『電脳処理 西夏文献《文海》反切法解析』

解 説

 われわれの本格的な西夏語研究は、中央研究院歴史語言研究所(台湾)からAA研の客員教授として、〓煌城教授をお招きした1991年9月に始まり、1996年には寧夏社会科学院から、李範文教授もお招きしている。そしてこの度、1998年9月から、中国社会科学院民族研究所の研究員で、同院西夏文化研究センター主任の史金波教授にお越しいただけたことは、われわれの西夏語研究を推進する上で、この上ない好機となった。この1年にわたる日本滞在の間に教授は『俄蔵黒水城文献』に収録されている《文海宝韻》の校勘と解読を成し遂げられ、われわれも教えていただく傍ら、世界に先駆けて開発したの西夏文字電算機処理技術によって、これを支援することが出来た。

 だが、われわれはこの一連の西夏語共同研究を通し、最先端の西夏語文献解読も重要だが、西夏語研究そのもののすそ野を広げるような、基礎的な西夏語文献整理もまた一方で重要であることを痛感させられた。そこで、ちょうど史金波教授と行う‘写本’である《文海宝韻》の研究と平行して、われわれだけでその‘刻本’である《文海》の研究も開始したのであった。

 今回われわれが特に急務の研究と感じたのは、《文海》における西夏文字の字形と音韻の反切の記述であった。というのは、史金波教授と行う《文海宝韻》が予想外に困難を窮めたからである。すなわち、《文海宝韻》が本来《文海》に欠落していた上声・入声を補うはずのものであるのに、西夏文字に対する西夏語による解説部分を欠き、頼りは所々に記されている字形と音韻の反切のみ、しかしこれも草書体である上に書影もまた非常に不鮮明だったので、この《文海宝韻》をまた《文海》で補うという作業になってしまったのである。

 かくして《文海》における反切法の研究を始めたわれわれであったが、今度はまた別の必要にも迫られた。それは、この作業を通して確認された西夏文字の字形が、われわれがここ数年来気づいていてもその修正を行って来なかったAA研開発の字形と、やはりどうしても食い違い、もはや我慢できなくなったのである。このためついには、かなりの西夏文字をカバーする《文海宝韻》の出版という課題とも重なって、本格的なAA研西夏文字の整形も開始せざるを得なくなった。しかしこの西夏六千文字を博物学的に網羅・観察し、“西夏文字の理想型を追求する”という基本作業が、実はこれまでの西夏文字研究においては一番欠けていた大切な分野ではなかっただろうか。そして、この“西夏文字の文字管理”というシステムこそ、この文明の利器である大型電算機を利用することによって初めて実現するものではなかろうかと思う。

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