東南アジア地域を一つのまとまりとする認識は、ごく新しく、その示す範囲は、時代によっても変化してきた。
東南アジアは外来のものを盲目的に受容したのではない。なんらかの独自性を保ってきた。
インドからバラモンのカウンディンヤが来て土候の娘ソマーと結婚した。
(梁書、皆時斉書など:「混填が現地の女王柳葉を娶り、この国を支配した。 )
インドは父系制、カンボジアは母系制、ビルマは双系制。
東南アジアのインド化:サンスクリット、宗教、国家体制などをまとめて受容する。
カーストは入らなかった。
近代の植民地化も現地の都合との折り合いがあった。
サンスクリット語、パーリ語も、一部の受容に留まった。