_pre/pre.html
■「スタジオ・ボイス」(文=野々村文宏)
http://www.jotomo.com/wisp/mal/magazine/sv.html

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