東南アジア世界のアイデンティティ

東南アジア地域を一つのまとまりとする認識は、ごく新しく、その示す範囲は、時代によっても変化してきた。
東南アジアは外来のものを盲目的に受容したのではない。なんらかの独自性を保ってきた。

内在する論理による認識と外来の論理

扶南(1世紀頃から7世紀前半のカンボジアにあった国)の建国神話

インドからバラモンのカウンディンヤが来て土候の娘ソマーと結婚した。

(梁書、皆時斉書など:「混填が現地の女王柳葉を娶り、この国を支配した。 )

インドは父系制、カンボジアは母系制、ビルマは双系制。

インド化 indianization(碑文学者ジョルジュ・セデス)

紀元1世紀前後から、インド人が東南アジアに至り、交流する。

東南アジアのインド化:サンスクリット、宗教、国家体制などをまとめて受容する。

インド文明の選択的受容

カーストは入らなかった。

近代の植民地化も現地の都合との折り合いがあった。

サンスクリット語、パーリ語も、一部の受容に留まった。