●平成14年度インターネット 西夏学会・会員研究発表●

 

日本学士院第37回公開講演会

西田龍雄先生「西夏文字の解読はどこまで到達したか」を聴講して

 

高橋まり代

 

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平成14年10月26日(土)午後2時〜5時10分の日程で、上野公園内にある日本学士院会館で日本学士院第37回公開講演会が行われ、聴講させていただく機会を得た。ここにプログラム前半の西田龍雄先生(日本学士院会員・京都大学名誉教授)の「西夏文字の解読はどこまで到達したか」をご報告したい。

 

報告者高橋の勉強不足によりお話がうまく聞き取れなかったり、理解できなかったりする場面も多々あり、西田先生の論旨とずれる点が出てくるかもしれないこと、あらかじめお断りしておく。

 

当日配布資料    (  )内は報告者が補った文である

 

  1. 日本学士院/日本学士院

  2. 日本学士院第37回公開講演会次第/日本学士院第37回公開講演会資料

      (全体の2枚目、資料の1枚目が西田先生の講演要旨・講演者紹介・著書)

  3. 西夏文字の解読はどこまで到達したか

  (西田先生のレジュメからタイトルだけを抜粋)

  1. (西夏王国について)

  2. (西夏学について)

  3. 西夏文献見本

  4. 漢字と西夏文字

  5. (外来語の略し方)

  6. 意味の解読

  7. 西夏国の周辺

  8. ‘犬が吠える’『十二縁生祥瑞経』

  9. 単純文体と複雑文体

  10. 行為者視点文と受益・受動者視点文

  11. 動詞の変形

  12. 同義語の存在

  13. 余剰字の存在

  14. (西夏語の体系)

  15. 西夏人の末裔

講演は当日配布資料の3にほぼ沿って行われた。以下、ポイントだけのメモのようなご報告となってしまうが、ご容赦いただきたい。

 

(なお、日本学士院のこうした公開講演会は年2回春秋に実施されており、どなたでも参加できる企画である。)

 

 

まず司会の中川久定先生より、西田先生のご紹介があった。シャンポリオンのロゼッタストーンの解読にも劣らぬ居庸関(漢字・サンスクリット文字・ウイグル文字・パスパ文字・チベット文字・西夏文字の6種類の文字で刻まれた経文がある)の西夏文字の解読をされた方。東アジアの言語と文字、特にチベット・ビルマ諸語がご専門であるが、大学の言語学の教授というお立場から、ヨーロッパ諸語に対する見識もお持ち。ご研究は中国周辺諸語の辞書・文法書まで作ってしまうという形で進められ、特に西夏語に関しては論文を発表なさるにも文字がなかったので、それを作るところから始められた。

 
  1. 井上靖の『敦煌』は史実と異なる点もあるが、この小説のおかげで西夏が世に知れるところとなった。史実と異なるのは次の2点。趙行徳が街で西夏文字を見つけるシーンについて、まだこの時代西夏文字を作った李元昊がまだ皇太子であったので、この文字はまだできていなかった。西夏文と漢文との対訳『番漢合時掌中珠』は西夏人の作品であり、漢人の作品ではない。

  2. 国家図書館西夏文化研究センター編の「西夏文研究専号」は1932年に出されて以来、実に70年ぶりに2002年刊行された。これには日本2名・ロシア3名・中国20数名ほどの研究者が寄稿している。1904年モリスの法華経が糸口をつけた西夏学。コズロフ探検隊の黒水城(ハラホト)で見つかった文献がロシアのアジア博物館地下にしまい込まれたまま長い時を経て、最近やっと上海からこれらが出版された。一般の研究者からの要望があれば、マイクロフィルムの提供をしてくれる。

  3. エルミタージュの断片「十二直」『新訳銅人血鍼灸典』。これは西夏の絵の下張りにされていたもの。「十二直」は陰陽道に基づく暦、同じ発音ならば当て字を使用するという方法で、鍼灸をするならいついつがいい、いついつがよくない、などが書かれている。

  4. 西夏文字はもともと6,130字、使わない文字を削除して5,800余字となったことが、『同音』序文からわかる。旧版では欠けていてわからず、新版で補う、ただし新版も前後が欠けていたので、出版年号もわからなかったが、数年前欠けていた箇所を発見してこれがわかったのだそうだ。一度にある設計図を作って作製された文字であることはまちがいないが、その設計図は残っていない。構成原理としては漢字の形声・会意を模してはいるが、否定字・対象字は西夏人の考えで作られた原理。これらの構成原理で字形の説明ができる場合もあるが、できない場合も多い。発音の特徴としては、平声97韻・上声86韻があり、反切という方法からその音を推定することができる。

