ツングースのことばと文化

風間伸次郎(東京外国語大学講師)

 

ツングース諸語分布図

 

ナーナイの三人の女性
ナーナイの子供
ウデヘのシャーマン
エウェンの女性

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分布と概況

 ツングース諸語は、西はシベリア西部を流れるエニセイ川のあたりから、東はカムチャ ッカ半島やサハリン、満州に至る広大な地域で話されている言語である。国家としては、 ロシアと中国にまたがっている。しかしその話者人口はきわめて少なく、ある統計によれ ばロシアに六万人、中国に五万人ぐらいである。ツングース諸語は一二ほどの言語からな るグループで、具体的にその名前をあげていくと、ロシアにエウェンキー語、エウェン語、 ネギダル語、オロチ語、ウデヘ語、ナーナイ語、オルチャ語、ウイルタ語があり、中国に ソロン語、ヘジェン語、シベ語、満州語と呼ばれる言語がある。この中でも読者の皆様に も聞き覚えがあるかもしれないのは、満州語であろう。清朝を建てたのは漢民族ではなく、 ヌルハチに率いられた満州族であった。その後満州族の言語は、圧倒的な数の漢民族の言 語と文化にほとんど吸収されてしまったが、一方で現在中国の共通語になっている「北京 管話」は、満州人たちの話した満州語なまりの中国語といってもよい。それが証拠に英語 では「北京管話」のことを「Mandarin(満大人)Chinese」という。満州人たちは、縦書 きのモンゴル文字を改造して自分達の「満州文字」を作ったが、それ以外のツングース諸 語には長らく文字はなかった。一九三〇年代になってロシアでは上記のうちの多くの言語 にロシア文字などによる正書法が作られたが、あまり一般に普及しているわけではない。 そもそも先に述べたように個々の言語の話者はきわめて少なく、しかもそのほとんどは現 在六〇歳以上の老人である。早い話が消滅が心配される言語たちであって、その記録や研 究は急務である。ネギダル、オロチ、ウデヘ、ウイルタ、ヘジェン、といった言語は特に その話者数が少なく、せいぜい数百人を数えるのみであり、ウイルタ語にいたっては百人 をきるといわれている。

 さて筆者は、一九八八年の夏を皮切りに、ロシアを一七回、中国を一回訪れて、いくつかの言語の実地調査を重ねてきた。ある時は大興安嶺のふもとホロンバイル草原で羊を飼 うソロンのもとで、ある時は長大なアムール川の岸辺でサケ漁をするナーナイのもとで、 そしてまたある時はシホタアリン山中で狩猟生活を営むウデヘのもとで。「そのうちに一 二の言語全ての地を訪れてみたい」と、この頃は思っている。

ことばのしくみ

 ではツングース諸語とは具体的にはどんなことばなのか。一言でいえばわりと日本語に よく似たタイプのことばと言ってもいい。述語は文の終わりにくるし、修飾語は被修飾語 の前にくる。例えば「大きい 犬が いる」とナーナイ語で言えば、 daai (大きい) inda (犬) biini(いる)となる。少し違うのは「〜の〜」と言う時で、例えば「私の本」と言 うような時は、「私 本-私の」のような言い方をする。文法的な関係を示す助詞や助動詞 のようなものは、単語の後ろにつける(接尾辞という)。そうした接尾辞を一つの語にい くつもつけることもあるし、接尾辞と接尾辞の間の切れ目もわかりやすい。

 歴史の教科書などに「日本語はアルタイ諸言語に属する」などと書いてあることがある (これは一つの仮説で十分な証拠もなく、まだよくわかっていないのだが)。そのアルタ イ諸言語というのは三つのグループに分かれていて、ツングースはその一つである。残り の二つはモンゴル語の仲間のグループと、トルコ語の仲間のグループだ。日本語とこれら の諸言語の間にはたしかに妙な共通点もある。例えばrではじまる単語がないことだ。読 者の方にもしりとりをしていて、ラリルレロではじまる単語が少なくて困った経験がある のではないだろうか。また母音調和といって、一つの単語の中では同じ種類に属する母音 しか現れないという規則がある。日本語にもかつてはこのような現象があったことが知ら れている。今の日本語でも、同じ母音だけからできていることばは多い。例えば「体が暖かかった」とか「子供の心」とか、ローマ字で書いてみるとよくわかる (Karadaga atatakakatta, kodomono kokoro)。英語だったらこんなことはないだろう。しかしこのよ うな類似点は、はたして一つの同じ祖先から受け継いできたものなのか、それとも長い接触の間にお互いに似てきてしまったのか、はたまた偶然の一致なのか、まだその答えを出 せるほど研究は進んでいない。

