これまでの研究内容
----- 過去5年および現在の研究内容 -----
過去5年の研究内容は、以下のように分類・整理することができる。すなわち、(1)近現代イスラーム政治思想の研究、(2)イスラーム運動の社会経済基盤の研究、(3)各国政府によるイスラーム政策の比較研究である。なかでも核となったのは、(1)近現代イスラーム政治思想の研究であった。1970年代半ば以降各地で顕在化したイスラーム復興のうねりは、単に専門研究者に実態解明を要請しただけでなく、それまで支配的な地位を占めてきた近代化論的な歴史解釈にも再考を促した。「近代化」とともに影響力を失う宗教(イスラーム)といったイメージは、この時根底から覆されたのである。こうした状況を背景に、そもそも近代以降「改革者」と呼ばれた思想家たちが何を主張してきたのか、を問い直す動きが生じてきた。言いかえれば、近現代イスラーム思想史に強い「脱宗教化」志向を読み込んできたこれまでの学説の有効性が問われたのである。ムハンマド・アブドゥフ研究に始まる一連の思想研究はこうした要請に応える形で生まれた。そこでは、彼らが西欧への盲従を批判し続けたこと、西欧近代文明を取捨選択する形でのイスラーム復興を目指したことが明らかにされている。社会秩序に宗教的な基盤を与えようとする動き、政治をイスラーム化しようとする衝動は、常にムスリムのうちに存在したのであった。

一方、同時代研究としての(2)イスラーム運動の社会経済基盤の研究は、主として1988年から90年にかけてエジプトで実施し、その後も断続的に継続している現地調査に基づいている。エジプトにおいてイスラーム運動を支えてきた社会経済基盤については、これまで武装闘争を推進する「過激派」を対象とした研究だけが注目を集めてきたが、私はイスラーム世界最大の勢力を誇るムスリム同胞団の社会経済基盤に着目し、弁護士協会など職種別シンジケートにおける活動と、湾岸産油国=同胞団間に横たわる複雑な経済関係を明らかにした。

以上2つの研究分野に加え、最近では(3)各国政府によるイスラーム政策の比較研究を進めている。これはもともと、アラブ諸国におけるナショナリズム政権とイスラーム運動の対立過程を類型化すべく設定されたテーマであったが、1992年以降事実上の内戦に突入したアルジェリア情勢を受け、各国のイスラーム政策がイスラーム運動を興隆させてしまうという、ある種、皮肉な現実を分析する試みへと転化した。アラブ諸国政府の多くは、イスラーム的正当性を保持するため、自ら「イスラーム国家」を名のり、現行法こそイスラーム法にほかならないと主張している。しかしこの戦略は両刃の剣であって、一歩間違えば逆にイスラーム運動の勢力拡大を招きかねない。本件は「現代においてイスラーム法はどうあるべきか」という、ムスリム自身が決定すべき最も根源的な課題とも関わっており、今後も筆者の研究の柱を成すものと考えられる。

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