  5. 漢語の仏はサンスクリットのBuddhaのBu-の方を代表させたものであるが、西夏語の場合-ddhaの方を代表させている。ラクダは漢語・西夏語とも‘駱駝’の‘駝’の方を代表させている。

  6. 推定した単語の意味は、必ずテキストで裏付けをするという方針をとってきた。想像上のものまで含めて動物などは、漢語・チベット語で対照させてあるような文献がないとなかなか意味がとれない。

  7. 西夏文字は、西夏を取りまく北の契丹文字、西のウイグル文字、南のチベット文字がそれぞれ表音文字であるのに対し、東に位置する漢字同様、表意文字が作られた。四川省蔵族の神話や伝説には彼らの東にムー族が住んでいたとしているが、それがmiuか?1036年西夏文字が作られたが、単に「文字を作った」という功績だけでなく「文章語あるいは書写語を作った」という功績が大きい。むしろ「文章語を表すために文字を作った」とすべき。

  8. 『文海』の解釈によれば犬は主を守り家を守るとあるが、その『文海』にはもうひとつ、標準語の他に部族語が表されている可能性があり、これは同義語ではない。

  9. 『華厳経』『観弥勒菩薩上生兜率天経』がその例の単純文体と、『法華経』『七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪経』がその例の複雑文体が存在する。

  10. 主語を主体にした文章と、目的語を主体にした文章が存在する。視点文(してんもん)。

  11. 西夏人は声調の違いに敏感に反応している。つまり口語を土台に作られた文字である。具体的には、当時の西夏人がそれぞれを別の単語だと思うと、発音が同じでも別の文字を与えていたようだ。これは部族語を意識してのこと。

  12. 上記11.参照

  13. これまでは文字を分析したりいかに読んだかを推定したりした、音韻体系・文法の再構成がなされてきた。しかしそれは西夏語は1つの均質な体系であるという前提の下になされた研究であった。しかし1つの均質な体系ではなく、2つあるいはそれ以上の部族が混在した混合体の体系であった可能性がある。

  14. **大の数学系の教授も西夏皇室の末裔と聞いている。

質疑応答の時間には次のような質問が出されたが、丁寧にお答えになった。

 

Q.来年の干支は羊だが、年賀状に西夏文字で書くとしたらどんな文字になりますか?

A.西夏は遊牧民なので羊に関する文字が非常に多い。(『掌中珠』の例をOHCで紹介なさった。)

Q.Buddhaの-ddhaは有気音。それが西夏語では無気音になっているが、そのような変化は多いのですか。

A.前にBuがあったりPhuがあったりなどの条件が揃えば変化が起こる。

Q.留学中、碑文が少なかったが。

A.居庸関をはじめ、*** ***などかなりある。(残念なから例を聞きのがす。)

後記

西田先生とは、休憩時間中に少しだけお話することができた。その際、今回のレジュメで使用された西夏文字が今昔文字鏡の文字であったことについて尋ねると、「ないよりはいいと思って」というお答えが返ってきたので、われわれインターネット西夏学会開発中の西夏文字フォントがあることをご紹介しておいた。

今昔文字鏡の西夏文字に関しては、李範文先生の『夏漢字典』を吟味することなくそのまま転用していることについて、誤字の問題・今後の整理運用方針なの問い合わせをすでに2001年12月付けで紀伊國屋書店にはしてある。「文字鏡研究会の方へまわしておく」とのご返事をいただいたが、その後全く音沙汰がないのが、非常に残念なことである。(この件に関しては後日、ゆっくりとHP上でご紹介したい。)

なお私が聞きのがした碑文について、本インターネット西夏学会の佐藤友則会員から次のようなメールをいただいた。

 

西夏碑文は主として以下のものがあります。よろしければご参考までに・・


「凉州重修護国寺感通塔碑」(二面:西夏文・漢文)
「黒河建橋勅碑」(二面:漢文・チベット文)
「西夏帝陵残碑」(西夏文、漢文など各種)
「明代西夏文石幢」(西夏文)
「大夏国葬舎利碣銘」(佚文、『嘉靖寧夏新志』中に録文あり)
「夏国皇太后新建承天寺埋仏頂骨舎利碣銘」(佚文、『嘉靖寧夏新志』中に録文あり)
「府州折氏碑」(各種)
「居庸関六体石刻」(漢・チベット・サンスクリット・パスパ・ウィグル・西夏)
「敦煌石刻」(*注者未確認)
「大元粛州路也可達魯花赤世襲之碑」(漢文)

等々・・

それぞれ論文や専著が発表されていますから、そのうち録文のデータ化が必要かと思います。

Last updated:  2002/10/30   

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