生き物たちとそのことば

 永く農耕を営んできた我々日本人とは違って、彼らの生業は狩猟、漁猟、採集そして放 牧である。したがって彼らにとってもっとも関心のあるものの一つは、周りにいる生き物 たちであると言ってもいいだろう。例えばアムール川で主に漁労をして暮らしているナー ナイのことばには、コイ、カワカマス、スズキ、チョウザメ、ナマズ、ウナギ、ウグイ、 イトウ、ヒメマス、サケ…と何十種類もの川魚の名前があるし、トナカイを飼って暮らす エウェンのことばでは、トナカイを識別するためのさまざまな特徴に基づいた「呼び名(あだ名)」がある。

 また特に恐れられている大型獣は、直接その名を呼ぶことを避けるために、婉曲な言い 方がなされる。北海道でもクマのことは「山親爺」と言われるが、例えばナーナイ語でマ パ(mapa)、エウェンキー語でウティルクーン( tirkn)と言って、これは語源の異なる 語であるのにも関わらず、どちらも「おじいさん」の意味である。ウイルタ語ではボヨ (bj) で、これは同時に「獣(一般)」を示す語でもある。クマに関してはさらに、クマそのも のを指すことばだけでなく、「クマの頭」や「クマの手」などに普通の「頭」とか「手」 とかいうのとは別の特別な単語が使われたりもする(ナーナイ語)。トラはナーナイ語で プルーン アムバニ(purn ambaani)「森の主人」という。オオカミはエウェンキー語の 諸方言でグールム(lm)、グールスキー(luwkii)などと呼ばれるが、これは「恐ろしい」という動詞か らの派生語である。

 筆者がナーナイのもとで採集した伝説にも、トラが登場するものがいくつかある。トラ に喰われそうになった少年が木の上に逃げ、逆に木の股に引っかかったトラを助けてやっ て、お礼にたくさんの毛皮獣をもらう話、トラの子供を育てた狩人の話、大蛇からトラを 救ってやった狩人の話、などがある。いずれの話でもトラは人間の姿で夢の中に現れてき て人と話をする。ウデヘのところでは次のような伝説も聞かせていただいた。クマが「地 上にオレより強い者はいない」と自慢するのだが、トラは「二本足で歩く人間という者が いる」と教え、クマを人間のところへ連れて行って見せてやるのだが、クマは人間に撃た れてしまう。トラは森の獣たちに、「人間というものは恐ろしいから近寄るな」諭すので ある。

 黒沢明監督の「デルスウ・ウザーラ」を御覧になった方もいらっしゃるかと思うが、あ の映画の中でもナーナイの漁師デルスウが森の自然の象徴としてのトラを畏怖する場面が 出てくる。ナーナイやウデヘの人がトラを撃つことはない。クマは捕るが」、アムールの 下流地方ではアイヌにもあるようなクマ送りの類がかつては行われていた。

 ウデヘのところでは女性はクマの肉を食べてはいけないのだそうだ。それについてはこ んな話がある。姉弟が暮らしていたが、姉の計略により弟は知らずに姉と結婚してしまう。 やがてその事実を知った弟は妻となっていた姉を殺し、二人の間にできた子供は森に捨て てしまう。その子供のうちの娘はクマに育てられ、ウデヘの祖先となったのだという。

信仰、世界観とそのことば

 ここまでトラやクマに関するタブーを述べてきたが、その背景にあるのは彼ら独自の信仰 や世界観である。以前にこのArctic Circle (No.2) でも紹介したが、彼らの伝統的な信仰 はシャーマニズムである。彼らの世界観では、世界は三層になっていて、我々の世界の上 には天上界がが、下には冥界がある。民話などで、主人公が羽根を得て空へ昇って行くと、 空に穴があいていて、そこを通り抜けるとまた下界と同じような世界が広がっている。そ こでの決まり文句は「天にも大地があり、天にも太陽があり、天にも水がある…」である。

 最近フィールドで出会った彼らのちょっとした迷信(?)についてお話ししよう。ナー ナイのある家に招かれていくつか料理をふるまわれた時のこと、そこのおばさんが「とに かくひとさじずつでも、全部の漁師に手をつけなさいよ。さもないとフニ (xuni)を受ける からね」などと笑って言うのだ。「フニ」とはいったい何のことだろう?聞けば、お客に 行って食べ物に手をつけないと腹が痛くなったり、軽い病気になる、という俗信があり、 それをフニというのだ。治療法はさっき食べなかった料理をもらってきて食べることだと いう。もはやナーナイ語を話せない若者の中にもそれを信じている者がいるのはちょっと 楽しかった、ただこんな小さな迷信さえ、やがてはことばとともに消えて行くだろう。最 近はフィールドへ行くたびに、一人、また一人と、ことばをよく知っていた老人たちの訃 報に会う。一方初めて調査にきた時生まれた子供は、すっかり大きくなってロシア語をし ゃべっている。時代だけは確実に、そして残酷に動いているのである。